昨日、ツイッターのタイムラインに「#先生死ぬかも」というハッシュタグのツイートがずらりと並んだ。私がフォローしているのは教育関係の方が多いので特にそんな印象があったのかもしれない。
そのハッシュタグがついたツイートを目で追っていたのだが、心が苦しくなってきていしまい、ミュートしてしまった。ツイッターのミュート機能を使ったのは今回が初めて。
私がミュート機能を使わざるを得ないほどツイートが並ぶというのは、それだけ学校現場で苦しんでいる人が多いということなのだろう。「死ぬかも」ではなく実際に過労で亡くなった知り合いのことについてのツイートも散見された。
今朝、内田良さんのネットニュースの記事を読んで「#先生死ぬかも」のハッシュタグがなぜ始まったのかを知った。
保守的な学校内では声をあげにくい教員が、ネット空間で声を上げ始め、教員の働き方の現状や問題点が可視化されつつあるのだそうだ。
記事の中で内田さんが提示する「魅惑モデルと持続可能モデル」の図はわかりやすかった。
教員の働き方の問題について言えば、マイナス面が表出した際にプラス面である教員の仕事の魅力について語ることでプラス面が目立つようになる。これが魅惑モデルである。しかし、これではマイナスは減らない。
そのため、プラス面はそのままにマイナス面を表出させ、それを取り除いていく持続可能モデルの方が教員に重くのしかかった負荷を減らすことができると筆者は主張する。
それにしても、「死ぬ」という言葉は重い。見る者の心にぐさりとくる。
私はずっと一貫して教員になりたいと思って学んできたし、講師として現場で働き、苦しいこともつらいこともあったけど、それでも教員になりたいと思っている。
でも、そうではない人からしたら、あのハッシュタグを見て「教員目指そう!」とは思わないだろう。生きるために仕事をするのだ。誰だって仕事で死にたくない。
人は楽しそうなところに寄ってくる。でも「楽しい」という意思表明は意識しないとなかなか出て来ないし、日々の生活に埋もれてしまう。
一方、マイナスの内容は増幅して広がりやすい。
教員の働き方がともすれば死と隣り合わせなのは事実だし、そこから目を背けてはならないと思う。今は個人でできるレベルのことしか思いつかないけれど、職場で「しんどいから助けて」と互いに言えるような、困っているときは手を差し伸べられるような関係を作っていければいいなと思う。
そしてそれ以上に、教師の楽しさについて自分自身が発信していけるようになりたい。
このツイートのように↓
大変だ、残業代も出ない…と言われるところに僕は働きたいとは思わない。
— 網代涼佑@夢見る高校教師 (@ryousukeajiro) 2020年8月15日
不安は拡散しやすいが楽しいは広がらない…
僕は教師がめちゃくちゃ楽しい。
楽しいところに人は集まる。
教育学部の志願者数が約10年で「激減」の衝撃 https://t.co/HrD0wbQ1ND