内田樹と合気道と文学

発表の合間に、内田樹の『言葉の生成について』という文章を読んで疑問点を出し合い、検討する授業がある。

 

その文章で、武道と文学的なメタファー(比喩)の関係性が示されていた。

 

武道の動きの中では、「腕をこう動かせ」というような、具体的な指示はほとんど効果がないそうだ。人はそう指示されると、その部分だけに意識がいって他は硬直してしまう。結局、自然な動きができないのである。

 

具体的な指示ができないとしたら何が有効か、というと、それが詩的なメタファーなのだと言う。"そこにないもの"を想定させて体を動かすと、上手くいくそうだ。

 

私自身、大学の時に合気道をしていたのだが、始めて間もないころ、前に回って受け身を取るのがなかなか上手くいかなかった。腕が体重を支えきれず、肩から墜落してしまうのである。

そんな時、先輩から「腕に大きな風船を抱えて、それを割らないように回ってごらん」と言われてやってみたら、驚くほどスムーズに回れるようになった。

 

武道における体の動きを説明するのは至難の業である。後輩の指導をしていても、結局「体で覚えよ」と言うことしかできず、ずっとモヤモヤしていた。まさか、合気道と文学がつながるとは思ってもみなかったが、この部分を読んですとんと腑に落ちた。

 

また、内田さんは

「想像力が世界を創り、想像力の欠如が世界を滅ぼす。」

とも述べている。

 

個人が置かれている現実はその人の想像が及ぶ範囲に過ぎないのであって、そこから抜け出さなければ、めまぐるしい環境の変化に適応して、生き延びることはできない。

 

社会が予測不能になる中、実は文学が社会を生き抜くために必要なんじゃないか、とひっそりと思う。