”ググる”の次は”つべる”!?

今朝何の気なしにtwitterを眺めていたら、ある言葉と衝撃的な出会いを果たした。

それが、「つべる」。

 

YouTubeで見てみる、検索してみる」という意味らしい。

語源はYouTubeのローマ字読み「ようつべ」。

youngjapanesedic.com

 

理解語彙(知っている言葉)でも使用語彙(使える言葉)でもない言葉と出会うと、元言語学主専攻の血が騒ぐ。

ググる」の次は「つべる」かぁ、とちょっと感心してしまった。

 

確かに、今のYouTubeは様々な解説動画であふれている。

動画は短時間でポイントをおさえたものでないと誰も見てくれないため、わかりにくくだらだらしたものは淘汰され、わかりやすいものだけが残る。

中田敦彦さんのYouTube大学や、葉一さんの「とある男が授業してみた」などが良い例ではないかと思う。

www.youtube.com

www.youtube.com

(ちなみに私が所属する西川研究室もYouTubeチャンネルを持っている。チャンネル登録者1000人を目指して、日々せっせと動画を上げているのでもしよろしければご覧ください)

www.youtube.com

 

私は何かわからないことがあってもYouTubeで検索しようとはならず、ググるのがメイン。そもそもYouTubeを検索ツールだと思ったことがない。

 

ただ、私の後輩は教員採用試験の勉強のためにYouTubeの解説動画を使っていたという。

educationforx.com

 

また、ゼミの同期は『イノベーションのジレンマ』等の難しそうな経営についての本の内容を理解しようとするのに、YouTubeの動画を活用しているらしい。

www.youtube.com

 

今の中学生・高校生はデジタルネイティブスマホタブレットがあるのが当たり前の生活を送っている。

「つべる」のも日常茶飯事なのかもしれない。

 

そう思って、今日の授業中、「授業の内容とは1ミリも関係ないんだけど…」と前置きし、「”つべる”って知ってる?」と現役高校生に聞いてみたら、大半がぽかんとした顔をしたり、首を振ったりしていた。

 

んー、「つべる」って誰にとっての使用語彙(または理解語彙)なんだろう?笑

 

でも「つべる」という言葉が発生したということは、娯楽ではなく勉強用や検索ツールとしてのYouTubeの立ち位置が確立したということなのかな。

『先生のためのアドラー心理学 勇気づけの学級づくり』(赤坂真二)読了

この4連休中、「現在自分が抱えるタスクとは別の本を読む」という目標を立てた。

読んだのは、私が所属する教職大学院の同じコースで教授をされている赤坂先生の本。

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

  • 作者:赤坂 真二
  • 発売日: 2010/01/07
  • メディア: 単行本
 

アドラー心理学は、大学院に入ってから興味を持ち始めた。

 

アドラー心理学」「クラス会議」「勇気づけ」などは普段からよく聞く言葉だったので、それに関して本を読んだり調べたわけでもないのに、勝手に私も知っているような気になっていた。

 

だから「アドラー心理学興味あるんだけど、全然本読んでないんだよねー」とゼミ室でぽろっとこぼしたら、「アドラー心理学そのものについての本より、これの方が読みやすいと思うよ!」とゼミの同期がこの本を貸してくれたのだ。

 

努力を認めるということは、結果ではなく、その取り組もうとしたことや取り組む姿勢に注目するということです。(p.69)

 

大事なことは、子どもが失敗しても不快な感情を出しても、教師が誠実に対応するということです。「私はどんな状態のあなたも見捨てません、迷惑がりません」ということを示すのです。もちろん、そのメッセージは一度で伝わるものではありません。一回一回、誠実に対応するのです。(p.72-73)

 

私が子どもを勇気づけるときに大事にしてきたことは次の三点です。

①期待しないこと。あきらめないこと。

②対象を尊敬すること。

③勇気づけたかよりも、勇気づいたか。(p.75)

 

集団への指導と、それとかかわる個への勇気づけは、教師だけができることなのです。スクールカウンセラーも、親も、直接、子ども集団に働きかけることはできません。しかし、教師はやろうと思えば、その時間も場所も確保されているのです。(p.130)

 

上手く言葉にはできないけれど、なんだか今非常勤先の授業で抱えている課題というか、「どうしよう」とモヤっとしていることに対するヒントがたくさんあった気がした。

 

特に「期待しないこと」と同時に「あきらめないこと」というのは大切だなと感じた。

 

生徒たちの不適切(だと私か感じる)行動に対して、「私が注意したところでたいして変わらないんだろうなぁ」という一種のあきらめと、「それでも何とかしたいし、課題に向き合ってほしい」という思いの間で葛藤を繰り返す日々。

 

生徒に「個別に注意した方がいいと思います」と振り返りシートにコメントされては、「そうじゃないんだけどなぁ…」と思いつつ手立てを打てないまま見逃していた。

 

いい意味で「期待せず」に、それでもあきらめず自分にできることを模索してやってみることが必要なのかなと思う。

 

『学び合い』でうまくいっていないときは「学び合い」の本に立ち戻るというのはひとつのセオリーだけれど、ときには直接関係なさそうな本に手を伸ばしてみるのも重要なことなのだろう。そこに突破口があるかもしれないし。

 

来週には2学期の中間考査が始まる。

私にとって、授業担当者としての評価が下るということでもある。

授業と考査がきちんと結びついているかどうか確かめる良い機会になりそうだ。

「進学・就職実績」以外でキャリア教育を売りにしている高校はあるのだろうか?

キャリア教育の研究を進めている。

プロトコル分析のため、今はインタビューデータを文字起こししている。

 

正直プロトコル分析するまでもなく、言いたいことははっきりしている。

企業で働く方の中には、働く際に必要な力として異世代・年齢が離れた方とのコミュニケーション能力を挙げる人が多いが、高校教員はそれほど重要視していない。そして、そうしたコミュニケーションの機会は高校ではあまりない

 

この主張の蓋然性を高めるために、時間を見つけてはインタビューデータをカタカタと文字にしている。

 

そしてもう1つ。

全国の都道府県教委に「キャリア教育の事例、特に地域の方々や地元の企業と関わるようなキャリア教育の事例があれば教えてもらえませんか」と片っ端から電話をかけている(と言っても、今は北陸で止まっているのだが)。

 

都道府県教委の返答はさまざまだ。

「こんな事例がありますよ」とデータを送ってくださるところもあるが、「キャリア教育は各高校に任せています」というところも多い。

 

それではキャリア教育を売りにしている学校があるか、というと「うーん…」という感じ。

 

学校のHPに進学実績や就職実績用のページを作っているところはあるが、「これこれこのようなキャリア教育をしています」とキャリア教育について明示しているところは(私の知る限りだが)あまり見ないし聞かない。

 

進学実績や就職実績イコールその学校の評価となっているせいなのか。

高校の出口としてはわかりやすいし明確だからなぁ。

 

それに至るまでのキャリア教育も大切だと思うのだが。

 

高校のステークホルダーである保護者・生徒の多くがキャリア教育そのものよりも進学・就職実績の方を望んでいるからなのかもしれない。

 

一方で、働く際に必要な力について知っている高校生はどれくらいいるのだろうか。

高卒就職者の約4割が3年以内に離職すること、その離職理由、そうならないためにどうすればいいか理解しているのだろうか。

 

高卒で就職する生徒の割合は近年少しずつだが上昇している。

きっと今後も増えていく(はず)。

 

キャリア教育を売りにしたり、デュアルシステムを組み込んだりした高校が出てきてもおかしくない。もしかしたらもうあるのかもしれない。

 

ちょっと調べてみよう。

 

もし知っている方がいれば、ぜひ教えてください。

きっとどこかで誰かの言葉に背中を押してもらっている

自分でやろうと決めて行動に移したと思っていることも、きっとどこかで誰かの言葉に背中を押してもらっているのだろうと思う。

 

「やってみたら?」

「それいいね!」

「やらなきゃもったいないよ〜」

「きっとできるよ」

「一緒にやろうぜ!」

 

"一歩踏み出す力をくれる言葉"がこの世には無数に存在する。

 

こういう言葉は、「誰に」言われたかというのも重要なポイントだったりする。

 

身近な人だからいいというわけでもない。

親の言うことは「うるさいなぁ」と感じるのに、SNS上の名も知らぬ人の何気ないつぶやきが心に刺さることもある。

 

教師の言うことは右から左なのに、友達の言うことはすっと心の中に入ってきたりする。

 

誰かが前向きな一歩を踏み出せるような言葉を届けられるような人になりたいと思う。

 

いつ誰に背中を押してもらったかは、よほどのことでない限り覚えていないので、そうした人たちへの「恩返し」というより、自分のまわりの人や次の世代を担う生徒たちに「恩送り」をしていくことが大切なのかもしれない。

西川研究室に置いていかれないために

最近、インプットが圧倒的に足りていない気がする。

 

理由は簡単。

本を読む時間を捻出できていないからだ。

 

平日は非常勤の授業と連携プロジェクトでみっちり。家に帰ると頭も体もオフになってしまい、本を読む気にならない。

 

休日のうち1日は休息のため空けておく。残るはあと1日だが、そこには研究が入ってくる。

 

非常勤・連携プロジェクト・研究という今自分が抱えるタスク以外の分野になかなか目が向かないのだ。

 

読書は好きだが、インプットのための読書は頭を使う。エネルギーがないと優先順位が下がってしまう。

 

今は自分のタスクのことで頭がいっぱいなので、ゼミのことは正直二の次三の次。

 

それでも西川研究室はどんどん前に進んでいく。

 

・今までゼミの動画を1回分まるまるまとめてYouTubeにのっけていたのだが、質問ごとに分割してアップするようになった。

www.youtube.com

 

・西川研究室のOBOGにインタビューする企画が立ち上がった。

 

・越後『学び合い』の会の申し込みが解禁になった。

www.kokuchpro.com

 

私はこれらにはほとんどノータッチ。

 

全体ゼミ中にその場で話を聞いていても、話の内容が耳から耳へ通り過ぎているような感覚がある。

 

自分がちょっと置いていかれてる感は否めない。ゼミのみんなが輝いて見える。

 

西川研究室に貢献したいという思いはあるけど、自分で自分のタスクを増やしてしまっているのでそれらでいっぱいいっぱい。「まずは自分のことをやるべき」というのと「ゼミのために何もしてないのはわがままなんじゃない?」というのが常にせめぎあっている。

 

私は基本わがままな人間だ。我を通そうとする。一応その自覚はあるから、このままでいいのかと悩む。

 

とりあえず、新しい風を自分の中に吹かせないと、視野が狭くなって確実に置いていかれる気がする。

 

 

ゼミ生と話していて「ちょっと最近インプット足りてないんだよね」とこぼしたら、「これすぐ読めるから!」と赤坂先生の本を貸してくれた。

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

  • 作者:赤坂 真二
  • 発売日: 2010/01/07
  • メディア: 単行本
 

 

アドラー心理学は気になっていたので、さっそく読んでみることにした。

 

行動しなければ変わらない。

 

この4連休中のうちせめて1日はインプットのために時間を割くことにした。

学校での印刷作業効率化のコツをいかにして体得したか

学校に入っている印刷機コピー機はどこも似通っている。

教育実習や大学院の学校連携プロジェクト、講師先等、今までに5か所くらいの職員室、印刷室を見てきたが、印刷機のスペックや使い方はほとんど一緒だ。

 

以前の講師先では学年関係のしおりやお便り等の印刷は副担任の仕事だったので、1学年300人を超える生徒分の印刷をよくしていた。

 

おかげで印刷機の使い方にはかなり慣れた。

コピー機印刷機の使い分け(一定枚数以下はコピー機、それを超えると印刷機

・クラスごとに分ける場合は、全員分いっきに印刷するのではなく、印刷数をクラス人数分に設定し、クラスごとに印刷する(最初はよくやりがちだが(私だけか?)、全員分一気に印刷すると後で分けるのが大変)

・マスターの捨て方

・マスターやインクの補充方法

・紙が詰まった時どこを開けて取り除けばいいか

・スキャナーとしての使い方

・冊子状にコピーする方法

・部単位印刷かページ単位印刷か

・変倍方法(用紙指定変倍は働き始めてから知った)

 

こうした印刷作業効率化のコツは、作業中に先輩の先生から教えてもらったり、自分で試行錯誤したりしながら覚えていった気がする。暗黙知的な部分なので、実際にやってみないとわからないことも多い。

 

特に私は国語科で縦書きの文章をよく印刷していたので、しょっちゅう天地を間違えては「あああああ!」となっていた笑

 

おかげでちょっとしたトラブルシューティングもお手のもの。

 

いろいろな文書を印刷してきたので、今では相手の要望をもとにどう印刷すればよいか瞬時にイメージすることができるようになった。

 

些細なことかもしれないけれど、事務仕事の負担感が減るのは実は大きい。その分の時間を他に使える。紙も節約できるし。

 

↑この能力は、絶賛奮闘中の学校連携プロジェクトでも遺憾なく発揮されている。

 

今日も、天地逆になった原稿数枚をもとに戻して10部印刷しホチキス止めするという作業を、1時間目が始まる前の10分足らずで仕上げて颯爽と後輩に渡した際、「え、すげぇ!」と言われたのだが、私にとっては朝飯前なのである。

 

全てペーパーレスになればこの能力もお役御免になるのだろうけど、当分は重宝しそうだな。

”その人だから”人が集まってくる

木曜日は週に1度の「丸一日授業デー」。

他の曜日は午前・午後どちらか半日だけなのだが、木曜だけは一日中学校にいる。

 

そんな木曜日の楽しみは、お昼の時間に国語科の先生とお話しすること。

お昼ご飯を食べながらおしゃべりに花を咲かせている。

 

今日のおしゃべりの中で印象的だったのは、その先生のお友達の話だった。

 

先生のお友達(Aさんとする)は最近公民館で働き始めたそうだ。

その公民館はほとんど人が来ないためがらんとしており、Aさんも「ただいるだけでいいから」と言われてその仕事を始めたらしい。

 

しかし、Aさんが働き始めてからその公民館は人でごった返すようになったそうだ。

その理由は「Aさんとおしゃべりしたい人が公民館に集まってくる」ため。

定時で仕事が終わらないくらい、多くの人がそこに集うらしい。

 

その先生はAさんからその話を聞いたとき、驚いたものの、公民館に集まる人たちの気持ちがなんとなくわかる気がしたそうだ。

それくらい、「Aさんはとてもいい人」なのだという。

 

↑こんな話を聞いて、やっぱり”何を”以上に”誰が”という要素が重要なんだなと感じた。

 

地域の人から大きな信頼を寄せられているAさん。

 

どんな人なんだろう?

きっと素敵な人なんだろうな。

ちょっと会ってみたくなった。