「しないこと」と「してあげること」

「優しさ」には大きく分けて2種類あると思う。

 

1つは、「しない優しさ」。

論語』にあるところの「己の欲せざるところ人に施すことなかれ(自分がしてほしくないことは人にもしてはならない)」がイメージとしては近い。

 

もう1つは、「してあげる優しさ」。

こちらの方は、『新約聖書 マタイの福音書』に「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」とある。

 

「どちらがいいんだろう?」と考えてみるものの、なかなか答えは出ない。

 

思いは表現しなければまわりに伝わらない。一方で、良かれと思ってやったことが相手にとっては大きなお世話、おせっかいだなんてこともありうる。

 

私は、以前はわりと前者の「しない優しさ」の方に傾きがちだった。

私自身HSP傾向があるせいか、相手の「嫌だなぁ」とか「イライラする」といったようなマイナスの感情を比較的察知しやすいのだ。相手がそういった気分の時は安易に声をかけてしまうと、相手の心に土足で踏み込むことにもなりかねない。だから、そばで見守るものの声はかけないことの方が多かった。

 

ただ、それだと私自身が疲れてしまう。終始、相手の見えない心情に振り回されてしまうからだ。

「しない優しさ」は気付かれにくい。

 

そのため、最近は「してあげる優しさ」の比重を多くするようにしている。

実際に自分の思いを表現しなければ相手には届かない。

 

相手に喜んでほしいと思えば、プレゼントをしたりLINE等でメッセージを送ったりする。

「ありがとう」と相手に感謝を伝える。

心配なら「大丈夫?心配しているよ」と声をかける。

 

おせっかいになることを気にして何もしないでいるよりは、行動に移してみた方が良さそうだ。

相手の反応が微妙だったら「あぁ、こういうときはこの対応じゃない方がいいんだな」とわかるし、相手が喜んでくれたらもうそれだけで自分もうれしい。

 

とはいえ、もちろん「しない優しさ」も大切だから、2つの間をゆらゆらとたゆたいながら生きていくのかなぁと思う。

「宅配便の人に気を使う人」を見て思ったこと

「宅配便の人に気を使う人」というのをTwitterで発見。

 いろいろな反響があるらしい。

 

「宅配便の人に気を使う人」を見て思い出したのが、数年前アパートで一人暮らしをしていた時に起こった出来事だった。

 

私は大学進学を機に寮やアパートでの一人暮らしを始めたのだが、それまでは実家に住んでいたため、家に自分以外の誰かしらがいるような状況で育った。しかも田舎育ちなので防犯意識も低かった。

 

ある日、”NHKの人”が訪ねてきた。たしか要件は「NHKを視聴しているかどうかの確認」だった気がする。

 

その当時私の部屋にテレビはなかった。そもそもテレビがないのだから、見ようにも見れない。

 

NHKは見ていません」とインターホンで伝えたのだが、「それでも確認しなければならないので」的なことを言われたため、私は「顔見て話せばわかってもらえるかな」というような安易な考えでオートロックを解除してしまった。

 

ピンポーンとチャイムが鳴る。ドアののぞき穴(?)から見てみたのだが、ドアのわきに立っているらしく姿はよく見えない。しかたないのでドアを少し開けたら、入ってこられそうになり、慌ててチェーンをかけて対応した。

 

「見ていなくてもテレビはありますよね?」

ワンセグでも見れますが」

などといろいろ言われた気がするが、「そもそもテレビを持っていない」「ワンセグが使えない携帯である」と繰り返し、何とか帰ってもらった記憶がある。

 

その後、NHKの受信料調査などについてちょっと調べてみたのだが、NHKをかたってアパートの部屋に侵入する手口があることを知り、ぞっとした。たしかにあのときは、「本当にNHKの人かどうか」を確認していなかった。数年前のことなので細部まではっきり覚えているわけではないが、怖かったことは今でも忘れられない。

 

この1件があってから、事前に宅配便が届くとわかっているとき以外は誰が来ようとまずはチェーンを掛けて対応するようになった。

 

 

また、先日Facebookで「引っ越しの時に隣の人に挨拶をしに行ったら驚かれた」という内容の投稿を目にした。

 

私は今までの人生でアパートの部屋に引っ越したことが2回あるが、どちらのときも隣人に挨拶はしなかった。もちろんその後エレベーターや玄関等で会えば会釈することはあったが、防犯のことを考えるとわざわざこちらから挨拶しにいかない方がいいかなと思ってのことだった。

 

「宅配便の人に気を使う人」もそうだし「引っ越した際に隣に挨拶するのか問題」もそうだが、SNS上の投稿を見ていて、自分の中で

”男性だからできることなんだろうな”

と思ってしまうフシはある。

 

最近は自己責任論が跋扈する世の中である。自衛していたとしても、何か起これば「対策が甘かったんじゃないのか」「自己責任だ」と叩く人が多い気がする。

 

女性の一人暮らしは男性のそれと比べて危険度は明らかに上がる。相手からどう思われようと自衛せざるをえない場面もあるはずだ。

 

私一人がこんなことを書いたところで社会は変わらないだろうけど、「自衛せざるを得ない人」が存在することを知ってもらえるだけでも少しは違うのかな、と思う。

 

日常のちょっとしたところにジェンダーの問題が潜んでいるのだ。

福岡『学び合い』の会に参加しました!

昨日、福岡の『学び合い』の会にzoomで参加した。

あまり突発的に行動しない私にはめずらしく、開始1時間前くらいに「参加したいです!」と連絡したのだが、快く受け入れてくださった。

 

前半が自己紹介、後半がチャットに出たトピックについてみんなで話していくフリートークという形式だった。

 

「福岡の会は自己紹介と近況報告が長いんですよ。いつも1時間くらいかかります笑」

ホストの方がそう言って笑っていて、内心「でも10人ちょっとだし、さすがに1時間はかからないだろう」と思っていたのだが、結局しっかり1時間かかっていた笑

 

後半のフリートークでは、今までと違う状況の中でどのように『学び合い』を実践していくかということと、見取りと声かけについて話した。

 

若手・中堅から出たアイディアに対し、管理職の先生が「管理職の立場ならこう言うかなぁ」とか「こうしたら?」とアドバイスをし、みんなで内容を掘り下げて考えているを聞いていて、いい関係性ができているんだなと感じた。

 

●「どういう距離感をとりたいか」を子どもにアンケートをとり、色分けできたら良いのでは。それに加え、保護者に電話をかけて「お子さんはこう考えているけれど、おうちの方はどうですか」と聞く。それにより、どのような距離感をとるかについて子どもたちの裁量が増やせるのではないか。

→(管理職的には)個々の家庭、クラスで違いがあってはいけない。隣のクラスや学年主任はどう思うのかも聞いてみた方がいい。

●新しい生活様式に合った『学び合い』をするにはどうすればよいか、子どもたちに聞いてみたらホワイトボードを使う案が子どもたちから出てきて、教師の自分が考えるよりもいいアイディアが出てきそう。

→ホワイトボードは活用できそうだが、みんなが触ることによるリスクもあることを考慮に入れておいた方がいい。

●自分は横を向かず、パペットを友だちの方に向けて説明するという手もある。

 

 

個人的には、見取りと声かけについて現場の先生方の考えを聞くことができたのが大きな収穫だった。

 

昨年の支援プロジェクト(長めの教育実習のようなもの)で『学び合い』の授業をしたときに、自分には見取りと声かけが甘いと痛感していた。

ただ、何というか、”いまさら感”があり、ゼミで見取りや声かけについて質問するのは憚られていた。

 

●見取りと声かけの際は子どもの背景まで考えることが重要。

→今までAさんにずーっと声を掛けようかどうしようかと迷って声を掛けられなかったBさんが、授業でAさんに説明を始めたのを見て、「今日は教えてくれたね」と今日のことだけを見るのか、それまでの声を掛けられなかった辛さも踏まえて声を掛けるのとでは、見取り・声掛けの質が違う。

●「子どもが今何を見ているのか」を見取る。

●教員は支配したがる→それを乗り越えるのが『学び合い』では大切。

●子どもたちに委ねたときに教員が見せる反応の方がいい。事前に想定していると「そうじゃないんだよな~」と思うことも。

●子どもたちの決断に従う←これを素直に喜べる教師かどうか。

 

特に、「「わかりません」がアウトプットできる場をつくる」、「本当に困っている子は静かに困っている。言わなくても助けてもらえる経験をためていくことが、自分から助けを求められるようになるには必要なのではないか」という内容は心に響いた。

 

フリートークの終盤には、涙を流しながら熱い思いを語るある先生の姿を見て、昨年、『学び合い』の全国大会が福岡で開催される前に、西川先生が「福岡の人たちは熱いよ~」とおっしゃっていたことを思い出した。

 

zoomを使うようになり、全国さまざまな『学び合い』の会に参加することができるようになった。いろいろな会に参加してみると、それぞれ雰囲気は違うんだなぁと実感する。

 

福岡の会は楽しそうで、熱く、アットホームな会だった。

今度は実際に会って、オフラインでお話してみたいな。

SNSでの誹謗中傷について考えたこと

SNS上の誹謗中傷により、テラスハウスに出演していた方が自ら死を選んだ。

 

言葉は他者に何かを伝えるためになくてはならないツールの一つだが、それは時に鋭利な凶器になりうる。

 

「口は禍いの元」

「病は口より入り禍は口より出ず」

「下種の口に戸は立てられぬ」

などなど、古くからことわざとして伝わり、現代にも残っているくらいだ。

 

最近はSNSが発達し、匿名性も高まっているので、この傾向はさらに加速しているように思う。

 

悪意は善意よりも届きやすい。好意的な人はわざわざ何か言ったりせずに見守ることも多いが、叩く人は容易に悪意を向けるし、相手にわかるような形で悪意を示すからである。

 

 

1か月ほど前に、東洋経済ONLINEで脳科学者の中野信子さんの記事を読んだ。

タイトルは「他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病」。

https://toyokeizai.net/articles/amp/346215?display=b&_event=read-body

 

中野さんは、他者に対する「許せない」が暴走し、「正義の制裁」を加える快楽にはまってしまう状態を「正義中毒」と読んでいる。もともと人間の脳は、わかりやすい攻撃対象をみつけ、罰することに快感を覚えるようにできており、誰もがみな「正義中毒」になりうる仕組みを持っているのだそう。

 

正義中毒に陥らないカギは”メタ認知”。

「自分は今どういう状態に置かれているのか」

「自分がこれをしたら相手はどう思うだろうか」

こういったことを客観的に捉えることができるかどうかが重要らしい。

 

SNSにおける誹謗中傷の厳罰化を叫ぶ声もあるが、厳罰化するだけでは事態は好転しないように思う。厳罰化だけで誹謗中傷が減るならもうすでに対策が取られているだろうし、抜け道を見つける人間はいくらでもいる。そもそも中野さんの言うように、脳の仕組みとして「許せないから叩く」という行為に走る可能性を誰もが秘めているのだ。

 

誹謗中傷で自ら命を絶つ人を生じさせないためには、「誹謗中傷をしてはならない」と考える人を増やし、それが社会全体のムーブメントになるようにしていく必要があるのではないか。人間は関係の中で生きる生物である。「(自分の周りの)みんながこう言っている(考えている)から」というのが抑止力になりうると思う。

 

厚生労働省の統計によると、15~39歳の死因の第1位は「自殺」なのだそうだ。医療が発達し、さまざまな病気を治すことができるようになったとはいえ、「自殺」が死因の第1位に上がってしまうというのは心が痛い。

 

子どもたちがSNS等での誹謗中傷により自ら命を絶つ選択をしないために、教員としてできることは何か。

今のところは、つらいときは逃げることができるようにすることや安心できる人とのつながりを作ることの大切さを繰り返し語ることなのかなぁ、とぼんやり考えている。

必要に迫られて覚えた、学校現場で使えそうなExcel関数(初級編)

西川研では年に何度か西川先生が書いた図書の購入希望をまとめる。

ゼミ生や公開ゼミにいらっしゃったお客様は、著者割(2割引き)で本が買えるという特典があるのだ。

 

昨日のゼミで「年に何度か購入希望の調査をするなら、専用のGoogleフォームを作った方がよいのでは?」という提案があり、私がそれを作ることになった。

 

いつもなら30分かからずに作れるのだが、フォームの設計を間違えてしまい、1時間以上かかってしまった。

 

データを収集する際は、そのデータをその後どのように使いたいのかということを考え、後々使いやすいように収集方法を設計することが大切だとつくづく思う。その「収集方法の設計」が広い意味での「デザイン」でもあるのではないだろうか。

 

例えば、今回の場合だと「誰がどの本を買いたいのか」がわかるだけでは不十分なのである。購入したい本にチェックをつけるだけの設計にしてしまうと、人海戦術で各書籍の希望冊数を数えるという地獄の作業がもれなくついてくる。

 

データ収集後、購入希望者から代金を徴収したり、西川先生にどの本が何冊必要か連絡したりすることを考えると、「誰がどの本を何冊買いたいのか」がわかるようなフォームを作らなければならない。また、フォームはスプレッドシートExcelのようなもの)と連携して集めたデータを表計算ソフトに落とし込むという便利な機能があるので、スプレッドシート上で操作しやすい形でデータを集めるという視点も欠かせない。

 

初歩的なことなのだろうが、上記のことはわりと重要なポイントだと思う。

それに気づかなかった昨日の私は、フォームの作り直しを余儀なくされてしまった。

 

また、フォームと紐づけられたスプレッドシートに関数を組み込む作業も、思いのほか時間がかかってしまった。ただ、スプレッドシートExcelの関数はほぼ一緒なので、その点はとても助かる。

 

Excelの関数は便利だ。一度設定してしまえばあとは数値を入力するだけで自動で計算してくれる。

 

ただ、いかんせん関数の種類が多い。しかも、初心者にはぱっと見で何ができる関数なのかわからないことも多い。だから敬遠してしまいがちである。

 

私も講師になる前は、「SUM(合計)」と「AVERAGE(平均)」という関数くらいしか使えなかったのだが、必要に迫られ、「学校現場で使う関数」を一つ一つ覚えていった。

 

Excelが使える先生が作ったシートのセルを見て、そこで使われている関数をググる

  ↓

●その関数で何ができるのか知る

  ↓

●「お、これ使えそう!」と思ったら、自分でも実際に使ってみる

これの繰り返し。誰に教わるわけでもないので、”セルフOJT”状態だった。

 

その”セルフOJT”で覚えた「学校現場で使えそうな関数」がこちら。

LANK関数→テスト結果の順位表を作れる。

COUNTIF関数→課題提出状況一覧を作る時、課題未提出者の人数を自動で数えてくれる。

RANDOM関数→小テストの順番をランダムに並べ替える時に便利。

(シート名)!(セル名)→指定したシートの数値を別のシートに反映させることが可能。

ググらずとも使えるようになったのはこの4つ。

 

あと、関数ではないが掛け算を「*」、割り算を「/」で表現することもこのときに知った。

 

結局、人は必要に迫られないと新しいものを使えるようになろうとは思わないんだなと感じる。それがなくてもやっていこうと思えばやっていけるし。

ただ、こまごまとした事務作業はすべて人の手でやるよりパソコンを使った方が早くて正確である。

 

全員が全員Excelに精通しなくてもいいとは思うが、ある程度は知っておいた方が楽になりそうだな、というのは現場で働いて得たライフハックのひとつ。

M1さん、西川ゼミにいらっしゃい♪

今日は西川研の新入生歓迎会だった。

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今年は4人の新入生を迎えた。みんな『学び合い』に何かしら惹かれるところがあって入ってきた人ばかり。個性的で素敵なM1さんを迎えることができてほっとしている。

 

私は19時からのバイトのシフトをずらすことに失敗したので、乾杯(水)と自己紹介を高速で済ませ、開始20分で消えるというヘンテコな参加のしかただった。

 

それでも運転中にzoomをつなぎ、飲み会に耳だけ参加するという離れ業をひそかにやっていた。

zoomでの飲み会は場所を選ばないので、こういう不思議な参加のしかたも可能になる。

 

最初は(言い方はあれだが)”猫をかぶっている”M1も、数ヶ月経てばだんだん地が出てくる。その”地”がその人の魅力だし、「その人らしさ」なのだろう。

 

もうすでに”地が出ている”のも何人かいるのだが、M1がこの1年でどう化けるのか、今から楽しみでワクワクしている。

 

何はともあれ、M1のみなさん、西川研にようこそ。これから一緒に"日本の教育を変える"ためにいろいろ仕掛けていきましょう。

『グラスホッパー』(伊坂幸太郎)読了

伊坂幸太郎さんの『グラスホッパー

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

 

 ゼミ生のTwitterを見て伊坂さんの作品がおもしろそうだなと思い、Kindle Unlimitedに『グラスホッパー』があったので読んでみた。

 

「文章や展開の疾走感がすごい」というのが読後の素直な感想だ。

 

視点がくるくると移り変わり、事態の緊迫感が伝わってくる。(殺し屋ばかり出てくるので緊迫せざるを得ないのだが)

 

ただ、視点は移り変わるもののどこかで必ずつながっているのだ。伏線の回収が上手いなぁと思う。

 

いい意味で裏切られるし、「こうくるかぁ」と唸ってしまう場面もたびたび出てくる。

 

井坂作品はこれが初めてだと思っていたのだが、「そう言えば『陽気なギャングが地球を回す』読んだことあったなぁ」と、ふと思い出した。

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

 

陽気なギャングが地球を回す』は型破りな銀行強盗4人組のお話。『グラスホッパー』のような疾走感もあるが、"陽気な"とつくだけあってユーモアも満載(だった気がする)

 

また読み直してみようかな。