最近ちくまプリマ―新書にハマり、図書館で何冊も借りてきてはちょっとずつ読んでいる。この本もそのうちのひとつ。
キャリア教育の研究をしているせいか、「生き方」「キャリア」「おとなになること」なんていうキーワードに弱い気がする。
この本では、表題である「おとなになるってどんなこと?」に加えて、
●勉強しなくちゃダメ?
●友だちって何?
●普通ってどういうこと?
●死んだらどうなるんだろう?
●年をとるのはいいこと?
●生きることに意味があるの?
●がんばるって何?
という8つの問いによしもとばななさんが答えている。
これら8つの問いは、誰しも疑問に思ったことがあるんじゃないかと思う。
この中でも「勉強しなくちゃダメ?」のところは考えさせられる内容だった。(教員志望だから、というのもあるかもしれないけれど)
ばななさんは学校生活に適応しにくい方だったようだ。高校生の段階で作家になると心に決め、学校にいても自分の小説を書いたり読書をしたりするなど自分のことだけしていたという。
「これを言うと教師はみんな「そんなことを言ったって、なれるかどうかわからないんだから、勉強はしておいたほうがいい」という意見か「高校の学力レベルくらいをこなせなくて、作家なんて大変なことができるはずがない」という意見のどちらかを何回も耳にすることになりました。」(p.38)
「日本の学校では特に、自分が興味を持てなかったりすると、「あんなに先生は一生懸命教えているのに、みんなもちゃんと座って聞いているのに、自分だけ申し訳ない」みたいな気分にしょっちゅうさせられます。」(p.41)
「本来、人間はなにかを勉強して時間を区切れるものではないし、十分間のやすみ時間のあと急に別のことをできるものでもないと思います。学校というのは社会に順応するための訓練の時間を過ごすところなんですよね。」(p.43)
ひとつひとつが心に刺さる。
工業化社会のコードに支配された学校で、高校生のばななさんのような思いを抱えつつ、苦痛な時間を過ごしている子どもたちは現に存在するし、これからどんどん増えていくのだろう。
私は学校の授業や勉強が嫌いではなかったし、わりと学校生活に適応できる方だった。
西川研究室に所属し、学校生活に適応できず苦しんでいる子どもたちがいることを知ったが、それでもなお、気を抜くと自分のものさしで物事を考えてしまいがちである。
自分が”(今の工業化社会の)学校に適応できないこども”になることはできない。ただ、そうした方の話を聞いたり、本を読んだりしてその苦しさ、つらさを追体験し、苦痛を抱えて生きている子どもたちの存在を心に留めておくことはできるかなと思う。
『学び合い』は、工業科社会の学校で苦痛を抱える子どもたちを救える可能性がある、現段階で一番”まし”な考え方である。
『学び合い』に興味がある人たちに『学び合い』が広がっていけばいいなと思うし、私もその一端を担えれば、とひそかに思っている。