最近は教育書に限らず、さまざまなジャンルの本を読むのを心がけているのだが、かねてから興味があった哲学にも手を伸ばしてみた。
苫野さんの本は、『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方』に続き2冊目。
”哲学”というと、答えの出ない問いに関して、ああでもない、こうでもないと考えに考えぬくイメージがあった。
しかしながら、本の最終講のタイトルにもある通り、哲学的思考はシンプルなのだそうだ。
「”よい”考えはシンプルだ。そうじゃないと、だれも理解できないし使いこなせない。だから哲学は、ぐちゃぐちゃだらだら屁理屈を並べるものじゃなく、むしろさまざまなテーマについてのごちゃごちゃした議論を、とてもシンプルな仕方で解きほぐす思考の方法なのだ。」(p.214)
この本には、自分の経験を過度に一般化してしまう「一般化のワナ」、「Aか、Bか」というような二項対立的な「問い方のマジック」、「事実から当為(~すべき)を導かない」、「命令の思考ではなく条件解明の思考」などの哲学的思考の方法がわかりやすく述べられている。
その中でも特に目を引いたのが、「欲望相関性の原理」である。
私たちは世界のいっさいを欲望に応じて認識している。どんな事実も、私たちがそれに意味を見出さない限り、私たちにとっては存在しないのと同じであるという。
信念と信念は対立してしまうが、信念ではなく欲望の次元で話をすれば、相手の欲望を理解することはできるかもしれない。
苫野さんが提案する「共通了解志向型対話(超ディベート)」は、機会があったらちょっとやってみたいなと思った。
国語が専門なので、二項対立で勝敗決する従来のディベートはやったことがある。しかし、「共通了解志向型対話(超ディベート)」は、「あちらもこちらも、どちらも納得できる第三のアイデアを考え合う」もの。
先が見えない世の中。絶対的な正解などおそらく存在しない。
このような社会では、納得解を見つけていく必要があるだろうなぁ。