「複数時間の『学び合い』は他のクラスでやったことあるからきっと大丈夫」という慢心

昨日のブログで、複数時間の『学び合い』をやってはいるもののあまりうまくいっていない旨をブログに書きました。Facebookにその記事のリンクを貼ったら、何名かの方からコメントをいただきました。

 

その中でも、

「自分は不安に思っている」「信じきれない自分が居る」ということを、伝えるというのは難しいかなあ。(めちゃくちゃ勇気が必要ですね)。

単元『学び合い』を行うことで生徒に生じるメリットを、始まる時により多く語っておくのはいかがですか?終わりの言葉が多くなると、後出しジャンケンっぽくなりそうだなと思いました。

という2つのコメントを見て、ハッと思い当たることがありました。

 

実は以前に一度、あるクラスで複数時間の『学び合い』を試してみたことがありました。その際に思っていた以上にうまくいった気がしたので、今回も大丈夫だろうという慢心があったのだろうと思います。

 

そのクラス以外は2時間任せるのは初めて。

にもかかわらず、なぜ複数時間の『学び合い』にするのかということや、複数時間にすることのメリット・デメリットについて、始める前にしっかりと生徒に語っていなかったのです。

 

自分にとってはやったことがあっても、生徒にとっては初めてだということを常に頭に入れておかなければ。

 

今日の授業では仕切り直しをするため、授業の最初に生徒に謝罪し、きちんと時間を取って語りました。授業前に語る内容をノートにメモしてから授業に臨みました。

 

語ったのは、

前回はなぜ2時間みんなに任せるのかとか、メリットとデメリットについてきちんと話さないまま始めてしまった。ごめんなさい。

今までみたいに1時間で終わるのではなく、2時間任せるのにはデメリットもある。前回は多くの人が自分の課題に取り組むのに精一杯で、わからないところがあってもそのままだった人も多いと思う。

でも、それ以上にメリットもあって、任せる時間が多くなった分、前回も言ったけどそれぞれのペースで学び合える。早く終わった人は他の人に教えることで自分の復習にもなるし、わからないことをどんどん聞くこともできるし、一人で頑張ってみて、どうしてもわからないところは人に聞く人もいると思う。いろんな学び方が共存できるのがいいところだと思う。

 

複数時間の『学び合い』に関する本で手元にあったのが、高橋尚幸先生の『流動型『学び合い』の授業づくり』だったので、参考にさせていただきました。

 

今朝読み返して考えたのでかなり付け焼き刃だろうし、言葉を借りているだけかもしれないと思ったけれど、なるべく自分の言葉で話すようにしました。

 

また、

本来なら最初から前に模範回答を置いておいて「必要なら使ってね」って言うんだけど、前回はそうしなかった。なぜかと言うと、早い段階で答えを丸写ししてそれで終わりにしちゃう人が出るんじゃないかという心配があったから。2時間任せるって言ったのに、結局のところみんなを信用しきれていなかった。ごめんなさい。

とも伝えました。

 

その後の授業は内心ドキドキでしたが、きちんと最初に語ったので自分の中に余裕ができたのか、おそらくいつもなら見逃していたであろう生徒たちの言動を見取ることができた気がします。

 

・語句の抜き出し問題の答えを教えてもらった後も、それで終わりにするのではなく、教科書を端から端まで探し、見つけたときに「あった!」とうれしそうに喜ぶ子

・「抜き出しだけど、最後「。」いる?」(←私が常日頃気をつけるよう言っている)と友達に確認する子

・自分で解答を作ってみて、模範解答と見比べて、それでも納得できないところを3人で頭を突き合わせながら教科書とにらめっこして考える子…などなど。

 

今日一番驚いたのは、これまでの授業では一度も自分の席から動こうとせず、わからなければ空欄のままにしていた生徒が自分から動いたことです。

手が止まっているようだったので声をかけようかと彼に近づいたら、不意に立ち上がったのです。内心「お⁉︎」と思いながらそっと見守っていたら、前の黒板の方に行き、模範解答を眺めていました。うっかり声をかけなくて本当によかったと胸をなで下ろしました。

 

今日は生徒たちのいいところをたくさん見ることができたので、それを終わりの語りでいつも以上に伝えることができました。もちろんいろいろと反省点はありますが、それでも「2時間任せてみてよかった」と心から生徒たちに言うことができてうれしかったです。