『学び合い』の最後の語りのときに感じたこと

昨日の失敗をもとに課題を修正したので、今日は多少リカバーできた。

 

同じ科目を全クラス分担当しているので、あるクラスで何かあったときは、その後他のクラスで修正して様子を見ることができる。

 

ただ、始めの方のクラスを実験台にしているような感覚が拭えない。どの生徒にとってもその1コマは人生に一度のものだからしっかりやらなければ、と思うのだが、毎時間のうまくいかなかったことを修正して次のクラスでやってみる、の繰り返し。もどかしい…

 

今日「うっ…」となったのは、あるクラスでの最後の語りだった。

 

そのクラスは最後の最後で1人だけ終わらなかった。あと数分あれば終わったと思う。

 

しかも、「時間ないからとりあえずサインしてネームプレート動かしちゃえ」ということもなく、その生徒も、確認している生徒も一生懸命だった。

 

それでも時間は時間。(無情にも)「時間だから」と生徒を席につかせた。

 

『学び合い』のテクニック本には、「こういうときにはこんな声かけをしましょう」というさまざまなパターンが載せられており、教室で起こりうることのほぼ全てが網羅されている。

 

もちろん、時間内に終わらなかったときの語りや声かけの例も載っているし、読んだこともある。

 

それでも、40人の視線がいっせいにこちらを向き、課題が終わらなかった1人の生徒を前にして語るのは、ものすごいプレッシャーだった。

 

・社会に出れば、締め切りはよりシビアになる

・自分ができればいい、というのではなく、みんなのミッションは一人残らず全員が達成すること。そのために何ができるか一人一人が考えてほしい

 

こんなことを語って終わりにしたのだが、本当に伝わったのか、言葉の選び方はあれでよかったのか、と頭の中がぐるぐるとしていた。

 

授業後振り返りシートの記述を見ると2割ほどには伝わっていそうなので少し安心したが、気は抜けない。

 

語りは難しい…

そして、真剣勝負は今後も続く。

 

 

ただ、これで今週は終わり。

帰りがけに、試験が終わったら食べようと思っていたミスドの新商品を大人買いした。

https://www.misterdonut.jp/m_menu/new/200703_mochicream/

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ドーナツとおもちのコラボ。

レモン系がさっぱりしていておいしかった。夏が来た感じ。

 

あ、最後はミスドの宣伝みたいになっちゃった。

まぁ、いっか笑

『学び合い』の課題の量と難易度が読めない…

『学び合い』の本には「上位2割の子が10分程度で解き終わる量」というのが、課題の量・難易度の目安として載っている。

 

ただ(当たり前のことなのだが)、課題の量や難易度がその集団の子たちにとって適切かどうかはやってみないとわからない。

 

ある程度教員と生徒集団の間に関係性ができてくれば想定できるのかもしれないが、今の私のようにポンといきなり入ったところでやろうとするのは難しい。

 

今日は完全に私が欲張ってしまった。初回の授業で全員達成したので、いけるかなぁと思ってやってみたけどダメだった。

 

生徒には本当に申し訳ない。

 

「教えてもらってないことを学び合うのは難しい」というような声も出ているので、なぜみんなに任せているかということをちょっと丁寧に語らなければならないのかもしれない。

 

懸念事項が山積だから、明日が終わったらまた立て直そう。

 

うーん、難しいなぁ…

非常勤講師生活スタート

今日から非常勤講師としての生活がスタートした。

すでに、大学院生、(平日は毎日)バイト、(自称)ハンドメイド作家と、二足のわらじどころではなく、四足目に突入しているのだが。

 

今日は午前中2コマ。

終わってみれば、最初から『学び合い』にしてよかったなと思う。

「はじめまして」の先生がいきなり変なことを言いだしても、「あ、この先生はこうやるんだな」とすっと受け入れてもらえた(ように見えた)からだ。

 

・みんなは自ら学ぶ力を持っていること

・社会に出たら自分の得意なことについてはまわりの人に力を貸したり、困ったときは助けを求めたりする意思表示ができることがとても大切なこと

・私は教えないけど、目標設定・学習環境の整備・評価をすること

↑こうしたことを授業のはじめに語って、「では始めてください」と生徒たちに委ねた。

 

教材は、村上春樹の「青が消える(Losing Blue)」。独特な比喩が多く、「世の中から青が消える」という設定も特殊で、村上春樹ワールド全開。

生徒の初読の感想を読んでいたら「何を言いたいのかわからない」という感想が多数。

うんうん、よくわかる笑

でも「何を言いたいのかわからん」という生徒が今後どう変わっていくかは楽しみでもある。

 

最初の内はあまり動きがなく、しーんとして読んでいたのだが、私の方をちらっと見ながら小声で「辞書貸して」と隣に頼む子がいた。「本当に教師の方を確認する子がいる!」と内心思いながら、「ひそひそとでも声出してもいいよー。うるさいとか静かにしろとか言わないからねー」なんてうろうろしながら声をかけた。

 

行動を価値づけしていくと、だんだん動く生徒が増えていく。実に素直だと思う。

 

最初のクラスは終了5分前に全員達成していた。難易度も量もよくわからなかったので「これくらいかなぁ」と思って作ったのだが、とりあえずよかった。

 

課題は…

いろいろあるけど、一番は「遅刻してきた子をどうするか」かなぁ。

大幅に遅刻してきた子以外は課題を達成したときにどう語るか。

「遅れてきたとはいえ、クラスの一員なんだから、全員達成するためにみんなができたことがあったはずだよね。次回は全員達成できるように何をすればいいか考えて動いてください」みたいなことを語ったけど、正直テンパっていたのでこれで良かったのかどうかはわからない。

 

うーん、むずかしい…

 

とはいえ、明日も授業はあるので、今日の反省をもとに課題と語る内容を考えよう。

西川研究室のみんなとオンライン授業の本を書いた話

西川研究室のみんなと一緒に書いた本が先日発売された。

子どもが「学び合う」オンライン授業!

子どもが「学び合う」オンライン授業!

 

 私も執筆者の一人なので、自分が書いた章の後ろと本の最後に名前が載っている。

まさか、世に売り出される本に自分の名前が載ることになろうとは。

 

4月頃「オンライン授業の本を書こう!」と決まってからは早かった。執筆者が決まり、章立てや内容が決まり、あれよあれよと言う間に「本」が出来上がっていった。

 

Googleドキュメントで共有しながら執筆を進め、わかりやすいように設定画面等をひとつひとつスクショし、Zoomでの模擬的な授業の様子を撮影する時はゼミ生で手分けして教師役と生徒役をしたりした。画面に表示されるイラストを描いたのもゼミ生である。

 

本を書くという経験をしたことで、出版に至るまでの経緯というか舞台裏のようなものを垣間見ることもできた。

 

最初はとりあえず書くだけ書いておき、コンセプトや読者のニーズを踏まえて編集の方が「この内容を加えてほしい」とか「この部分は削除した方がいい」等の指示を出し、執筆者である私たちが直す、というのを繰り返す。

 

「本になる前のまとまった文章」を作るまではそんなに時間はかからなかったのだが、そこから本になるまでが体感的には長かった。

画像を何度も撮り直したり、文章を推敲したりする作業を何度も何度も。

しかも西川先生は「いついつまでにやってね」とせかしてくる笑

 

この前、西川先生と共著で広域通信制高校についての本を書いた、同じゼミの現職さんも「西川先生書くの早いし、めっちゃせかされた」と言っていたような…

(その広域通信制高校の本がこちら↓ おすすめです!)

 

この時期にオンライン授業の本を出せたのは大きい。

東京都の感染者は連日200人を超え、全国各地でまた感染者が増えてきている。正式に「第二波だ」とは言われていないものの、うすうす「これが第二波なんだろうなぁ」と思っている人も多いんじゃないかと思う。 

 

夏休みを大幅に短縮して授業時数を確保している学校が多いようだが、そうした”授業時数合わせ”をいつまで続けることができるのかはわからない。

非常勤先に挨拶に行った時も、先生方が「この状況がいつまで続くか…いつまた休校になるかもわからないし」とおっしゃっていた。

 

再度休校になった場合、子どもたちの学びを保障するにはオンライン授業しかないと思う。「デバイスが揃っていないから」「オンラインなんて…」と言っているうちに、子どもたちのつながりも学びも絶たれてしまう。

 

この『子どもたちが「学び合う」オンライン授業!』の本は、初心者でもすぐにオンラインで授業が始められるようなヒントがたくさんつまっている。

心ある現場の先生方、保護者の方などがこの本を手に取って、行動に移してくれるといいなぁと願ってやまない。

『学び合い』やってみたいけどちょっと不安だったので、先輩に相談してみた話

昨日、来週から非常勤講師としてお世話になる学校に行き、引き継ぎをしてもらった。

 

『学び合い』やりたい。

できることなら最初からやりたい。

 

こんな思いがあったので、同じ国語科の先生方に、

「コロナ対策ってどんな感じですか?」

「話し合い活動入れようと思ってるんですけど、どうですかね?」

と、いくつかジャブを打って様子を見てみた。

 

「んー、机をつけて話し合いしたりするのは無理かなぁ」

「常に窓全開にしてるしねぇ」

「そもそも、40人みっちり入ってるから、動き回るのは大変だよー」

 

うすうす感じてはいたけど、ちょっと厳しいのかなぁ、なんて思っていたら、

「でも、休み時間は"密"だからねぇ」とのこと。

…ですよねぇ。

 

雰囲気的に「絶対ダメ!」という感じではなかったので、とりあえずやってみることに決めた。

 

でも、現場でやる『』がどんな感じなのかはいまいちイメージできなかったので、採用1年目の同じゼミの先輩に相談することにした。

 

昨日いきなり「zoomで相談のってください!」とお願いしたら、「いいよー」と快くOKしてくれた!

 

相談にのってもらいつつ、現場での話(本人曰く愚痴)をいろいろと聞いた。

 

その先輩のブログは毎日読んでいるのだが、慣れない場所で悪戦苦闘してるなぁというのが文章から伝わってくる。今日はそこには出てこない話もたくさん聞くことができた。

 

私は院生になる前に講師経験があるので、1年目がどれだけ大変かというのは身にしみてわかっているつもり。最初のうちは「わからないことがわからない」状態だし、どこまで自分の色を出していいのかも読めない。型がないので一から作らなければならず、先の見通しも持ちにくい。1週間をなんとか乗り切るので精一杯だ。

 

しかも、『学び合い』は後出しができないのでプレッシャーがついて回る。コロナウイルスで現場も右往左往している。私の時とは状況が違うので一概には言えないのだが、今年1年目の先生は本当に大変だなと思う。

 

先輩は「なんか私ばっかりしゃべってるね。ごめんねー」なんて言ってたけど、そういう話の方が私にはうれしい。制限が多い中での『学び合い』の授業をイメージしやすいから。

 

話しながら、「そういえばこんなふうに二人でゆっくり話したことなかったなぁ」とふと思った。

 

もっと話しておけばよかったなぁ。

 

でもこれからは私の方が「話聞いてー」とお願いすることが増えるかも。授業が始まったら、きっと一筋縄ではいかないだろうし。

 

いろんな人の力を借りて、とりあえずやれることをやってみよう。

西川研究室は新しいことを始める環境が整っている

最近同じ研究室の後輩の成長(?)がすさまじい。

 

一人は、教採の一次試験が終わった途端、出身地である兵庫の『学び合い』の会を再開させ、事務を引き継ぎ、来週末オンラインで『学び合い』の会をするのだそう。

www.kokuchpro.com

 

西川先生が先日SNSで「『学び合い』の会に参加する人ではなく、『学び合い』の会を主催する人を増やすことが必要」という旨の発信をしていたが、まさにそれを実践している。すごいなぁ。

 

また、西川研唯一の学部生の子は、今日の全体ゼミで「(院生ではなく)大学生や高校生を対象にした『学び合い』の会をやる!」と宣言し、その後2~3時間くらいで「学生による学生のためのオンライン『学び合い』の会!」を立ち上げてしまった。

第一回目の会を8月頭にやるらしい。

kokucheese.com

 

西川研究室では、2週に1度のペースで”『純』喫茶”というオンラインでつながれる場を作ってきたのだが、なかなか高校生や大学生にはアプローチできていなかった。今回、彼は西川研唯一の学部生であるという立場を有効活用して、つながりを作れていなかった「穴」の部分を埋めようとしている。

 

西川研は、何か新しいことを始めやすい環境が整っていると思う。

 

西川先生は私たちゼミ生にほとんど裁量を与えてくれるし、先生のネームバリューというか宣伝力は何かを始める際は心強い。バックに西川先生がいるというだけで安心感がある。

 

そして、頼れる仲間たちがいる。

先ほどの学部生の子は、まわりの先輩たちにいろいろ聞きながら会のコンセプトを決め、告知用のサイトを作っていた。

 

こんな行動力のある素敵な後輩たちの姿を見ていると、私も負けていられないなぁと思う。

「ホームスクール」という選択肢

先日新聞を読んでいたら「ホームスクール」という言葉に遭遇した。

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「ホームスクール」とは「学校に通わずに、時には学校に通いながら、家庭で学習するスタイル」を指すのだそう。オルタナティブ教育のひとつらしい。

homeschool.ne.jp

ホームスクールは親の負担が大きかったり、外とのつながりを意識して作らないと社会性を身につけにくくなったりするデメリットはありそうだが、学校というある種特殊な文化に縛られず、子どもたちが自身の興味関心に沿って学びを深めていけるという点では素敵な選択肢のひとつだと思う。

 

実際に日本でのホームスクールの始め方についてまとめたサイトもあったが、日本ではまだホームスクールがあまり浸透していないため、学校や行政とのやりとりが大変だったようだ。

medium.com

学びの場は学校だけではなくなってきている。

このことに早く気づいて行動を始めないと、早晩子どもたちや保護者に見限られてしまう。

 

今のところ、「学校」以外の選択をすることに対して障壁があるのは事実。広域通信制フリースクール、ホームスクールなどが、現状の学校と同じような学びの選択肢のひとつになればいいなぁと思う。