「『竹取物語』の冒頭を暗唱するのはなぜか」に対する私なりの答えを生徒たちに語った話

今日は中1の2クラスで暗唱テストをしました。

 

テスト範囲は、『竹取物語』の冒頭。

 

1週間以上前に告知して、毎時間暗唱の練習をクラス全体でしてきただけあって、ほとんどの生徒がA評価でした。

 

よく頑張ったね。

 

暗唱テストが終わったあと、生徒たちに「なぜ『竹取物語』の冒頭を暗唱してもらったのかを話しました。

 

竹取物語』を暗唱することが将来役に立つかって言ったら、役に立たないと思うんだよね。

(この時点で生徒の一人が「たしかに役に立たないわー」と一言。よくわかっていらっしゃる笑)

私のように国語の教師になるならともかく、ここにいるほとんどの人は『竹取物語』を将来使わないんですよ、たぶん。それでも、みんなに暗唱してもらったのはなぜかって言うと、ひとつは"これぐらいの量の文章を暗記できるだけの記憶力は持っていた方がいいよね、ってことと、もう一つは"千年も前の文章が今も残ってるってことは、その文章にはやっぱり何かしら良いところがあるから”なんですよ。一般教養として、一度くらいは『竹取物語』を暗唱してほしいっていうのが、国語教師としての私の願いなんですよね~。

↑こんな感じのことを語った気がします。

 

私の良くないところは、これを暗唱テスト前に語れないところなんですよね。

 

先に言うべきものを後になってから言うので、後出しじゃんけん感が否めないのです。

 

おそらく、実際やってみないと私の中で腹落ちしないので、生徒にも語れないのだろうとは思うのですが…

 

改めて、「なぜするのか」をやる前に考える必要があるなぁと感じた出来事でした。