前任校の歓送迎会

前任校の歓送迎会にお招きいただき、参加してきました。

 

授業参観とPTA総会があったので、会場に着いたのは会が始まってから1時間後。

 

部屋に一歩入ったら、懐かしい顔ぶれに胸が熱くなりました。

 

なんだか"二度と戻れないホーム"に戻ってきた感じ。

 

たった1時間だけだったので、お世話になった先生方と十分にお話しする時間が取れませんでしたが、それでもあのときの空気感に束の間浸ることができてうれしかったです。

 

初任校の先生方や保護者の方々、地域の方、そして生徒たちに育ててもらったんだというのを改めて感じました。

 

またどこかでお会いできるといいなぁ…

夫の誕生日でした

今日は夫の誕生日だったので、リクエストにお答えして、夕飯は鶏肉とトマトのカレーとキーマカレーのあいがけプレートでした。

 

プレゼントした服も「サイズぴったり!」と気に入ってくれたようで何よりです。

 

「もうプレゼントは毎年服がいいなぁ」とのことだったので、私もプレゼントのジャンルから考える手間が省けて、お互いにWIN-WINですね。

 

私はひと足先に30代に突入していたので「あなたも30歳じゃん笑」と、おどけて指差したら、同じようにおどけて私を指差してくる夫。

 

私は冗談が通じないことが多いのですが、夫のおかげでだいぶ ふざけられるようになってきました。

 

日々、当たり前のように家事を分担してくれてありがとう。かゆいところに手が届いて、いつも助かっています。お誕生日おめでとう。

(と、夫がこのブログの熱心な読者であることを利用して、ブログにメッセージを書く妻がここに一人)

持続可能ではない働き方をしている自分

持続可能ではない働き方をしている自覚はありますが、なかなか変わりません。というより、私自身が変われていないのかもしれません。

 

19時に帰れればまだいい方で、20時過ぎに学校を出ることも最近は多いです。

 

半日以上職場にいると考えると、働きすぎの自分にちょっとゾッとしますが、それでもやりたいことや、やらねばならないことがたくさんあってジレンマを抱えています。

 

そんな自分に刺さったのが、「できればもっと早く帰ってきてほしい。心配」という夫の言葉。

 

大切な家族にそんな思いさせてまで働きすぎる必要はないんですよね。

 

自分の仕事を精選して、思いきって減らす時期が来たんだと思います。行動に移さねば。

まずは「言われてすぐできる」を習慣化しましょう

先週は「隣の芝生は青い」なんてブログに書きましたが、できていないところばかり見ていてもお互いに辛いだけだよなぁ、と思い、少しアプローチを変えてみました。

 

・事前に「◯◯お願いね」と係の生徒にお願いしておく

・2分前だからそろそろ準備して席に着くよ〜」と声をかける

 

お願い・声かけ作戦です。

 

幸い、担任しているクラスの生徒たちは、頼まれたりお願いされたりしたら素直にやってくれる人たちが多いです。

 

5限前も、昼休みの終わりから「席着くよー」「準備して座ろうねー」「チャイムスタート意識するよー」とひたすら声をかけ続けると、約8割はすっと座ってくれました。それを見て「時間意識する人が多くていいね」「すぐに座ってくれる人は素敵だなぁ」などとプラスのフィードバックをしました。

 

さらに、終学活では「5限前はチャイムスタートができていて良かったです。明日も時間を意識して行動しようね」と畳みかけました。

 

また、ここのところ教科連絡係がうまく動けておらず、クラス全体の忘れ物が多かったり、後ろの黒板に次回の授業の内容が書いてなかったりしていました。

 

そのため、「教科係さん、よろしくねー」と全体に声をかけた後、「◯◯さん、3限は数学だから終わったら聞きにいくんだよ」と個別に声をかけることにしました。

 

そのせいか、今日の終学活の後ろの黒板は、ほとんどの教科の連絡が書いてありました。

 

「言われなくてもできる」が最高だけれど、当分の間は「言われてすぐできる」を習慣化していく方針でいこうかな。

週1回の夫婦の軌道修正タイム

一緒に暮らすようになってから、夫とは週に一度、お互いに「何か気になっていることはない?」と話す時間を作るようにしています。

 

日常生活のちょっとした違和感を放っておくと、後で不満を溜めたりイライラしたりする原因になるからです。

 

お互い育ってきた環境が違うため、「当たり前」の基準も異なります。

 

知らないうちに相手が嫌がることをしてしまっている可能性もあります。

 

違和感を溜め込んだり、それによって心の距離が遠ざかってしまったりしないように、軌道修正をするためのこの時間は大切です。

 

もちろん、耳に痛い話を聞くことになることもあるので、自分の改善点は受け止めねばなりませんが。

 

互いに心地よく過ごせるよう、歩み寄りの姿勢を忘れないようにしたいです。

国語の時間にエンドレス山菜トーク

給食前の4時間目に3年生の国語の授業がありました。

 

ノートを書くタイミングでしたが、いわゆる"不規則発言"が止まりません。

 

「昨日の夕飯が思い出せない…」

「それ、おじいちゃんじゃん!」

「俺んちの昨日の夕飯、天ぷらだった、山菜の」

「なんの天ぷら?」

「あれなんだっけ、なんとかアブラ、あぁ、コシアブラだ」

 

そのうち止まるかなと思って、とりあえず様子を見ていたのですが、おしゃべりは止まりません。

 

コシアブラが出てきた後、"こごめ"だの"わらび"だの"ぜんまい"だの、山菜の名前が次々出て来た挙句、その3つの違いは何なのかと山菜談義に花が咲きます。

 

これは私が介入しないと終わらんなと思い、「タブレットで調べるからちょっと待って」と声をかけ、「こごめ わらび ぜんまい 違い」で検索し、モニターに画像を出しました。

 

「おぉー」「全部同じじゃん!」と声を挙げる生徒たち。

 

「こごめは茹でて全部食べれる、わらびとぜんまいは、くるんとしたところは食べないし、あく抜きしないと食べられないのよ」と食べ方まで説明して、「はい、山菜はこれでおしまい」と授業に引き戻しました。

 

この時間の授業は山菜トークのおかげでほぼ進みませんでしたが、まぁ、生徒たちと関係性を作るという点では良い時間だったのかもしれません。