西川純研究室に入ると、本を読む量も内容も質も大きく変化する

午後から市内の図書館に来ています。

 

昨年の前半は研究のためのインタビューで飛び回り、後半は非常勤先で週4の授業と学校支援プロジェクトと論文の執筆で、パソコンや参考文献とにらめっこしていたので、こんなに気兼ねなく本を読めるのは本当に久しぶりです。

 

あぁ、幸せ…

 

本当は2週間後に迫る学修成果発表会に向けて、学習成果報告書を書いたり資料を作ってプレゼンの準備をしたりしなければならないのですが「今日だけはいいよね…いいよね!」と、ひたすら本を読んでいます。

 

さてさて。あと3か月経たずに大学院を修了し(予定)、西川研究室とも「さようなら」ということになります。もちろん人とのつながりはこれからも続いていくと思いますが、最近は一抹の寂しさが心をよぎります。

 

西川研究室に入って変わったなと思うことはいろいろあるのですが、本絡みで言えば、本を読む量も内容も質も大きく変わったと思います。

 

私はもともと本を読むのは好きだったので、大学卒業後講師をしていたときも、ときどき区の図書館に行っては小説を借りてきて読んだり、授業で使えそうな教材に関する本に目を通したりはしていました。

 

ただ、今振り返ってみると、当時の私はどうしても目の前の生徒たちや翌日の授業にばかり目がいきがちだったと感じます。

とりあえず今がなんとかなればそれでいい、みたいな。

 

西川研究室に入ると、西川先生は私たちの遥か先にいて、常人では思いつかないようなビジョンをもとに「この先生はいったい何を言っているのだろう?」というような話を平気でします。ときには涙を流しながら語ります。

 

最初は先生の話について行くために『学び合い』関連の本を読みます。そもそも先生の話について行くことなど不可能なのですが、それすら読まないとお話にならないのです。

 

すると、だんだん「幸せに生きていくためには」とか「子どもたちの一生涯の幸せを保障するには」というような考えが自分の中に根付いてきて、そのために本を読み始めます。先輩や同期や後輩が読んでいる本がいいなと思ったら、買ったら借りたりして読んでみます。

 

授業をおもしろくするレベルでは子どもたちの一生涯の幸せを保障できないので、必然、読む本の内容は今の社会とこれからの社会に関することになってきます。

 

学校支援プロジェクトで『学び合い』の授業実践をすると、授業の最初と最後の語りでこれからの社会のことを語ることもあります。自分の腑に落ちていないと薄っぺらい言葉になってしまうので、本を読みながら自分の経験と結びつけ、照らし合わせて考えたり、わからないところがあれば人に聞いたりして、これからの社会のことや生徒たちにどうなってほしいかということについての自分の軸のようなものを作っていきます。

 

本を読み、自分で考え、人と話すことで考えを蓄積しなければ、生徒たちの前で語ることができないし、生徒たちの前で実際に話してみなければ、自分に足りないものが何かわからず、自分の中に何を加えればよいのかわからない。

 

インプットとアウトプットは車の両輪のようなものであり、どちらかが欠けていてはダメなのだということがよくわかりました。

 

教師をしていれば基本授業は毎日のようにあるので、アウトプットの機会には事欠かないのですが、インプットは意識していないと疎かになってしまいます。昨年の後半、非常勤講師として働いていてこのことを強く感じました。並行して論文の執筆や学校支援プロジェクトをしていたのもありますが、なかなか本を読む時間を作れていなかったので、生徒たちを前に語りながら「なんとなく薄っぺらな内容だなぁ」と感じることもありました。

 

4月から中学校の教員になる予定ですが、日々アンテナを張り、意識して本を読むようにしたいと思います。