2回くらい試して、それでもダメでパスコード入力、という場面によく出くわす。
「なんでだろう?」と思って親指をまじまじと見てみたら、やっとわかった。
指の腹の表面が荒れて、皮がむけていたのだ。
こうなった原因は1つしかない。
チョークである。
親指、人差し指、中指が特に荒れているのが何よりの証拠。
それだけ、解説のためにチョーク使って板書をしているんだなぁ、と妙なところで関心してしまった。
「『学び合い』は週に1〜2回程度、演習のときだけ」と決めて、生徒にも了承を取ってからというもの、心理的な負担はだいぶ軽くなった。
これも暫定的なもので、これからも生徒たちが学びやすいように必要に応じて柔軟に変えていくつもりではあるのだけれど。
クラスによって当然進み具合は違うので、50分の授業をどう組み立てていくかに頭を悩ませる毎日。
今日の振り返りシートに、
「前に答えを置くのをやめてほしい」というコメントがあった。答えを読み上げる人がいて勉強にならないのだと言う。
あぁ、そう言えば「なぜ答えを前に置いているのか」について語っていなかったと反省。
「なぜ?」の部分を、上位2割がわかるように最初にきちんと語る必要性を実感する。
・なぜ授業のほとんどを任せるのか
・なぜまとめをしないのか
・なぜネームプレートを使うのか
・なぜ板書をしないのか
・なぜ答えを前に置いておくのか…etc.
特にいわゆる一斉授業と形式上違う部分については、「なぜ?」の部分を最初に伝えておかなければならない。
それがきっと生徒たちの心理的安全につながるような気がする。
人は変化することを避けようとする。
多くの場合、今まで通りが心地よいから。
それでも変えねばならないときは、少なくとも2割がわかってくれるように語らなければならない。
「振り返りシートにはこれを書け」なんてことは一言も言っていないのに、それでもクラスのみんなの様子や「こうしてほしい」という要望を書いてくれる子は、おそらく上位2割なのだろう。
そして、きっと、まだ私のことを見限ってはいないのだろう。
そうした子たちに対して私の願いを伝えていくことが私の重要な仕事のひとつ。
何を、どう伝えるかは…来週までの私の宿題かな。