映画「行き止まりの世界に生まれて」を観て

最近見る映画のジャンルが自分の中で変わってきているように感じる。

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「行き止まりの世界に生まれて」も、きっと以前の私なら見向きもしなかったと思う。映画は娯楽だと思っていたこともあり、ドキュメンタリー映画は今まで見てこなかったのだ。今は、映画を見ることが単なる娯楽以上のものになっている気がする。

 

「行き止まりの世界に生まれて」は、アメリカで最も惨めな町とされるイリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザック、ビンの3人の若者を描いたドキュメンタリー映画である。

3人は幼い頃から貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた。映画監督になったビンのカメラには、彼らの12年間の軌跡が収められている。

 

スケートボードをしている彼らはとても明るく楽しそうだが、家族に向き合う彼らの姿は痛々しくもあり、彼らの葛藤や悲惨な過去も露わになっているなと感じた。

 

特にビンが自身の母親と話すシーンは、いつもは撮る専門のビンが自ら被写体となって母親と向き合おうとしており、心に迫るものがあった。

 

ビンはアジア系、ザックは白人、キアーは黒人なので、ぱっと見ただけではあまり共通点を感じにくい。それでも彼らはスケートボードでつながっており、スケート仲間は彼らにとってかけがえのない居場所だったのだろうということがひしひしと伝わってきた。

 

SNS等で「学校だけが全てではない」というような意見を目にすることが増えた。また、家庭に居場所がなかったり、私には想像のつかないような過酷な家庭環境で育っている子どもも中には存在すると思う。

 

教師は家庭には踏み込めない。その業を背負ってしまったら、命がいくつあっても保たないと思う。教師がなんとかできる可能性があるのは、基本子どもたちが学校にいる間だけ。

 

そういった子どもたちにとって学校がどのような場になれるのか、学校以外でもいいのでどのように居場所を作っていくことができるのか、考えていかなければならないと感じた。