「あぁ、これ自分のことだなぁ」と思うツイートを見つけて、思わずリツイートしてしまった。
恋愛で重い人が嫌がられるって自分のことしか考えてないから一択。四六時中会いたがったり、自己満足のギブが多かったり。相手の身になって考えろ。想像力どこいったねん。そういう人に限って底なしに自己愛強いくせに自分では気づいてなくて、謎に悲観的で自信ないのよね。いやもう厄介!w
— 赤髪社長 (@akagami_315) 2020年7月12日
特に「自己満足のギブが多い」というフレーズには「なるほど…」と不思議なくらいストンと腑に落ちた。
恋愛の渦中にいると、自分のことが見えなくなる。ほんとうに。
終わった後に振り返ってみて初めて、自己中心的だったことに気づく。相手のことを考えているつもりでも、どこか自分中心に考えている自分がいる。
「自分だったらどうか」ではなく相手の目線に立つことの大切さを最近誰かが書いていたような気がするけど、相手の目線に立つって難しい。人は自分のフィルターを通してしか物事を捉えることはできないから。
人の目に触れる可能性が高いこの場所で、こんな風に自分のことを言語化できているということは、少しずつではあるけど気持ちに折り合いをつけることができているということなのかもしれない。
実物に対峙していないからなのかなぁ。もう1ヶ月以上会っていない気がする。無意識のうちに避けているのかもしれないけれど。そもそも必要がない限り大学に行かない生活に慣れちゃったしな。
ここ最近の変化といえば…
Official髭男dismの「Pretender」を聞いても平気になった。
少し前まで「♪君の運命の人は僕じゃない」を耳にすると、気持ちとシンクロしてメンタルをやられそうだったので、髭男の曲はなるべく避けていた。
音楽は人を勇気づけたり、癒してくれたりするものだけど、時にリズムを帯びた歌詞が弱った心に襲いかかってきたりするので注意が必要。しかも、音は好むと好まざるとにかかわらず聞こえてくるものなので、意識していないとするりと耳に入り込んでくる。
結局のところ、自分の中で反芻して、整理して、折り合いをつけていくしかない。それには時間がかかるし、この過程をすっ飛ばしたいところだけど、関係に終止符を打った私にはそうしなければならない責任がある、はず。気持ちはそう簡単に消えてくれないしね。
うん、今度はシチューをお鍋でコトコト煮るような、穏やかな関係を築きたいな。唐揚げを揚げるような、いっときだけ熱量の高い関係じゃなくて。
そんなふうに思う、今日この頃。