『学び合い』の課題を作成していたらマインドセットが変化する、の巻

『学び合い』の課題を作っていると、自身のマインドセットが崩れ去るような感覚がある。

 

私はいわゆる一斉授業で育ってきたし、『学び合い』に出会う前は一斉授業をしていた。おそらく私の中には、知らず知らずのうちに「一斉授業のマインドセット」ができていたのだと思う。

 

一斉指導だと自分でペースを調整することができるが、『学び合い』では授業時間の大部分を子どもたちに任せるので、ペースは子どもたち次第だ。教師の手の内は授業の冒頭ですべてさらすことになる。だから、少なくとも上位2割が読めばわかる内容でなければならないし、子どもたちが混乱しないような配慮が必要である。

 

今日も来週以降の課題を作成していたのだが、かなり時間がかかる。

別に凝った課題を作ろうとしているわけではない。なるべくシンプルにしようとしている。

 

今は村上春樹の『青が消える(Losing Blue )』を扱っているのだが、村上春樹の作品だけあって直喩がごろごろと出て来る。直喩からは逃れられない。

 

比喩表現は「これが比喩だよ」と説明するだけではおもしろくないしあまり意味もないように思うのだが、どうしたら「イメージを豊かに膨らませる」「わかりやすく表現する」という比喩の効果を生徒たちが感じ取ることができるのか…

 

こんなことを考えながら課題を作っていると時間はあっという間に経ってしまう。

 

そして、子どもたちが誤りなく問いを理解することができるよう、言葉の持つ意味にも注意を払うようになった。

 

今回の作品では「比喩」と「主題」を取り上げる予定なのだが、「主題」とは何かというのが自分の中でふわっとしていてつかめていなかったことに気づいた。

 

教師がわかっていないことは生徒には容易に伝わってしまう。

 

当たり前のことではあるけれど、『学び合い』と一斉授業では視座も視点も違う。その違いは課題にも現れてくる。

 

そのことを課題を作りながら痛感する。

 

あぁ、自分の中のマインドセットががらがらと崩壊してゆく。

でも、その崩壊の音がどことなく心地よかったりするのは気のせいだろうか。