困ったときは本に立ち返る

ここ最近は授業後の心の振れ幅がジェットコースターみたいになっている。

一喜一憂したところでしかたないので、もっと大局的な視点が必要だと思うのだが、なかなかそうもいかない。

 

昨日は「うまくいってないー」「どうしようー」とブログやフェイスブックに書いたら、コメントしてくださる方がいて、そのコメントにちょっと心が軽くなった。

 

そして、昨日は授業→バイトの後、大学の図書館に直行して本を借りてきた。

クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

  • 作者:西川 純
  • 発売日: 2012/07/19
  • メディア: 単行本
 

果たしてこのチョイスでいいのか、自分の必要としていることが本の中にあるのかはわからないけど、とりあえず本に戻ってみる。

 

本に立ち返り、自分で考え、人に相談する

西川先生が折に触れおっしゃっていることだが、結局これに尽きるのだろう。そんな気がする。

 

自分が現在進行形で困っていることは、他の誰かも困っていたこと。

自分なりの答えはすぐには出て来ないかもしれないけれど、それでももがくしかない。

 

明日は受け持っている全クラスで授業がある。

1日4コマなんて久しぶり。体力もつかなぁ…

正念場だね。

『学び合い』だと全ては自分に返ってくる

先週、課題を欲張りすぎて大失敗したのが尾を引いている。

 

今日は3クラスとも全員達成したけど、知らず知らずのうちに生徒たちの力をみくびっていたのだと思う。

 

「午後の授業で集中力切れてるだろうから」とかいくらでも言い訳はつけられるけど、結局私が生徒たちを信じていないから、課題のレベルをセーブして「時間内に全員達成するレベル」でよしとしているだけなのだ。

 

クラスによっても状況は全然違う。

 

「自習にしか見えん」とコメントしてくる生徒もいる。

困った…

きっと、自習に見えるレベルの課題しか作れていないのだろう。

 

「生徒たちの様子は自分の心を映し出す鏡」であることを痛感する。

 

苦しいし、モヤモヤする。

 

集団を見ていると嘯いて、本当は気になる子しか見えていないのかもしれない。

 

毎時間、生徒に委ねている間も目と頭をフル回転させて見取っているつもりなのだが、いざ最後に語ろうとすると言葉がするすると手の中からこぼれ落ちていく。生徒たちのいいところが見えていないし、それを言語化できていない。

 

難しいなぁ…

 

全て自分に返ってくる、というのを身にしみて感じた今日の午後。

結局は生徒に対して率直に、誠実に語るのが一番

今日は朝イチから2コマ授業。

どちらのクラスも先週私が課題を欲張りすぎたせいで失敗したクラス。

 

朝から気分が重かった。

4連休を使って夏休みまでの授業で使う課題を一通り作ったのだが、「これでいいのか」と心配だった。

 

それでも授業はしなければならない。

 

どちらのクラスでも、最初の語りでは「なぜ任せるのか」ということを語った。

・わからない人は「わからないことがわからない」ことが多い

・どこでつまづいているのかは相手の話を聞いてみないとわからないし、それには時間がかかる

・授業は50分でこのクラスには40人弱いる→私がひとりに割けるのは1分ちょっと

・1分ちょっとでは全員を理解させるのは不可能→だからみんなの力を借りたい

 

そして任せた。

 

結果は、20分近く残して全員達成。課題の量と難易度はまた失敗。

残りの時間は、最初に「任せる」と言ったので、生徒たちに委ねた。ちらちらと私の顔を見る子もいたが、特に何も言わず、座席表を見ながら生徒の人間関係をざっと把握しようとした。

 

最後の語りでは、そのときの自分の思いを率直に話した。

・一斉授業なら自分でコントロールできるけど、この形式だとみんなに授業時間の大半を任せるので、コントロールできないから正直不安

・前回大失敗しているので、今日はちょっと怖くて学校に行きたくなかった

・でも、みんなの様子が自分に合ったやり方で課題に取り組んでいる様子を見ることができてよかった

 

「不安だった」のところで何人か顔を上げた。

生徒の前で「不安だった」なんて言う先生、そうそういないだろうな。

 

でも結局、率直に、誠実に語るのが一番なんだと思う。

生徒にとっては「先生」かもしれないが、私も一人の人間だ。カンペキじゃない。

取り繕ったところで生徒にはすぐに見抜かれる。

 

振り返りシートを見ていたら、「前回4つの場面を文章でまとめたので、今日のあらすじの穴埋め問題は教科書を見なくてもできてよかった」というコメントがあった。

 

前回は課題を出しすぎて失敗したなと思っていたが、あながち失敗でもなかったのかもしれないと感じた。全員が戦意喪失する課題だとまずいが、頭を使って必死でやらないと終わらない課題を出すのもありなのか…

 

そうそうしょっちゅう全員達成するとだれてきそうな気もするし。

 

1,2限と5,6限では生徒のテンションも疲れ度合いも違うというのを肌で感じたので、課題を調整する必要がありそうだ。

 

まだまだだけど、いろいろ見えてきた。

仕切り直しとしては上手くいったのかもしれないな。

母に「研究室のみんなで書いた本」のレビューをもらった話

西川研究室のみんなで書いたオンライン授業の本が出版され、ゼミ生ひとりにつき2冊ずつ配られた。

子どもが「学び合う」オンライン授業

子どもが「学び合う」オンライン授業

  • 作者:西川 純
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: 単行本
 

ゼミ室の自分の机の上にこの本が2冊並べて置いてあったのを見た時には「ようやく本になったんだなぁ」という感慨とうれしさがこみあげてきた。

 

それと同時に「1冊が自分用なのはわかるけど、なぜ2冊?」と頭の中に?が浮かんだ。

 

その疑問は、例のごとくふらっとゼミ室にいらっしゃった西川先生とゼミ生とのやりとりで氷解した。

 

西川先生「その本2冊ずつ配ったのはなぜかわかってるよね?」

ゼミ生「親に渡す、ってことですか?」

西川先生「そうそう。お金出してもらってるからね」

 

親に対して改めて、大学院で何をしているかを話すのは意外と難しい。その点、この本は大学院での学びの成果物としてはわかりやすい。

 

「私の場合、学費は自分で払ってるけど、その他生活費諸々はすねをかじりまくってるからなぁ」と思い、帰宅後すぐ、「これ研究室のみんなで書いた本だよ!執筆者だから私の名前も載ってるよ!」と母に手渡した。

 

母は「読んでみるねー」と言い、数日が経過。

 

今日、母がその本を読んでいるのを目にしたので、「どう?」と聞いてみたら、一言、

「あなたの名前が載ってたわ」

ですよねー笑

自分でもいまだにちょっと変な感じ。

 

そして、「zoomまったく初心者の私でも、○○(妹の名前)とつないで「元気ー?」とかできそう。zoomって最近流行ってたけど、よくわかってなかったのよね」とのこと。

 

この言葉がとてもうれしかった。

 

「知らないから難しそう→怖い→使わない」ではなく、zoomについて知らない人でも「オンラインで何かしてみようかな」と思わせられる本を作ることができたんだなと実感した。

 

私の母は教育関係の人ではないので、どちらかと言えば教員というよりは保護者に近い立場だと思う。

 

そうした人たちにもこの本が広まっていったらいいなぁと思う。

"誘われ待ち"の自分よ、さようなら

他ゼミの同期の子とご飯を食べに行ってきた。

 

3月ごろご飯行こうねって言っていたのだが、コロナウイルス大流行のため断念し、そのうち授業が始まったり教採が近づいてきたりでバタバタして、先週でやっと怒涛の教採一次試験シーズンが終わった。

 

この4連休中は時間取れそうだよってなったので、予定を合わせ、ご飯を食べながらおしゃべりした。

 

彼女は気さくで話しやすく、天真爛漫なので、会話がポンポンと弾む。話していて心地よい。

 

ご飯食べた後は「甘いもの飲みたいね!」ってなってスタバに行き、期間限定のジューシーピーチフラペチーノ(舌噛みそうだ)をゲットして車の中で飲みながら、またちょっとおしゃべり。

楽しい2時間だった。

 

大学院に入って変わったことはいろいろあるけど、"誘われ待ち"ではなくなったのは、私の中で大きな変化のひとつ。

 

以前は、「誘ったものの断られたらどうしよう…」とかいらんことを考えては二の足を踏んでしまい、「誘ってくれないかなぁ」なんて受け身な人生を送ってきた。

 

大学院に入ってからは、そもそも「ご飯行こう!」とか「飲もう!」と誘われることが多くなったし、自分からも誘うようになった。

 

なんでだろう?

まわりの人の影響かな?

 

人とのつながりの大切さを今まで以上に感じるようになり、ゆるやかなつながりを作りたいと思うようになったからかもしれない。

 

明日は、3月に修了した先輩方と会う予定。

今からワクワクしている。

時間は限られているけど、いっぱいお話ししたいなぁ。

『学び合い』の課題を作成していたらマインドセットが変化する、の巻

『学び合い』の課題を作っていると、自身のマインドセットが崩れ去るような感覚がある。

 

私はいわゆる一斉授業で育ってきたし、『学び合い』に出会う前は一斉授業をしていた。おそらく私の中には、知らず知らずのうちに「一斉授業のマインドセット」ができていたのだと思う。

 

一斉指導だと自分でペースを調整することができるが、『学び合い』では授業時間の大部分を子どもたちに任せるので、ペースは子どもたち次第だ。教師の手の内は授業の冒頭ですべてさらすことになる。だから、少なくとも上位2割が読めばわかる内容でなければならないし、子どもたちが混乱しないような配慮が必要である。

 

今日も来週以降の課題を作成していたのだが、かなり時間がかかる。

別に凝った課題を作ろうとしているわけではない。なるべくシンプルにしようとしている。

 

今は村上春樹の『青が消える(Losing Blue )』を扱っているのだが、村上春樹の作品だけあって直喩がごろごろと出て来る。直喩からは逃れられない。

 

比喩表現は「これが比喩だよ」と説明するだけではおもしろくないしあまり意味もないように思うのだが、どうしたら「イメージを豊かに膨らませる」「わかりやすく表現する」という比喩の効果を生徒たちが感じ取ることができるのか…

 

こんなことを考えながら課題を作っていると時間はあっという間に経ってしまう。

 

そして、子どもたちが誤りなく問いを理解することができるよう、言葉の持つ意味にも注意を払うようになった。

 

今回の作品では「比喩」と「主題」を取り上げる予定なのだが、「主題」とは何かというのが自分の中でふわっとしていてつかめていなかったことに気づいた。

 

教師がわかっていないことは生徒には容易に伝わってしまう。

 

当たり前のことではあるけれど、『学び合い』と一斉授業では視座も視点も違う。その違いは課題にも現れてくる。

 

そのことを課題を作りながら痛感する。

 

あぁ、自分の中のマインドセットががらがらと崩壊してゆく。

でも、その崩壊の音がどことなく心地よかったりするのは気のせいだろうか。

「つらいなら逃げればいい」と人は言うけれど…

先日、父方の親戚からお中元が届いたお礼にと電話がかかってきて、私が受けた。

私にとっては伯母にあたる人なのだが、住んでいる場所が離れているためか、なかなか顔を合わせる機会はない。

 

近況報告をいろいろとしていたら、その伯母さんから、

「なんで講師を辞めて大学院にいったの?」と聞かれた。

ちゃんと話そうとするとけっこういろいろあるので、

「講師してて、学び直したいと思ったんですよねー」と当たり障りのない返答をした。

 

そうしたら、

「そうだったの。水が合わなかったのかなぁ、なんて心配してたのよね」と伯母さんが言ってくれたので、この人には話しても大丈夫かなぁと思い、講師を辞めた経緯をかいつまんで話した。

 

私が講師を辞めようと決めたのは、同僚の先生との関係がどうにもうまくいかなくなってしまったのが直接の原因だった。

 

同僚の先生と言っても大先輩、教科も同じだったので、本当にお世話になった。

それでも、その先生の発言にかなりメンタルをやられてしまった。最後の方は、私に向けられた言葉ではないと頭ではわかっていても、心が悲鳴をあげてしまい、「もうだめだな」とふっと我に返った。

 

そのほかにも、(残念ながら)辞めようと思ってしまうような要素は揃っていた。

・初任なのにも関わらず、同じ初任と授業を組むことになり、指導係も特におらず疲弊する(途中で他の先生が間に入ってくださったのでなんとかなった)

・3年目の時、同じく常勤講師の同期や後輩が担任を持つ中、私は正規教員に上がることもなく副担任のまま

 

特に2つ目は正直堪えた。まわりの先生方からは働きぶりを認めてもらっていたし、私も学校に多少なりとも貢献できている自負はあったから。

「いきなり担任を持たせてつぶれないように、大切に育てようとしてくれているんだよ」とフォローしてくれた先生もいたが、「あぁ、私ってこの学校ではその程度の存在なんだな」という思いはいつもついて回った。

 

辞めると上に伝えた後、まわりの先生からは散々引き留められた。「来年正規に上げようと思っていた」とまで言われた。でも、「もう遅いんだよなぁ」という感じだった。

 

地元の採用試験に落っこちて「私って必要とされてないのかなぁ」なんて思っていたときにひろってもらった学校だったので、恩を感じていた。

 

それでも、だめなものはだめだった。

しがみつかなくてよかったと今なら思える。

 

 

「そんなにつらいなら逃げればいい」と言う人は多いけど、渦中にいる人間は「そうは言っても…」とか「そんなの無理だよ…」と思っている人が多いのではないか。

 

「そんなにつらいなら逃げればいい」というより、「いつでも逃げられるように準備をしておこう」の方がいいのかなと個人的には思う。

 

自分はいつでも逃げられると思えば、「ここで耐えなければだめだ」と洗脳(?)されにくくなるし、いざとなれば逃げることもできる。心のセーフティネットになってくれる。

 

「いつでも逃げられる準備」をするためには、まとまったお金と人とのつながりが必要になってくると思う。実際、私も頼りにしたのはその2つだった。

「お金」と言ってしまうと身もふたもないのだが、やっぱり大切。

 

そして、逃げてもなんとかなるような「人とのつながり」を持てるような子どもたちを育てていきたいと思う。