「○○してもいい」に込められた意味

生徒たちには自分に合った学び方をしてもらいたいと思いつつ、いろいろと制約があって私が思い描くようにはできていないことの方が多いです。

 

ただ、学ぶ際の選択肢は可能な限り増やしたいと考えています。

 

そのため、「〜してもいいよ」という言い方が口ぐせになっているのかもしれない、ということに気がつきました。

 

今日の授業で「文法のプリントが終わったら、新しくタブレットに入れた国語文法のアプリ使って問題解いてもいいよ」という指示を出したときのこと。

 

プリントを解き終えた生徒たちがぞろぞろとタブレットを取りに行く中、ある生徒がすーっと私に近づいてきました。そして、「タブレット使ってもいいってことは、使わなくてもいいってことですよね?」と聞いてきました。

 

私が「そうだよ〜」と言うと、その生徒はうなずいて席に戻り、ワークを開いてテスト範囲の文法の問題を黙々と解いていました。

 

私に確認を取りに来るあたり、なんとも律儀な生徒なのですが、内心「よく気づいたなぁ」と思いました。