「先行研究が見つからない」は甘えてる証拠なんだろうな

個人研究が佳境だ。というのも、学会発表の申し込みの締め切りが来週頭で、それまでにタイトルを決めなければならない。

 

先日、西川先生に「問題の所在が面白くない」と突き返されたので、先生のアドバイスをもとに一から問題の所在に挙げる先行研究を調べることになった。

 

それでも見つかったのは数件ほど。いろいろ検索ワードを変えて調べてはみたが、だんだん本筋からそれているような気がしたので、ゼミ室にふらっといらっしゃった西川先生をつかまえて聞いてみた。

 

すると…


論文指導 第三弾

ここ最近始まった「論文指導」というタイトルの動画になってしまった(なお、私は声のみ出演)。

 

西川先生と話しているうちに、自分がなかなかに愚かな問いを投げかけたことに気づいた。

 

論文の問題の所在は最も分量が多くなる。今までの研究の蓄積を示し、「これは明らかになっている」「これも明らかになっている」「でもこれはまだ」というのを丹念に示さなければならないからだ。

 

この「でもこれはまだ」の部分がその研究のオリジナリティであり、新規性である。研究論文はこれを示さないと意味がない。

 

今日の午前中、中教審の議事録やら、国立教育政策研究所のサイトやらをひたすら見ていたら、「4領域8能力」というものにたどり着いた。個人研究と関係がある、経済産業省の「社会人基礎力」のもとになったものらしい。

 

ちょっと前進。

 

最近は以前にもまして研究に割く時間が増えた。もはや意地になっていると言ってもいいかもしれない。「なんのために研究してるんだろう」と考えるひまもないほど。

 

上の動画にも出てくるけど、話の終わりに西川先生がこんなことをおっしゃっていた。

「それでしーちゃんねぇ、気づいてないけどねぇ、この研究がなぜ大事かと言うと、結局、学校教育でも、異なった年齢、かなり異なった年齢の人との交流は絶対必要だというふうなことを言える研究なのよ。」

 

こうして、西川先生の太鼓判(?)のようなものがあると、救われた気になる。

 

研究やっててよかったなと思う。

 

さあ、今週がひとつの山場だな。

結果を出すために自分にできることをしよう。