大学院の修了が近づいてきている。
そのせいか、ふとこれまでのことを思い出す瞬間が最近増えたように思う。
当たり前のことではあるけれど、タイミングの善し悪しは確実に存在する。
・最初に働いた学校であと1年早く専任教諭に上がっていたら、たぶん大学院には来なかった
・採用試験対策の予備校に通っていなかったら、そこで仲良くなった人に上教大の講座を紹介されることもなく、西川先生や『学び合い』に出会うこともなかった
・ゼミ選びの時に国語という教科の枠を取っ払えなかったら、西川研究室には入っていなかったかもしれない
・高校の教員になることにこだわっていたら、中学校の採用試験は受験しなかっただろうし、地元にも残っていなかったかもしれない
自分のことだけではなくて、まわりとの人間関係もそう。
入学式の翌日のオリエンテーションで思い切って声を掛けなかったら、友達がほとんどできないままだったかもしれない。
自分のコンプレックスに閉じこもってばかりだったら、恋人はできなかっただろうな、きっと。まぁ彼とは結局別れてしまったけれど、それもまたタイミングがうまくなかったからなのかなとも思う。
成功に伴うポジティブな感情は「タイミングが良かった!」でいいし、失敗などにつきまとうネガティブな感情は「タイミングが悪かったんだな、きっと…」と思えば手放しやすくなる。
私はわりとうじうじと考え込んだり悩んだりするタイプなのだが、大学院に進み西川研究室に入ってからは、選択や決断までのスピードが速くなった気がする。それはたぶん、西川先生の
「決断を保留するのは悪手。とっとと決断して、自分が選択した方が正解だったと思えるように行動すればいい」
という考え方に影響を受けている。
選択した段階では、その善し悪しはわからないのだ。悩んで踏みとどまっているよりは、選択して一歩踏み出し、「こっちを選んでよかった」と思えるよう行動していくことの方が大切。
何かを始めようと思うとき、それをするかどうか選択する際の基準が私の中でひとつ固まりつつある。それは、
それをしている自分を想像したときにワクワクできるかどうか
今年の私はいつもと違う状況を楽しみ、一生懸命に学ぶ年だった。
来年は必要なこととそうでないことを見極め、必要でないことは思い切って手放す年らしい。自分が持っているモノしかり、人間関係しかり。
「あのときこっちを選んでおいてよかった」と思えるような生き方をしたいなと思う。