昨日の、みんなde『学び合い』フォーラムでの山口さん(大阪・生野区長)のお話で、
「右手に飯の種、左手にライフワーク」
というフレーズが出てきた。
山口さんは28歳で起業し、企業や自治体の広報代行や企画・職員研修に関わる一方、「経済格差を教育格差にしない」をテーマに活動をされてきたそう。
今の私とほとんど変わらない年齢で起業していることがまず驚きだし、生きるための仕事だけでなくライフワークがあり、信念をもって活動されているその姿がかっこいいなぁと思った。
私は今のところ公立の教員として働く予定だが、果たして私にとっての「飯の種」と「ライフワーク」って何なんだろう、とふと疑問に思った。
おそらく、一地方の教育公務員として働くことは私にとっての「飯の種」なのだろうと思う。
では、「ライフワーク」は?
ぱっと思いついたのは「1人も見捨てない教育の実現」という言葉だけれど、本当にそうなのだろうか。即答できない自分がいるのは確かだ。
実際に働いてみないと見えてこないことはたくさんある。今は、自分のクラスのことだけではなく、学年、学校、地域、日本の教育へと目を向けて行動しよう!、と思っていても、結局近視眼的になってしまうおそれもある。
うーん、「ライフワーク」って難しいなぁ。
母に上記の話をしたら、
農業は「飯の種」かつ「ライフワーク」だね!
というお言葉を頂戴し、不覚にも「お、かっこいい」と思ってしまった笑
とりあえず私の第二の社会人生活は公立学校の教員という形で始まりそうだが、1つの仕事に人生を捧げようという気はそれほど強くない。
公立が合わないなと思えば私立に行く手もあるし、N高のような通信制の高校もある。今はないような「新しい学校」が今後出て来る可能性もあるし、教員以外にも教育へのかかわり方はいろいろあることを知った。副業(複業)にもちょっと興味がある。
なんにせよ、常に学び続け、自分を売り込めるような武器を持っていないといけないという思いは私立で講師をしていた時からずっとある。
もちろん、私の替えなんていくらでもいるだろう。
私がいなくたって学校も社会もそれなりに回っていく。
それでも「私にはこれができる」という自分にしかない売りがほしい。
まぁ。その売りのひとつが『学び合い』なのかもしれないのだが。