この時期の進路が決まった高校3年生の授業に苦戦した過去

このところ、高校3年生の授業がつらいというツイートをよく見かけるようになった。

 

いわゆる進学校であればこれからが大学受験に向けての正念場だが、AO入試や推薦、就職試験等が終わり、早々と進路が決まった生徒たちが大半の学校もあるだろう。

 

私自身、高校生の時は同級生のほとんどが現役で大学に進学するような環境にいたので、年内に進路が決まる生徒が大半という状況を具体的にイメージできなかった。

 

その状況を目の当たりにしたのは、ちょうど2年前、講師3年目の時だった。高1のときから授業を担当していた学年が高3になり、古典の授業を担当することになった。

 

講師先ではほとんどの生徒が進学するものの、国公立大学を希望する者はまれで、基本私大や専門学校に進学する生徒が大多数だった。理系はもちろんだが、文系であっても入試で古典を使わない生徒ばかりで、正直「私何してるんだろう」と思いながら授業をしていた。

 

秋口以降、AO入試や推薦入試等で進路が決まった生徒が増えてくる。そこからは授業がつらくてしかたがなかった。

寝る生徒、私語をする生徒、話を聞いているフリをしている生徒…

正直授業が成立しているとは言い難い状況だった。

 

 

今思えば、「なぜ授業で古典を学ぶのか」ということを生徒たちに伝えていなかったせいだったのだろう。生徒たちは誰も尋ねてこなかったけど、きっと心のどこかでは疑問に思っていたんだろうな。まぁ、当時それを面と向かって問われても、生徒が納得してくれるような答えは持ち合わせていなかったけれど。

 

古典そのものを学ぶ以上に重要なことがあると思えるようになったのは『学び合い』に出会ったおかげだ。もちろん古典ができるに越したことはない。『源氏物語』等の教養は国語の教員としては知っておいてほしいなとも思う。でも、みんながみんな知っておく必要はないかなと思うようになった。

 

 

今の非常勤先は職業高校なので、就職にせよ進学にせよ現段階で生徒たちの進路はほとんど決まっている。それでも『学び合い』の際に課題に真剣に取り組み、一斉授業形式でも話を聞いてくれる生徒が多い。

 

もちろん生徒たちが内心どう思っているかはわからない。「授業はちゃんと聞くもの」という刷り込みにも似た固定概念があるのかもしれない。

 

それでも、「これから社会に出て幸せに生きていくためには、人と関わって生きていくことが必要」「他者とうまく関わる力をつけてほしいので、学び方に裁量を与えている」という私の思いがクラスの数人でもいいので伝わっているから、ちゃんと取り組んでくれているんだとしたらうれしいなぁ。