私の研究で明らかにできることの中で、学校の先生のニーズに沿うものって何なんだろう?

とりあえず研究は進めているものの、うろうろと迷走している。先が見通せない。

 

西川先生からいただいたアドバイスをもとに何かしら進めているけど、先生の手のひらの上で転がされているだけな気がする。その先に行かないと、感動するようなものは作れない気がする。

 

ゼミの同期が研究を料理にたとえていたけど、そのたとえに乗っかるなら、「素材はあって出来上がりイメージもあるけど、料理工程がわからない」という感じ。

nbnl-takashi.hatenablog.com

 

そもそも私の持っている素材はいいものなのか。

いいものだとして、私は枝葉末節にこだわってそれを台無しにしようとしているんじゃないのか。

研究のための研究になっていないか。

学校の先生のニーズって何なんだろう?

 

プロトコルの文字起こしをしながら、ずーっと考えている。

 

「お、これは!」とちょっとだけ思ったのは、インタビュー項目のひとつでもある「高校在学中に勉強したこと、経験したことで働いているときに役立ったことはありますか」という質問に対する高卒就職者の答えの部分。

 

今回インタビューさせていただいた約60名のうち2/3の方が高校時代アルバイトをしており、アルバイトでさまざまな年代の方と関わっておいてよかったと答えているのだ(あくまで私の感覚だが)。

 

教育は効果測定がしにくい分野だと思う。子どもたちの将来のことなんか分からないのに、その将来のことを見据えて今できることを考えてやっているのだ。すぐに効果が出るわけではないし、卒業していったん自分の手を離れてしまったら「これをやってみてどうだった? 今役に立ってる?」なんて聞く機会はまずない。

 

だから、「よさそう」とか「効果がありそう」というだけでいろいろなものを始めたくなる。そしていったん始めてしまったものはそう簡単になくせない。なぜなら「よいもの」だからだ。もちろんやらないよりはやった方がいいだろうけど、人の時間もキャパも有限だ。「子どもたちの将来に効果があるかどうか」というのは、教育内容や行事等を取捨選択する際のひとつの基準になるんじゃないかと思う。まぁ、「子どもたちの将来に効果があるかどうか」なんてそう簡単には測れないのだろうけども。

 

未来は予測不能だけど、未来を見据えるならまずは過去から学ばねばならない。その過去の部分が、私の研究においては”高卒で就職した方の生の声”なんだろうな。

 

キャリア教育としてやっているものの効果とか高校時代に学校内外で取り組んだことで就職してから役に立っていることって、高校の先生方に需要ないのかな?

 

元高校教員志望の人間(来年から中学校教員の予定)の私はわりと気になるところなんだけど、どうなんでしょうね。

 

1000字もブログ書いてるならさっさとプロトコルせいよ、と言われそうだが、自分の頭の中のこんがらがったものを整理するためには、人に見せること前提の文章にしてしまうのがいい気がするんだよな、これが。