"声"の影響力

今日バイト先で声を荒げている人がいた。

 

私は、マイナスの言葉が声に乗って垂れ流しになっている状況が非常に苦手である。たとえ、それが私に向けられた言葉ではなかったとしても。身体がビクッとしたり、出会い頭にガツンとやられたような衝撃を感じたりする。人より共感能力が高いのか、自分に向けられた言葉のように感じてしまう。おそらく、"構え"ができていない状況でマイナスの言葉を浴びるから、つらいのだろう。

 

聴覚は、視覚などに比べて自分から完全に遮断するのが難しい感覚だと思う。どんなに耳を塞いでも音や声は聞こえてきてしまう。

 

それがひと段落すると、ふつふつと怒りが湧いてくる。「(気持ちはわからんでもないけど)言い方ってものがあるだろう」と思う。ただ、なかなか口には出せない。

 

Twitterを眺めていると、生徒の前で先輩教員が若手の教員を叱責する、ということがさまざまな学校で起こっているらしい。

 

生徒は実によく教師のことを見ている。講師をしていたときにそのことを実感した。(2センチくらいしか前髪を切ってないのに、それに気づいた生徒がいたときにはびっくりした)

 

生徒の前で教員が教員を叱責すれば、叱責された側が「ダメな教師である」というレッテルが生徒にもはっきりと伝わってしまう。そんな状態で教育活動が上手くいくわけがない。

 

私は、現場に出たら、生徒の命に関わるような緊急事態でもない限り、生徒の前で同僚を叱責するまいと心に決めている。

教員同士が互いに学び合えるような関係性を作っていきたいと強く思う。