解答を写すこと自体は悪いことではないのだが…

新しい単元(魚住直子さんの『卒業』)に入り、全てのクラスで複数時間の『学び合い』をしている。

 

①『卒業』に出てくる漢字のプリント

②あらすじの穴埋め

③第一段落~第二段落の内容理解の問題を見開き2ページ分

↑「この3つを2時間でやってね」と伝え、後は基本生徒に任せている。

 

複数時間の『学び合い』だと模範解答の示し方に悩む。

 

1時間の『学び合い』では最初から模範解答を教卓に出して「必要なら使ってね」と伝えるのだが、複数時間だと最初から示すのはちょっとためらってしまう。

「早い段階で”答えを写して終わり”にしてしまう生徒が出ないかな」という懸念がついてまわるからだ。

 

1時間ごとだろうと複数時間だろうと変わりはないので、最初からすべて任せてしまえばよいとも思うのだが。生徒たちを信じ切れていないのかなとも思う。

 

私の心の中が透けて見えているのか、2時間中2時間目のあるクラスでは黒板の前に来て答えを写し、その後20~30分おしゃべりしている生徒が目に入ってきた。

 

それでも、写しっぱなしにせず、ぎりぎりまで考えて解答を作ったり、どうしてもわからないところを私に聞きにきたりするなど、いいなぁと思う姿も見られた。

 

終わりの語りでは、

○時間を見て動ける人が増えてきたこと→次は私が「時間だよ」と言わなくても、時計を確認して全員が座れるようになるといいね

○自分のペースで課題に取り組んでいる姿が見られたこと

△一から何かを作れるのは一握りの天才だけだと思うから、この世の多くの仕事は写したり真似したりすることが必要になってくる。でも、社会に出たら丸写しだけではだめ。

全員が時間内に課題を終わらせるというレベルには十分達していると思うので、みんなならきっと次の段階に行けると思う。

 

「私は一人も見捨てたくない→全員が理解できるようになってほしい→分かり方は人それぞれ→どこでつまづいているかを探るには対話を積み重ねることが必要→私一人だけではそれは不可能→だからみんなの力を借りたい」という内容も交えて語った。

 

彼らと授業をするのはあと1か月と少しくらい。残りの時間でそう劇的に変わるかといったら必ずしもそうではないと思うが、彼らの変化・成長を見取り、評価し、少しずつでも前に進んでいきたいと思う。