急に週10コマ以上非常勤講師をすることになった話

急遽来週の月曜日から非常勤講師として働くことになった。

 

今日久しぶりにPプラ(大学の就職支援センターのようなところ)に行き、面接練習の予約をしようと思ったら、いつもお願いしている先生の予約枠はいっぱい。人気の先生なので「まぁ、午後からじゃ間に合わないよな」と思い、研究室に向かおうとした。

そこでPプラの向かいにある講師採用の掲示の欄が更新されていることに気づいた。そこに目が吸い寄せられる。見てみると、高校の非常勤の募集が出ていた。期間は7/20~12/28。

 

正直、迷った。

 

今はまだいいけど、自分の研究があるし、9月以降は連携プロジェクトが始まる。連携先は初めて行くところだから勝手がわからない。しかも平日の夜は毎日バイトが入っている。その上非常勤として働いたらオーバーワークは確実…

 

いったん掲示板の前を通り過ぎたのだが、「とりあえず話を聞いてみるだけでも」と思い直し、Pプラの事務室で募集要項のようなものをもらった。

 

そこからはとんとん拍子。あれよあれよという間に話は進み、来週から働くことになった。

高3の現代文4クラス×3の週12コマ。

 

学校側からは高3の4クラスの内3クラス分の9コマの提案をされたのだが、1クラスだけ違う先生がもつとなると、その先生と進度を相談したりやり方を合せたりする手間が発生する。それなら全クラスもってしまった方が自分のやりたいようにやれる。

 

一瞬、スンと我に返ると「アホなことしてるなぁ」とも思う。

授業の種類としては1種類だけだが、週に12コマ。平日は毎日行くことになる。

アホだ、アホすぎる。やってみないとわからないけど、きっとオーバーワーク。

 

でも、不謹慎かもしれないけれど、ワクワクしてしまったのだ。

同じ学年の全クラス任せてもらえるということに。

 

学校側としては「猫の手も借りたい」という状況だったんだろうけど、任せてもらったからにはしっかりとやろう。

 

始まったらきっと迷うことや悩むことがたくさんあると思う。おそらく上手くいかないことが山のように出て来るはず。

 

それでも高3の生徒たちとともにどんな授業ができるのか、楽しみでもある。きっと高校を卒業したら「国語の授業」なんて一生受けないだろう。そんな子たちに国語の授業を通して私が大切だと思っていることを伝えたい。わかる子にはきっと伝わる、はず。

自分の心の中のことを棚卸しして言語化してみる(自己満足)

「あぁ、これ自分のことだなぁ」と思うツイートを見つけて、思わずリツイートしてしまった。

特に「自己満足のギブが多い」というフレーズには「なるほど…」と不思議なくらいストンと腑に落ちた。

 

恋愛の渦中にいると、自分のことが見えなくなる。ほんとうに。

 

終わった後に振り返ってみて初めて、自己中心的だったことに気づく。相手のことを考えているつもりでも、どこか自分中心に考えている自分がいる。

 

「自分だったらどうか」ではなく相手の目線に立つことの大切さを最近誰かが書いていたような気がするけど、相手の目線に立つって難しい。人は自分のフィルターを通してしか物事を捉えることはできないから。

 

人の目に触れる可能性が高いこの場所で、こんな風に自分のことを言語化できているということは、少しずつではあるけど気持ちに折り合いをつけることができているということなのかもしれない。

 

実物に対峙していないからなのかなぁ。もう1ヶ月以上会っていない気がする。無意識のうちに避けているのかもしれないけれど。そもそも必要がない限り大学に行かない生活に慣れちゃったしな。

 

ここ最近の変化といえば…

Official髭男dismの「Pretender」を聞いても平気になった。

少し前まで「♪君の運命の人は僕じゃない」を耳にすると、気持ちとシンクロしてメンタルをやられそうだったので、髭男の曲はなるべく避けていた。

 

音楽は人を勇気づけたり、癒してくれたりするものだけど、時にリズムを帯びた歌詞が弱った心に襲いかかってきたりするので注意が必要。しかも、音は好むと好まざるとにかかわらず聞こえてくるものなので、意識していないとするりと耳に入り込んでくる。

 

結局のところ、自分の中で反芻して、整理して、折り合いをつけていくしかない。それには時間がかかるし、この過程をすっ飛ばしたいところだけど、関係に終止符を打った私にはそうしなければならない責任がある、はず。気持ちはそう簡単に消えてくれないしね。

 

うん、今度はシチューをお鍋でコトコト煮るような、穏やかな関係を築きたいな。唐揚げを揚げるような、いっときだけ熱量の高い関係じゃなくて。

 

そんなふうに思う、今日この頃。

ここ最近の”アート成分”の補充方法

美術館を愛してやまない私にとって、自由に美術館に行けない今はかなりつらい。

 

4月末あたりに2泊3日で東京にある美術館をひたすらはしごする旅を計画していたのだが、緊急事態宣言のため中止。

今は県をまたいだ移動が可能になり、東京の美術館でも展覧会が再開されてはいるが、さすがに東京に行こうという気にはならない。

東京国立博物館で開催予定だった「鳥獣戯画展」が来春に延期になったのが唯一の救いかな。

chojugiga2020.exhibit.jp

 

何にしろ、今の私には”アート成分”が圧倒的に足りていない。

でも、おいそれと外出はできない…

ということで、最近アートを補充するべく始めたのが次の2つ。

 

①DailyArt

DailyArtは、日替わりで世界の名画を楽しむことができるアプリ。

www.bijutsukentei.com

毎日決まった時間に、その日の絵とその絵に関する簡単な解説を届けてくれる優れもの。

しかも無料(ここ重要)。

今までは美術館でたくさんの作品を一度に見る、という鑑賞方法しかとってこなかったが、こんな感じで毎日ちょっとずつアートに触れることができるのもいいなぁと思う。

 

②AI画伯

自分の顔写真を西洋肖像画風にしてくれるサービス、「AI画伯」。

ai-art.tokyo

昨日教えてもらってさっそく使ってみた。

スマホ内の写真を選択するだけで、AIが顔の特徴を抽出し、30秒かからないくらいで西洋風肖像画にしてくれる。

f:id:bookmarker330:20200713145046j:imagef:id:bookmarker330:20200713145927j:image

「新米画伯」モードと「上級画伯」モードがあるのがおもしろい。

 

しかも、画家の選択肢が思っていたよりも多く、バラエティに富んでいる。

出来上がった肖像画を見て、ピカソの青の時代、ルノワールモディリアーニなど、それぞれの画家のタッチや特徴をしっかりおさえているなぁとちょっと感動した。

 

アートとAIといえば、少し前に手塚治虫のマンガをAIが学習し、新作「ぱいどん」を作ったというニュースを耳にし、驚いた。

robotstart.info

AIと人間が「漫画の神様」の新たな作品を生み出すとは…。

そのうち、「亡くなった作家の新作」が新たに作られたりして。

 

おうちでもアートに親しむことができる世の中になったが、それでも美術館で実際の作品に対峙するのは私にとっては至福の時間。

 

気兼ねなく美術館に行けるようになればいいなぁ。

外山滋比古さんの文章から「書かれた文章を読むことと話すこと」について思いをめぐらせてみた

本日格闘した現代文の問題の出典が、外山滋比古さんの『知的な聴き方』だった。

知的な聴き方 (だいわ文庫)

知的な聴き方 (だいわ文庫)

 

人間は、決して、ものごとをあるがままに表現することはできない。思ったことをそのまま表現することもできない。

はじめに、話す言葉に”翻訳”して、話にする。その話に、さらに、文章化の翻訳を加えて、文章が生まれる。

文章は元の思い、考え、ことがらに二重の翻訳を加えたものであることになる。

 

一部抜粋された問題文の中の一節だが、 読んでいてはっとした。

 

人間は多くの場合言葉を通してしか自分の思いを伝えることはできない。

 

自分の中の形にならない、もやっとしたりふわっとしたりしている思いを言葉に当てはめ、相手に話して伝えようとする。

 

さらに書いて伝えるとなれば、書き言葉の方が話し言葉より制約が多いので、元の思いからはさらに離れたものになってしまうかもしれない。

 

私たちが読んでいる本の裏に膨大な数の編集や修正が存在することは、実際に西川研究室の一員として本を執筆してみて初めて知った。本当に大変だった。(この話はまた今度することにしよう)

 

本を読むと、頭の中でその本の作者と対話することになるのだが、本は作者が伝えたい膨大な量の思いをある意図に沿って編集しまとめたものなので、取捨選択の結果捨てられてしまった作者の思いは字面から想像するしかない。

 

本の作者全員とリアルで話ができれば、文章化するにあたって削られてしまった思いを知ることができるのかもしれないが、それは現実的には不可能である。

 

そういう点で、『学び合い』の本のほとんどを執筆してきた西川先生と、少なくとも2週に一度は対面して話すことができる今の環境はかなり贅沢なんだろうなぁ。

 

書かれた文章を読むことに比べ、話すことの方が下手な編集が入っていない分その人の思いに近いのだと思う。だから、その人の思いを理解しようとするには膨大な対話が欠かせない。

 

「西川研究室の魅力は実際に入ってみなければわからない」と皆が口をそろえて言うのも、この「話すことの蓄積」にあるのだろう。やっぱり文章だけでは伝えきれないのよね、西川研の雰囲気は。

 

↑なんてことを、帰りのバスの中でぼーっと考えていた。

連携プロジェクト、始動

今日、今年の連携プロジェクトでお世話になる学校の先生と「作戦会議」をした。

 

西川先生を交え、チームのメンバーからの要望をその先生に伝え、逆にその先生からは連携でどのようなことをしてもらいたいかということを教えていただき、お互いに情報共有をした。

 

私のいるチームは教育実習のため不在のM2が多く、最初のうちはM2の私+M1で入ることになりそう。

 

私は直前で連携校の選択を変えたのだが、今年の連携プロジェクトは私にとって大きなチャレンジになりそうだなと感じている。

想定していなかった校種、急に心の中に湧き上がってきたやりたいこと…去年とは勝手が違ってわからないことばかりで不安もあるけど、どこかワクワクしている自分もいる。

 

結局は「迷ったら勇気が必要な方へ」が正解なんだろうな。そして、選択したあとはその選択が正解だったと思えるようにまず行動してみるのが大切。

 

コロナウイルスの影響で、連携プロジェクトでの関わり方は正直未知数なところが多い。それでも、連携先の子どもたちや先生方から「今年も来てもらってよかった。また来年も来てもらいたい」と思ってもらえるよう、できることは「はい喜んで」と進んでやっていこうと思う。

 

それにしても、久しぶりに「給食」っていう言葉聞いたなぁ。

西川研の全体ゼミはトランザクティブ・メモリーを高める?!

今日は久しぶりに全体ゼミに出た。手帳を確認したらなんと1か月ぶりだった。

決してサボっていたわけではない。インタビューのスケジュールが金曜日の午後に集中していたのだ。

 

「全体ゼミに出た」と言っても、実際は自分の家からZoomでの参加である。今週に入ってから異様なほど体調が悪く、今日も大事を取って家に引きこもることにした。

口内右側に口内炎(特大)→右目にものもらい→右耳が聞こえにくくなる→頭痛(今ココ)

特に体の右側が集中してやられている。右半身だけ免疫力が下がるなんてことあるのだろうか…

 

さてさて、話が脱線した。

全体ゼミは、週に一度ゼミ生のほとんどが顔を合わせる時間。ただ、西川研の全体ゼミはちょっと変わっている。論文や各自の研究について検討するなどの、いわゆる”ゼミ活動”は基本やらない。

みんなでアイディアを出し合って今後やることを決めたり、今やっているプロジェクトの進捗状況を確認したりするのが、全体ゼミで主にやっていることである。

 

「アイディアを出し合う」と言えば、よく使われる手法に「ブレインストーミング(ブレスト)」がある。しかし、このブレストは実はアイディア出しには不向きなのだそうだ。

business.nikkei.com

「5人が顔を突き合わせてブレストするグループ」と「5人が個別にアイディアを出して最後にアイディアを足し合わせるグループ」では、後者の方がよりバラエティに富んだアイディアが出たということが研究結果で明らかにされた。

ブレストがアイディア出しに不向きな要因として、

①他者への気兼ね(他者の自分への評価が気になる)

②集団で話すときは思考が止まりがち(相手の話を聞かなければならないから)

の2つが考えられるのだそう。

 

ではブレストにはどのような役割があるのかというと、「組織の記憶力を高める」らしい。ブレストによって、「組織の誰が何を知っているか」を組織の全員で共有することができるのだそう。

これは、”トランザクティブ・メモリー”の考え方ともつながってくる。

 

トランザクティブ・メモリーを高めるためには、顔を突き合わせての直接交流が重要である。アイコンタクトや身振り・手振り、表情等を見ることで、その人がある事項について理解できているかどうか把握できる。

 

ゼミ生のほとんどが直接顔を合わせる全体ゼミには、トランザクティブ・メモリーを高める効果があるのかな、とちょっと思った。

聞いているつもりが聞いてもらっていた

今週分の就職した方へのインタビューは今日で終わり。

ただ、今日のインタビューはかなり衝撃的だった。

 

今やっているのは半構造化インタビューなので、完全にフリーというわけではなく、質問項目はあらかじめ4つほど決めてある。

 

多少脱線することもあるものの、基本的には質問項目の内容からそんなに外れることはない。

 

「私が聞き、相手が答える」の繰り返しだ。

 

しかしながら、今日インタビューさせていただいた方は、私の質問に答えつつ私に対しても質問してくる、そんな人だった。(「大学院って何してるところなんですか?」っていう質問には困ったなぁ。私たちって何してるんだろう?「日本を変えてます!」って言ったところで、「はぁ?」ってなるだろうし。)

 

しかも、初対面にもかかわらず、間の取り方や尋ね方もとてもナチュラル。話が途切れずに進んでいく。

 

いつのまにか話の内容が中学のときの部活へと大きく脱線していたり、私個人の話になっていたりした。

 

私がインタビューしているはずなのに、逆に話を聞いてもらっているような感じ。

 

飄々としていて違和感なく相手の懐に入る様子はさながら猫のよう。

話しやすい人ってこういう人のことを言うのかなと思った。

 

仕事の選び方というか仕事に対するスタンスも、今までインタビューしてきた人とは違ってかなり破天荒だった。もちろん、なぜその仕事に就いたかというのは一人一人ストーリーがあるので、誰の話を聞いても面白いのだけれど。

 

不思議な人だったなぁ。