M2とM1では役割もやることも違う

先日のゼミで「○小(私がいるチーム)の連携、進んでる?」という話になった。他のチームの進捗状況を聞いてみると、はるかに先を行っている。

このままではまずい、ということで、急遽チームのメンバー全体で集まって話し合うことにした。おそらくここでいったん軌道修正(必要に応じて)しないと中途半端で終わってしまいそうだ。

 

昨日は個別にLINEやZoomで連絡を取ったり、LINEで日程調整をしたり(LINEの投票機能初めて使った)、連携のために時間を割いていた。

 

M1のうちはただM2について動いていればよかったのだが、自分がM2になるとチームの一員としてやるべきことは増える。去年のM2の先輩方も、見えないところでいろいろ手を尽くしてくれていたんだろなぁ。

 

話し合いは思いのほかあっさり終わった。

やっぱり何かを1人に集中させてしまうのはシステム的に危ういなと感じた。

複数で仕事をや進捗状況を共有するシステムにしていかないと。

 

また、開催が来週にせまった越後『学び合い』の会も、この期に及んでいろいろやり始めた。

 

分科会の1つのサポートをすることは決まっているので、担当の先生との打ち合わせは週1ペースでやってきたのだが、Googleフォームでアンケートを作り、スプレッドシートと紐づけしたり、Zoomにチェックインした際の注意事項をスライドで作ったりした。

 

同期からは「まじでありがとう」と言ってもらえたけれど、なんのことはない。今までやらなさすぎだったので”仕事してる感”が出ているだけ。

 

私は基本わがままで自己中心的。やりたいことやワクワクすることはやるけれど、やりたくないことは極力やらずに済まそうとする。

 

M1のうちはそれでもよかったかもしれないけれど、M2になるとそうも言っていられない。

 

今日図書館で見つけたこの本に、こんなことが書いてあった。

人生で大切なたったひとつのこと

人生で大切なたったひとつのこと

 

わたしたちはみな、自分勝手というややこしい考え、いや病気を持っています。でも、治療法もあります。

善良なひと、自ら働きかけるひとになってください。もっといえば、自分で自分を治療しなくてはならない。危ない患者のようなものだと思って、これからの人生で自分勝手を治すもっとも効果のあるクスリを精力的に探してください。

とうすればもっとやさしい人になれるか、どうすれば心を開いて、もっとも愛情があって、寛容で、何をも恐れない自分を引き出せるのか、答えをみつけ、そういう人になることにくらべたら、ほかのことなど意味がない、とでもいうように、追い求めてください。

 
なぜなら、実際、それ以外のことは意味がないからです。

 

私は自分自身の”自分勝手さ”と一生付き合っていかなければならないけれど、人のために何かするのはこの”自分勝手さ”を抑える薬になるかもしれない。

 

それが私にとっても、私が所属する集団にとっても得なことなのかな。