雪国には共助の精神が根付いている気がする

新潟県は10年に1度の大雪に見舞われています。

今朝のニュースでは新潟県上越市の積雪量が183センチだったと報じられており、「全国版にのったねー」などと母と話していました。

 

同じアングルで写真を撮ると、どれくらい積もったかがよくわかります。

上が元日のもので、下はさっき撮ったものです。

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庭がほぼ埋もれています…

 

天災の前では人間は無力です。しかも、天災は天災でも、突発的な地震等とは違って雪は毎年毎年降ってきます。人の力ではどうしようもないことに定期的に襲われると、みんなで何とかしようと共助の精神が培われるのかもしれません。

 

車道と歩道に除雪機が通ると、行き場のない雪はすべて車道と歩道の間に壁のように固められます。1メートル以上積みあがることもよくあります。傘をさして歩こうとすると人ひとり通るのが精一杯なほど狭いです。

 

そのため、雪道の歩道ですれ違うときは、相手が通りやすいように傘を傾けたり、背が高ければ傘を上の方に持ち上げたりしてスペースを作ります。

 

また、除雪するときもお互いにご近所さんのを「ちょっとだけ」やってあげるということが多いような気がします。我が家の除雪は主に父が担っているのですが、昨日は隣の家のお姉さんが帰宅するからと我が家の前の細い道を隣の家の方まで除雪していました。

 

全部やってあげようとするとこちらの身がもたないので、「ちょっとだけ」というのが大切なのかもしれません。

 

そして、言わずもがな、みんなで力を合わせて除雪するのが重要です。一人で除雪するといつまで経っても終わらないし、事故があったときに手遅れになりかねません。

 

院の仲間もみんなで助け合って雪に対応しているようです↓

こう言うのを見ると仲間の大切さを感じるし、いいなぁと思います。

 

不要不急の外出どころか、必要急用の外出もできない日々が続きそうですが、みんなで力を合わせて未曾有の大雪を乗り越えたいですね。

『グリーン・グリーン』(あさのあつこ)読了

『グリーン・グリーン』(あさのあつこ著)

グリーン・グリーン (文芸書)

グリーン・グリーン (文芸書)

 

主人公と自分の共通点が多いと、主人公に自分を重ねて読んでしまいます。

『グリーン・グリーン』の主人公である翠川真緑(みどりかわみどり)は、

・新任の女性教師

・高校の国語の先生

・農業高校に赴任

・失恋したばかり

↑主人公に自分を投影したのは、瀬尾まいこさんの『図書館の神様』以来ですが、自分と重なる部分がこんなにあって逆にびっくりです。

 

主人公の真緑さんは結婚を考えていた恋人に振られ、絶望の淵にいました。

死のうとは思わなかったけれど、生きていても輝かしいことなど何一つ無いようには感じられた。自分が憐れで、自分を憐れむ自分が情けなくて、苦しい。恋人を失っただけで世界の半分が消滅したような感覚が突き刺さってきて、痛い。(pp.37-38)

この「自分を憐れむ自分が情けない」というフレーズには強く共感します。地面にそのままずぶずぶと沈み込んでしまいそうなほど落ち込んでいる自分自身と、それをはたから見ているような自分がいるような感覚。

 

茶店で別れを告げられ、喫茶店を出てふらふらと歩き回り、ふと我に返るとまた同じ喫茶店の前に来ていました。そこでマスターが出してくれたおにぎりに、真緑さんは衝撃を受けます。

え?

大きく目を見張る。

美味しい。驚くほど美味しい。米一粒一粒がしゃんと立っている。そのくせ、軟らかく、一口ごとに米の甘さが広がった。

美味しい、美味しい、美味しい。

お米って、こんなに美味しいものなの?

海苔って、こんなに香ばしかった?

美味しい、美味しい、美味しい。

握り飯には軽く塩をふってあった。それが、米そのものの甘みを引き立てる。米に味があることを真緑は、初めて知った。

美味しい、美味しい、美味しい。(p.41)

そして、真緑さんはこのお米を作っている兎鍋村(となべむら)の喜田川農林高校に赴任することを決めます。

あの、あたし、兎鍋のお米が大好きなんです。詳しい話はしないけど、兎鍋のお米のお握りのおかげで、失恋から立ち直ることができたんです。ほんとに美味しくて、むちゃくちゃ美味しくて、こんな美味しい物があるんだったら、失恋にも耐えられるってお思っちゃったんです。

真緑さんが生徒の前でお米について語るシーンがあるのですが、失恋から立ち直らせてくれるご飯っていったいどんな味がするのでしょう。気になります。

 

また、真緑さんは高校で飼育している「201号」という豚と話ができます。この201号は脱走癖がある困った子なのですが、真緑さんと話している(?)ときはユーモラスで辛辣で、でもどことなく言葉に愛がある素敵な存在です。

「ちょっと、勝手に心の中を覗いたりしないでよ」

けっ。あんたの心なんて頼まれても覗きたくないね。

「だって、あたしの考えてることが……」

あんたは何でも顔に出るからね。わかりたくなくてもわかっちゃうんだよ。ふふふん、ふんふん。ふん。(pp.240-241)

本文の随所に出てくる真緑さんと201号の掛け合いを読むと、思わずクスっと笑ってしまいます。

 

真緑さんが失敗しながら葛藤しながら生徒たちとともに進んでいくお話は、元気をもらえるし、読み終わって心が温かくなりました。

信頼が目に見える形で現れると無性にうれしくなってしまう

先日、家庭教師先でうれしいことがありました。

 

私は現在3人の生徒さんを担当していますが、そのうちの1人が今年中学3年生で受験を控えて頑張っています。

 

その子は私立志望なので1月中旬で入試が終わる予定です。

そのため、保護者の方に「入試までは週に2回で、指導は1月中旬くらいまでということでよろしいですか?」と確認したら、「え? 本部の方から話聞いてないんですか?」という反応。

 

何のことだろうと思っていたら、中1の妹さんの指導を引き続きやってほしいとのことでした。

 

その話を聞いたとき、とてもうれしかったです。

 

私は4月には教員になるので家庭教師のアルバイトはどんなに長くても3月までしかできません。もし引き続き妹さんの指導をするにしても、私は実質2か月くらいしか担当できないことになります。普通なら新しい先生に担当してもらった方がいいと思います。

 

それでも私にお願いしたいと言ってもらえたのは、保護者の方も生徒さんも私を信頼してくださっているのかなと思い、とてもうれしかったのです。

 

念のため本部に確認したら「妹さんの方は新規の契約なので新しい先生を紹介する予定です」とのこと。「ですよね」と思いつつ、「引き続き指導してほしい」という保護者の方の言葉には、信頼が目に見える形で表れているようで、心が温かくなりました。

 

信頼は一朝一夕でできるものではありません。静かに、ゆっくりと雪が降るように積もっていくものだと思います。

 

「信頼してるよ」なんてわざわざ言うことでもないので、相手に対する信頼を表現することはとても難しい気がします。

 

だからこそ、ふとしたときに相手からの信頼が垣間見えるとうれしい気持ちになるのかな。

『主夫になってはじめてわかった主婦のこと』(中村シュフ)読了

最近はレコメンド機能のおかげで、検索履歴などをもとに一人一人に合わせた広告がでてきて、おすすめの商品を目にしやすくなっています。知らず知らずのうちに自分の趣味嗜好に沿ったものに囲まれがちです。

 

本も例外ではありません。Amazon楽天で本を買うと「これを買った人はこんな本も見ています」とおすすめが出てきて、ついつい似たようなジャンルの本を買ってしまったなんてことが起こり得ます。

 

目的がはっきりしていればネット検索は非常に便利なのですが、「ピンポイントで「これ!」と決まっているわけじゃないけど、こんな感じの本が読みたい」というときは、ネット検索だとあまりしっくりきません。

 

そんなときこそ図書館の出番!

小説、実用書、児童書などおおまかなくくりはあるものの、図書館にはいろいろな本が集まっています。特に今日返された本のコーナーはジャンルもばらばらな本が同じ場所に置いてあるので、意外な本との出会いがあります。

 

『主夫になってはじめてわかった主婦のこと』(中村シュフ)もそんな本のひとつ。

主夫になってはじめてわかった主婦のこと

主夫になってはじめてわかった主婦のこと

  • 作者:中村 シュフ
  • 発売日: 2015/04/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 作者は、日本唯一の”主夫芸人”、中村シュフさん。男子校出身の中村さんは家政科のある大学で家庭科と保健の教員免許を取得し、教員になるかと思いきや大学卒業後選んだのはお笑いの道。2006年にM-1の準決勝まで進出するものの2010年に解散し、結婚を機に家庭に入り現在2児のパパだそう。

↑経歴の時点ですでにおもしろそう。この部分のエピソードは序章に詳しく書いてあります。

 

芸人さんだけあって語り口は軽妙で、読んでいるとときどき「くすっ」と笑ってしまいます。その一方、主夫という立場から家事や育児、家庭の難しさや醍醐味などを丁寧に描写していて、思わずうんうんとうなずいてしまう「あるあるポイント」満載です。

「料理」に限らず「洗濯」「掃除」など、すべての家事に「流れ」は存在しています。このことを理解しているかどうかが、効果的なお手伝いをするためのポイントになってきますので、非シュフの方にはぜひ覚えておいてほしいですね。同じお手伝いをするなら、「余計なことしてんじゃねえよ!」と思われるより、「おっ、なかなかやるね」と思われた方が全然いいですから。(p.24-25)

洗濯物を、全体の量と種類を見ながら次々と物干しピンチにかけていき、最終的にその物干しピンチにすべての洗濯物が「ピッタリ」と収まり、そしてそのハンガーが左右バランスよく干せたりなんかすると、思わず小躍りしたくなるんですね。よっしゃあ!(p.47)

結婚している男友だちからは「家事やってるなんてすごいな、えらいよ」ってよく言われます。そんなとき僕は、「俺のことをすごいって思うその気持ちに『ありがとう』をつけて、自分の奥さんに伝えなよ」って言うようにしています。

だって男性だろうが女性だろうが、身近で家事を担ってくれる人は、同じく「すごい」わけで、だったら、その「すごい」ことをやってくれている人にはきちんと感謝しなくちゃいけないですからね。(p.151)

 

この本の中で一番いいなと思ったのは、終章の「世の中には「100%シュフの人」もいなければ「100%シュフじゃない人」もいないんです」というフレーズ。

どんな人間もひとつの要素だけでできているわけではない。世の中には「お金を稼ぐ」こと以外にも立派な役割がたくさんある。人間という生き物の中にはさまざまなチャネルが存在し、それらをTPOに合わせて選局することで、トータルの「自分」という像を結んでいる。すべての人が自分の中に「シュフ」というチャネルを持つことはとても自然なこと。

↑この中村さんの考え方は自分の中ですごくしっくりきました。

 

生きていく上で家事はなくてはならないものです。我が家も母と父と私でうまく家事を分担して日常生活をまわしています。各自が「シュフ」チャネルに切り替える割合に納得がいっているから、おうちで心地よく過ごせるのでしょう。

 

シュフについて改めて考えるきっかけをくれたこの本に感謝です。

 

中村シュフさんのブログはこちら↓

nakamurasyufu.jugem.jp

写真に添えられているコメントを見るとなんともほっこりした気分になります。

本もブログもおすすめです!

西川純研究室に入ると、本を読む量も内容も質も大きく変化する

午後から市内の図書館に来ています。

 

昨年の前半は研究のためのインタビューで飛び回り、後半は非常勤先で週4の授業と学校支援プロジェクトと論文の執筆で、パソコンや参考文献とにらめっこしていたので、こんなに気兼ねなく本を読めるのは本当に久しぶりです。

 

あぁ、幸せ…

 

本当は2週間後に迫る学修成果発表会に向けて、学習成果報告書を書いたり資料を作ってプレゼンの準備をしたりしなければならないのですが「今日だけはいいよね…いいよね!」と、ひたすら本を読んでいます。

 

さてさて。あと3か月経たずに大学院を修了し(予定)、西川研究室とも「さようなら」ということになります。もちろん人とのつながりはこれからも続いていくと思いますが、最近は一抹の寂しさが心をよぎります。

 

西川研究室に入って変わったなと思うことはいろいろあるのですが、本絡みで言えば、本を読む量も内容も質も大きく変わったと思います。

 

私はもともと本を読むのは好きだったので、大学卒業後講師をしていたときも、ときどき区の図書館に行っては小説を借りてきて読んだり、授業で使えそうな教材に関する本に目を通したりはしていました。

 

ただ、今振り返ってみると、当時の私はどうしても目の前の生徒たちや翌日の授業にばかり目がいきがちだったと感じます。

とりあえず今がなんとかなればそれでいい、みたいな。

 

西川研究室に入ると、西川先生は私たちの遥か先にいて、常人では思いつかないようなビジョンをもとに「この先生はいったい何を言っているのだろう?」というような話を平気でします。ときには涙を流しながら語ります。

 

最初は先生の話について行くために『学び合い』関連の本を読みます。そもそも先生の話について行くことなど不可能なのですが、それすら読まないとお話にならないのです。

 

すると、だんだん「幸せに生きていくためには」とか「子どもたちの一生涯の幸せを保障するには」というような考えが自分の中に根付いてきて、そのために本を読み始めます。先輩や同期や後輩が読んでいる本がいいなと思ったら、買ったら借りたりして読んでみます。

 

授業をおもしろくするレベルでは子どもたちの一生涯の幸せを保障できないので、必然、読む本の内容は今の社会とこれからの社会に関することになってきます。

 

学校支援プロジェクトで『学び合い』の授業実践をすると、授業の最初と最後の語りでこれからの社会のことを語ることもあります。自分の腑に落ちていないと薄っぺらい言葉になってしまうので、本を読みながら自分の経験と結びつけ、照らし合わせて考えたり、わからないところがあれば人に聞いたりして、これからの社会のことや生徒たちにどうなってほしいかということについての自分の軸のようなものを作っていきます。

 

本を読み、自分で考え、人と話すことで考えを蓄積しなければ、生徒たちの前で語ることができないし、生徒たちの前で実際に話してみなければ、自分に足りないものが何かわからず、自分の中に何を加えればよいのかわからない。

 

インプットとアウトプットは車の両輪のようなものであり、どちらかが欠けていてはダメなのだということがよくわかりました。

 

教師をしていれば基本授業は毎日のようにあるので、アウトプットの機会には事欠かないのですが、インプットは意識していないと疎かになってしまいます。昨年の後半、非常勤講師として働いていてこのことを強く感じました。並行して論文の執筆や学校支援プロジェクトをしていたのもありますが、なかなか本を読む時間を作れていなかったので、生徒たちを前に語りながら「なんとなく薄っぺらな内容だなぁ」と感じることもありました。

 

4月から中学校の教員になる予定ですが、日々アンテナを張り、意識して本を読むようにしたいと思います。

母は一番身近なお金の先生

1/24(日)にあるファイナンシャルプランナー(FP技能士)検定の勉強を年明けからちょっとずつ進めています。テキストが全6章で構成されているのですが、2日で1章終わらせるペースでやっています。

 

FP技能士の検定は学科と実技に分かれており、両方に合格すると検定合格となります。

今回私が受けるのはFP技能検定3級ですが、実施団体は一般社団法人金融財政事情研究会NPO法人日本FP協会の2つです。私は後者の方で受験する予定です。

実施団体に関わらず、学科試験はマークシート方式で○×式30問・三択式30問(各1点)の60点満点で6割(36点)取れれば合格です。

実施団体の違いは実技試験に出ます。金融財政事情研究会の方は記述式5題、日本FP協会マークシート三択式20問です。ただ試験方法は異なりますが、6割以上取れれば合格です。

 

と、FP検定についてつらつらと書いてきましたが、お金について腰を据えてしっかり勉強するのはこれが初めて。当然わからないことだらけです。初めて聞く用語がたくさん出てきます。

 

私がFP検定の勉強をする際に心がけているのは、なるべく具体的な事例に落とし込んで考えることです。幸いなことに我が家は年金や社会保険についていろいろなパターンの人間がいます。

父と母は現在自営業者なので第1号被保険者、父は以前会社員だったのでその期間は厚生年金に入っていたし、母は自営業の期間が長いので国民年金基金にも入っています。

私は私立の学校で講師をしていたことがあるので第2号被保険者→今は学生なので第1号被保険者。また、昨年は国民健康保険の保険料よりも私立の共済の保険料の方が低く済みそうだったので、任意継続被保険者制度を活用しました。

 

勉強するときはなるべく母と同じ部屋で勉強し、「○○についてうちならこういうことだよね?」と聞きながら進めています。

 

母は医療系の職を辞めて本格的に自営業(農家)を始めたとき、お金のことを必死で勉強したそうです。その後も必要に応じて学んできたとのこと。そのおかげか毎年の確定申告もお手の物。私が去年確定申告をしたときもいろいろと教えてもらいました。

 

母はお金についてよく考えています。

 

先日も年末年始に妹が帰省してきて姉妹がそろったので、県民共済の補償内容を内容を見直した方がいいよとアドバイスしてくれました。現在はケガや病気の補償と死亡時の補償が半々になっていますが、私も妹もまだ若いので前者の補償の割合を多くした方がいいとのこと。たしかに…

 

母は少額ではありますが投資もしているようなので、投資に関して理解があり話をすることもできます。

 

身近なところにお金に関する”先生”がいるのは心強いです。

『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』読了

『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ヤニス・バルファキス著・関美和訳)

実を言うと、この本は一度読むのに挫折していました。重要そうなところに線を引きながら読んでいたのですが、線を引くと一旦脳内がストップしてしまうのか、なかなかテンポよく読み進められなかったのです。

 

今日久しぶりに読んでみたら、途中からどんどん話に引き込まれ、5時間かからずに読み終えてしまいました。感動しました。

 

何に感動したって、国債の仕組みがわかりやすく書かれていたことです。

「なぜ国の借金である国債を発行し続けるのか?」

私の中でずっとくすぶっていた問いでした。日本人は生まれながらに900万円以上の借金を負っていることになります。そしてそれは増え続けています。なぜそれでも国債を発行し続けるのか理解できませんでした。

 

ただ、著者曰く、公的債務(国債)があまりに増えすぎると問題が起こることもありますが、少なすぎても問題なのだそうです。市場社会において銀行は公的債務がなければ生きられないからです。

 

市場社会において国債が必要な理由は以下の2点にまとめられます(詳しくはp.115~117参照)。

①そもそも国は税収だけではやっていけない仕組みになっている

お金持ちは節税に努め、政府が借り入れなしでやっていけるほど十分な税金を払いたがりません。国は足りない分を債券によって賄い、それをもとに政府がお金を使うことで直接に経済を循環させ、すべての人がその恩恵にあずかることができるのです。

②銀行にとって国債は現金のかわりに手元に置いておくのに都合が良い

銀行は利子を生まない現金を手元に置いておくことを嫌いますが、預金者が預金を引き出しに来たときのために、すぐに現金に換えられる何かを手元に置いておく必要があるのだそうです。人々が政府を信じている限り国債には必ず買い手がつくし、安全に利子を稼いでくれるので、国債は手元に置いておくのにぴったりなのです。

 

今の日本の国債発行額は多すぎると思うので減らす努力をする必要はあると感じますが、国債がまったくなくなれば万事解決ということではないのだということがわかっただけでも、この本を読んだ価値があったと思います。

 

また「選ばなければ仕事なんかいくらでもある」という「失業否定派」の考え方を見事に反論しているところも興味深かったです。モノの値段は下げていけば買い手が見つかる可能性がありますが、自分の労働力の対価(給料)を下げても職にありつけるとは限らないことを具体例をもとにわかりやすく説明しています。詳しくは「第5章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界」を読んでみてください。

 

この本の内容は格差や市場社会の歴史に始まり、最後の方は幸せについても言及しています。

 

 人の人格や欲しいものはどうして変わるのだろう? 簡単に言うと衝突があるからだ。自分の望みを一度に全部は叶えてくれない世界と衝突することで人格ができ、自分の中で葛藤を重ねることで「あれが欲しい。でもあれを欲しがることは正しいことなのか?」と考える力が生まれる。われわれは制約を嫌うけど、制約は自分の動機を自問させてくれ、それによってわれわれを解放してくれる。

 つまるところ、満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。(p.231)

 

人の欲望に限りはないし、市場社会は欲望を生み出し続けます。自分の望みがすべて叶ってしまったら、人間の成長はそこで止まってしまう気がします。

 

この本を通して、経済について知り、経済を人任せにせず、自立した大人になることが幸せになるためには大切なことなのかなと思いました。