講師をしていたとき、生徒から「先生かわいい!」と言われることが何度かあった。
新しく買った服を着たり、編み込みなど少し凝った髪型をしたりすると、女子は見つけて声をかけてくる。
一応ほめられてはいるのでうれしい一方で、どこか釈然としない気持ちもあった。
「かわいい」は基本的に、未熟なもの、幼いものを慈しむための言葉である。それを、自分より明らかに年の若い生徒に言われるのは、何となく自分の未熟さを指摘されているようでいたたまれなかったのだ。自分が未熟なのは重々承知の上だが、間接的であれ、他者にそれを指摘されるのは結構こたえる。
(生徒はそんなことなど気にせず、無邪気にそう言っているだけなのだろうけど)
「かわいい」と同じく容姿を形容する言葉に「きれい」がある。
ただ、これは限られた人にしか使えない気がする。
個人的には、例えば女優の北川景子さんは"きれい"だと思う。しかし、"かわいい"とは余裕で言えるのに、"きれい"という言葉を使うのに少し躊躇してしまう対象も確かに存在する。
おそらく、「きれい」という言葉は「成熟した美しさ」というニュアンスを含むものなのだろう。
その人が今まで積み重ねてきたものに対して尊敬の念がなければ、「きれい」は使えないんじゃなかろうか。
人間誰しも未熟な部分は持ち合わせているものなので、「かわいい」には汎用性があるが、「きれい」はそう安売りできる言葉ではない。
面と向かって「きれい」だと言われたら、私ならうきうきして、場合によってはその人に惚れてしまうかもしれない。
それくらい、「きれい」という言葉は、私にとって魅惑的な、一生に一度でいいから言われたみたい言葉なのである。