『生徒に一生涯の幸せを与える学級経営』の読書会に参加しました。
オンラインで人と話したのは久しぶりでした。同じ目的の人と語り合うのは楽しいものですね。
おなじく参加していた大学院の同期も、読書会の感想を書いていました↓
彼の文章を読むたびに、視座が私の数段上だなぁ、すごいなぁと思います。
さてさて。
本の感想を交えながら読書会のときに思ったことを書いてみようかと。
本を読んでいて一番うれしかったのは、院生時代に書いた論文が引用されていたことです。
我々は、卒業生の多くが就職する高校の教師と、その高校生の就職先の採用担当者に、就職後に最も重要な能力は何かを聞きました。両者ともコミュニケーション能力であることは一致しています。しかし、インタビューに対する答えは、両者で微妙に違うのです。
高校教師の言うコミュニケーション能力とは、一般的なコミュニケーション能力です。それを育てる場面は、同級生同士の協働的な場面で学べるとイメージしているのです。ところが、採用担当者の言うコミュニケーション能力とは、年齢の離れた人とのコミュニケーション能力なのです。(pp.151-152)
うれしいのでここでも引用してしまいましたが。
読書会では、習熟度別になっているため、自分が担任するクラスの生徒たち全員とは授業ができず、なかなか学級経営につなげられないというお悩みが出ました。
『学び合い』の授業が思ったようにできないという点では、私の現状と通じる部分があります。
今の勤務先では『学び合い』をやりにくい雰囲気があり、初任としてはそれで目をつけられるのは得策ではないと思ったので、今は授業で『学び合い』をやっていません。
「今じゃないな」という感じです。
この本のメインは『学び合い』の授業を通して学級経営を行い、生徒集団を育てていくというもの。
最初に読んだときは、「え、じゃあ『学び合い』の授業ができなければ詰むやん…」と感じました。
しかし、読書会でいろいろな方とお話ししていて、それはちょっと違うのかもしれないと思いました。
私はまだ『学び合い』の形式にこだわりがちです。最初に教師が語って、生徒たちが自由に動き回りながら課題解決を目指し、教師は見取ったことを語るという、よくある『学び合い』の形に。
"『学び合い』の考え方に基づいた一斉授業もできる"みたいなことをどなたかがおっしゃっていた気がするのですが、それがイメージできないのです。
ただ、別に授業以外でも『学び合い』の考え方は使えるのかもと思うようになりました。
生徒たちと話すときの私の基準は、"社会に出たときにやっていけるか、まわりにどう思われるか"です。
生徒たちの50年後、60年後を想定できているかといえばまだまだですが、社会に出て幸せに生きていってほしいという願いは変わりません。
生徒たちの一生涯の幸せを願い、そのために自分にできることをするのが、私のすべきことなのでしょう。
その"自分にできること"のレベルを少しずつ上げていけたらいいなと思います。