映画『星の子』を観て感じたこと

週末映画館で映画鑑賞生活がここ1か月ほど続いている。

三日坊主が服着て歩いているような私にしては続いている方だと思う。

 

今までは、映画を観るとなると事前に公式サイト等で情報を仕入れ、あらすじや評判などを確認してから観ていた。ただ、今は週1ペースで観ているせいか、映画館のポスターをざっと眺めて気に入ったものを翌週観る感じになっている。当然あらすじも登場人物もよくわからないまま見始める。

 

昨日は映画「星の子」を観てきた。

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新興宗教の熱心な信者である両親に育てられた中学生の女の子を芦田愛菜さんが演じる。久しぶりに見る彼女の演技に引き込まれた。

 

見終わった後、なんとなく言葉にできないもやもや感があったので、twitterで「星の子」の感想を検索して眺めていたら、「宗教を描いた作品にありがちな、主人公が宗教を信じる両親に対して嫌悪感や不信感をぶつけて反抗し、両親はそれに対して反発するというシーンがなかった」というようなコメントがあり、少し腑に落ちた。

 

新興宗教と言うと、何となく得体のしれないもの、過激なものというイメージが私にはあるのだが、映画全体は静謐な不思議な雰囲気で進んでいった。私は知らず知らずのうちに新興宗教と過激さを結びつけていたのかもしれない。

 

最後のシーンの解釈は今でも正直よくわからない。観る人に解釈を委ねる部分が多い映画だなと感じた。

 

 

作中には、岡田将生さん演じる中学校の数学教師(南先生)が登場する。もはや職業病(?)なのかもしれないのだが、教師が出て来る作品を見ると「自分だったらどうか」とついつい考えてしまう。

 

映画だからオーバーに描かれているにしても、南先生はいい先生とは言えなかった。

・顧問をしている部活動の女子生徒に手を出しているといううわさが流れる(火のないところに煙は立たない)

・下校時刻まで残っていた生徒たちを自家用車で送っていってしまう(途中で事故ったらどうするんだろう)

・クラス全員の前で主人公のちひろを叱責+ちひろちひろの両親を宗教に関することで侮辱

ちひろをかばったクラスメイトの話をよく聞かず、叱責+侮辱を続ける

 

好きで憧れていた南先生にクラス全員の前で叱責され、侮辱されたちひろは泣き出してしまう。そんなちひろに寄り添っていたのは、幼馴染のなべちゃんと新村くんだった。特になべちゃんは、ちひろちひろの両親が信仰している宗教のことは変だと思っているが、宗教とちひろ自身のことは分けて考え、ちひろを大切にしていることが伝わってきた。

 

宗教などの外的要因との人格を分けて捉え、自分自身を丸ごと受け入れてくれる存在はかけがえないものなのだと思う。

 

そんなつながりを学校教育を通して生徒一人一人が手に入れられたら、どんなに素敵な社会になるだろうと少し妄想した。