礼を尽くし、自分の研究が広がっていくよう種を蒔いてみる

昨日から今日にかけて、個人研究のインタビュー調査にご協力いただいた企業の方にお礼状を書いていました。「書いていた」といっても、実際は文面を考えてwordで文章化し、印刷したのですが。

 

送付先は20社を超えるのでお礼状はパソコンで作りましたが、宛名は手書きにしました。もちろん宛名も印刷することはできるのですが、おそらく今回しか使わない住所をタイピングし、印刷の設定をし、封筒をプリンターにセットして…というのが手間だなぁと思ってしまい、結局手書きするアナログな私。

 

お礼状はパソコンだったから宛名はせめて手書きで、という思いも少しあります。やっぱり「手書きの方が心がこもっている」という考えが頭のどこかにあるのでしょうね。

 

封筒を重ねてみたらけっこうな高さになりました。

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宛名を書き終わったときに思わず「たくさんあるなぁ」と言ったら、隣にいた母が一言「それだけお世話になったってことでしょ」。

 

そうなんですよね。私の研究は外部の方の協力なくしてはできませんでした。コロナ禍でなかなか外部の人間が社内に入りにくい中、いろいろ感染対策をした上で快く受け入れてくださった地元企業の方々にはとても感謝しています。

 

また、今朝はこれまたインタビューにご協力いただいた高校の先生方にお礼を伝えるとともに、論文の概要を送りました。

 

私自身高校で講師をしていたことがあるので、現場にいるとなかなか研究論文を読もうという考えにはならないのはなんとなく実感としてあります。

 

それでも、私の研究が高校の先生方に届いてほしいなぁと思っています。

 

・企業の人の方が高校の先生よりも"異世代間のコミュニケーション能力"を重視している

・高校時代のアルバイト経験は異世代間のコミュニケーション能力を向上させる

↑一方で、論文の結論はこの2本立てなので、現場ではなかなか受け入れられないのかなとも感じています。

 

それでも、私の中にはこの研究結果は日本の教育を変える一助になるのではという確信のようなものがあります。

 

全員に届かなくてもいい(というか、全員はそもそも無理)。

興味を持った先生に届けばいいな。

 

まずはお世話になった先生方から、ということで種を蒔いてみました。

新しき年を迎へて抱き負ふもの(抱負)

皆さま、明けましておめでとうございます。

今年は雪のお正月でした。夜だけで20センチくらい降ったでしょうか。雪国生まれにとっては積もった内に入りませんが。

 

いきなりですが、新年なので抱負でも書いてみようかと。

 

①目標にする人、自分にとって大切な人を見極める

占いによると今年は不要な縁が切れる年だそうで。

自分にとって必要なものと不要なものを見極め、不要なものは思い切って手放すことが来年以降の飛躍につながるらしいです。

 

私は3月に大学院を修了し、現場で働くことになります。職場でうまくやっていくためには、挨拶などの基本的な礼儀を目に見える形で示すことと、目標とする人・相談にのってもらえる人を見極め、必要に応じて他者の力を借りることが大切だと思っています。

 

自分にとって必要な縁を切ってしまわないように、不要なものを惰性や執着で抱え込んでしまわないように、冷静に判断する目を養っていきます。

 

②日々学び続け、何かしらの形で発信を続ける

昨年は寝落ちして日付が変わってから更新したものを除けば、毎日ブログを更新することができました。

 

『学び合い』の会やオンラインでの勉強会に参加したり、情報発信を続けたりしたことで、個人研究のインタビュー先を発掘できるなど、新たな学びを得てそれを発信していくことが得であることを実感しました。

 

また、私はどちらかといえば放っておくと変化したがらない人間なので、ときどき新たなことに首を突っ込んでみるといいのかなと思っています。今日の午前中も、1月末にあるファイナンシャルプランナー検定の勉強をコツコツと進めていました。

 

4月以降どのような職場環境になるのかは未知数ですが、日々学び続ける姿勢を忘れず、毎日何かしらの形で(おそらくブログがメインですが)情報発信を続けていきます。

 

③働き出す前に時間とお金をしっかり使って身体のメンテナンスをする

社会に出て働いてから感じたのは「病院に行っている余裕がない!」ということです。痛みがあるなど緊急性が高い場合は別ですが、そうでもなければ仕事の忙しさにかまけて身体のメンテナンスをするのを怠りがちです(特に歯医者の定期検診など)。

 

幸い旧年中は院生だというのにバカみたいに働いたおかげで、金銭的に多少余裕はあります。これを機にしっかり身体のメンテナンスをして、健康に仕事に取り組めるようにします。

身体が資本ですからね。

 

とまぁ、いろいろ書いてきましたが、最大の目標は「教員を続けること」です。

 

ということで、今年もよろしくお願いします。

2020年、院生生活2年目の振り返り

2020年ももう少しで終わろうとしています。

今日は今年の振り返りをしてみようかと。

 

院生生活2年目の今年は怒涛の1年でした。M1だった昨年と比べれば余裕が出て落ち着くかなと思っていたのですが、全くそんなことはありませんでした。

 

・新入生の勧誘

・ゼミのみんなと本の執筆(『子どもが「学び合う」オンライン授業!』

・研究のためのインタビュー調査(100人以上)

・教員採用試験

・夏から冬にかけての非常勤講師生活

・学校連携プロジェクトで小学校に行く

・越後『学び合い』の会で分科会のファシリテーション

・論文の執筆

↑ざっと挙げただけでもこんなにたくさんやっていました。

私はどうやら泳いでないと死んでしまうマグロのように、常に何かしていないとダメなタイプのようです。

 

今年の最初に掲げた目標は、

①高速道路で運転できるようになる

②教員採用試験に合格し、進路を確定させる

③研究して論文を1本書く

という3本立てだったのですが、おかげさまで1つ残らず達成することができました。

 

論文はまだ学会用にまとめただけなので、紀要に申し込んだり、学習成果発表会の準備をしたりと年明けもいろいろとやることがたくさんありますが、とりあえず一息。

 

今年は自分自身と向き合い、自分の苦手なことに挑戦する年でもありました。

 

大学時代に「研究は無理だ…」とストレートで院に進学する選択肢を捨て、修論を書かなくてもいいということもあって上越教育大学の教職大学院に入ったはずなのに、いつのまにかどっぷりと研究につかり、気づけば論文を書いていました。

 

また、「ファシリテーションなんて自分にはできないなぁ…」という思いがどこかにあったのに、越後『学び合い』の会での分科会担当を「やります!」と言い、ぶっつけ本番でオンラインでのファシリテーションをやっていました(もちろん、事前にお話しされる先生とは入念に打ち合わせをしましたが)。

 

学校連携プロジェクトでも、免許を持っている中高ではなく、まったく未経験の小学校に行きました。私は4月から中学校で勤務する予定ですが、その前段階の小学校と中学校の先の選択肢である高校の現場で経験を積めて本当によかったと思っています。

 

大きく成長できた1年でしたが、おそらく一番の成長は「ためらわず、ただし敬意をもって人にお願いすることができるようになった」ことです。

 

私は人に頼むより自分でやってしまった方がいいと思ってしまうたちですが、今年は自分の力だけではどうしようもないことが次々と起こり、人にお願いをする経験を通してうまく人に頼る術を身につけることができたような気がします。

 

さぁ、来年はどんな年になるのでしょう。

少しワクワクしつつ、家族とともに年を越そうと思います。

 

それでは皆さま、よいお年を。

映画「えんとつ町のプぺル」を見て

映画「えんとつ町のプぺル」を見に行ってきました。

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(写真は映画の公式HPより)

www.poupelle.com

 

心に響く作品でした。

思わず涙を流していました。

 

父親の紙芝居のお話を信じ続け、星の存在を夢見るルビッチと、ルビッチの話に耳を傾け、ともに行動するプぺルの姿は胸に迫るものがありました。

 

 

小さい頃は誰しも夢を持っていたと思います。

仮面ライダーになりたいとか、おジャ魔女ドレミになりたいとか…

 

それが小学校に入ると、「しょうらいのゆめ」としてスポーツ選手とか歌手とかお花屋さんなどの職業になってきます。

 

そして中学、高校と進むにつれ、「それじゃあ食っていけないよ」とか「お前には才能がないからやめておきな」という大人からの”お前のためを思っての忠告”によって夢はなりを潜め、いつしか「○○高校に行く」「□□大学に行く」というような進学目標が我が物顔で夢の領域に居座ることになります。

 

そう考えると、子どもたちが夢を持って生きていくには大人のマインドセットが必要だし、学校教育の果たす役割は大きいと感じます。

 

 

さいころの夢をそのまま持ち続けてもいいし、その時々に応じて夢が変わってもいいと思います。

 

ただ、(今のところですが)私が教員として関わる子どもたちにはその子なりの夢を持ち続けてほしいし、ワクワクして生きていってほしいと思います。

 

そして、人生山あり谷ありだけれど、生涯幸せに生きていってほしいと思います。失敗を恐れるのではなく、失敗してもまわりの助けを借り、立ち上がって前に進んでいける人になってほしいです。

 

そのために中学校の教員として何ができるのか、自分なりの考えを持って来年の4月から教壇に立ちたいと思います。

新任で『学び合い』をするとしたら気をつけたいこと

今年非常勤で働いていたとき、かなりお世話になったのが『みんなで取り組む『学び合い』入門』です。

壁にぶつかってしんどかったときは、これを見直していました。

 

この本には、初めて『学び合い』をする際におさえておきたいポイントがいっぱいつまっています。

 

でも、人は得てして調子のいいとき(もしくは無鉄砲なとき)は、本を読んでも自分に必要なことが目に入らないものです。そもそも、転ばぬ先の杖的に「本を読もう」という考えすら頭の中にないこともあります。

 

以下は、非常勤先でいきなり『学び合い』をやろうとして大失敗した私が学んだ教訓のようなものです。私は来年から中学校の先生になる予定ですが、運よく1年目から『学び合い』ができる環境だったり、数年働いて『学び合い』を始めたりするときは、これらを徹底したいと思っています。

 

①いきなりフルで『学び合い』をしない!まずは週1ペースで!

週の中で1時間だけ『学び合い』をするんだよ。

それでやる分には抵抗は少ない。(中略)徐々に増やすことだね。

その中で、今まで話したように、周りの人の理解を得て、分かりやすい成果、例えば、成績の結果を出せば増やせるよ。(中略)ただし偉そうに見えない程度にね。(p.93)

『学び合い』は現状最も”マシ”であるという考えが私の中にはあります。それはおそらく当分変わらないと思います。

 

ただ、それが「『学び合い』はよいものである」→「『学び合い』をやるべきだ」という方向にいくと、いきなり最初から全ての授業を『学び合い』でやってしまうというような暴走につながってしまう気がします。実際私は暴走して、私自身しんどい思いをしたし、生徒たちにもつらい思いをさせてしまいました。

 

『学び合い』は現状の学校教育の中では「変わっている」という目で見られます。そのことを頭の片隅でもいいので常に自覚しておかねばならないと思います。

 

人間は基本的に変化を好まないので、変わったことをすれば生徒や同僚、保護者から拒絶反応や反発が出ることは避けられません。

 

急激に変化するのではなく、自分もまわりも受け入れられるペースで進めていくことが大切なのだと思います。

 

 

②振り返りシートやアンケート…使えるものは何でも使って生徒の声に耳を傾ける

その子の話を聞いてあげることだよ。そして、出来ることは応えてあげよう。(p.40)

『学び合い』に対してのアンケートを定期的にやることだね。(p.41)

非常勤先で働き始めてすぐのころは、生徒たちとうまく人間関係を作れないまま『学び合い』をしていました。そのため、生徒たちの授業に対する不安や悩みは直接私のところには来ず、他の先生を通してやっと私の耳に入るという始末。

 

その後はなんとか生徒たちとの関係を築くことができたのですが、直接言いにくい場合に生徒が要望を伝える手段として、振り返りシートは大きな役割を果たすと感じました。

 

自分の授業に対する取り組みを言語化するというのももちろんですが、「コメント部分には何を書いてもいいよ」と言ってあったためか「黒板の文字が小さくて後ろからだと見づらいです」とか「プリントもう1枚ください」など、生徒たちからの要望がちょこちょこ出て来るようになりました。

改善できるものはすぐに改め、難しいことに関しては「なぜ難しいのか」とともに全体に対して語るというのを心がけました。

 

最後のアンケートにも「振り返りシートはひとりひとりとつながるよい手段になると思うので続けてください」という風に書いてきてくれた子がいたので、振り返りシートは続けていきたいと思いました。

 

 

③うまくいかないことがあったら”すぐに・素直に・率直に”謝る

信頼と放任は違うと本に書いてあった。「私は手を抜いているのではない、子どもを信頼しているんだ」と思っていた。でも、子どもは教師の心を写す鏡。放任していたんだね。思い起こせば、放任していた自分の行動が思い当たる。

(中略)

謝ることだよ。長々した言い訳なしに謝ること。教師にとっては辛いけど、言い訳がましく言えば子どもは本当に反省していないことを見透かしてしまう。(p.36)

『学び合い』は生徒に学びの主導権を委ねる時間が長いため、うまくいかないこともでてきます。というよりも、正直うまくいかないことだらけです。

 

そのときは、すぐに・素直に・率直に謝り、改善点や「こうなってほしい」という思いを手短に伝えるのが一番だと思います。

 

謝るのは勇気がいることです。私は最初大失敗して謝ろうと決めた日は、授業に向かう足取りが重かったです。心臓もバクバクでした。

それでも、やっぱりうまくいっていないのは自分の責任なので、謝るよりほかありません。

 

謝った後劇的に変わることもあるし、表面上はたいして変わらないように見えることもあると思います。ただ、「謝らないまま進んだ未来」よりもマシになっていることは確かです。

 

 

④『学び合い』に関係なく、生徒のこと・授業のことを相談できる同僚を見つける

同僚はあなたをどんな授業をしているかで判断しているのではなく、あなたがその人に接するとき、どんな行動をしているかで判断しているよ。(p.72)

特に、新たなことをしようとしている人は、まず、人として認められなければならない。それも高く評価されなければね。(p.73)

 生徒や授業のことについて普段から話したり相談したりできる同僚がいるかどうかはかなり重要だと思います。

 

私は『学び合い』の授業で大失敗したときに大学院の仲間や先輩に相談し、なんとか乗り越えることができました。本当に感謝しています。

 

ただ、その学校の空気感や不文律のようなものは同じ環境に身を置く者にしかわかりません。『学び合い』の「ま」の字を言っても言わなくても、生徒のことや授業のことを相談できる人が同僚の中にいると、精神的な負担はかなり軽くなるなと思います。

 

そして、自分の話を聞いてもらうには、自分がそれに足る人物であることを行動で示していかなければなりません。まずは日頃の挨拶を徹底するところから始めるといいと思います。

断捨離1日目は思い出とともに

学会への原稿提出が終わったので、今日から大掃除に取りかかった。

 

掃除ではなく、どちらかと言えば断捨離に近いかもしれない。

 

来年から働き始めるので、これまで溜め込んできたものを精査し、必要なものとそうでないものに分けて、いらないものは処分することにしたのだ。

 

今日手をつけたのは、小中高の文集やら教科書やらといった思い出の品たち。

 

中を見るとついつい手が止まってしまうので、自分のところ以外は見ないようにした。

"「いつか見るかも」の「いつか」は来ない"を合言葉にサクサクと作業を進めていった。

 

取っておきたいものは、スマホで写真を撮ってデータ化し、本体は基本的に処分。

ずいぶんと懐かしい写真も出てきた↓

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そういえば、小学校では「めめ」と「ここ」という実にわかりやすい名前をつけたヤギとニワトリを飼ってたなぁ…

 

小学校用の段ボールにはほぼ全学年分の文集が入っていた。

 

小4あたりから「将来の夢」を書く欄が出てきたのだが、小4当時の私は「数学者」と「理学者」になりたかったらしい。このときはまだ数学も理科も苦手じゃなかったんだろうなぁ。

 

その後小6の卒業文集では、将来の夢は「じゅくの先生」になっていた。塾に行ったこともなかったのに、なんで塾限定だったんだろう?謎だなぁ。

 

卒業文集には、「クラスの中で○○な人」というランキングが載っていた。

 

ランキングはいくつかあったのたが、私は「長生きしそうな人」と「大人になったら見た目が変わりそうな人」の女子部門でぶっちぎりの1位だった。

 

長生きするかどうかはよくわからないけど、たしかに外見はかなり変わったと思う。中身はそこまで変わっていないような気もするけども。

 

気づけば段ボール3箱はゆうにあった思い出の品たちは、小分けにされてひもでまとめられていた。

 

今まで溜め込んできたものがなくなったので、少しだけ軽やかになれた気がする。

(一応)論文を書き上げた話

先ほど、臨床教科教育学会に発表要旨集の原稿をメールで送った。

 

締切は明日までなのだが、余裕をもって今日提出した。

明日パソコンが壊れるかもしれないし、データが吹っ飛ぶかもしれないし、何があるかわからない。最悪を想定してちゃっちゃと出すことにした。

 

 

そう言えば、大学4年時の卒論も前日に出したなぁ…

締切は12/25の正午だったから、クリスマスイブに卒論を提出し終え、すぐさまケーキを買いにいった気がする。

 

 

臨床教科教育学会はいくつかの大学で持ち回りで開催しており、今年は本来ならば上越教育大学で行う予定だった。しかしながら、コロナ禍のためオフラインで集まることが難しくなったので、学会のHPで紙面発表という形になった。

 

年明けすぐに行われる学会がなくなったので県外勢は久しぶりにゆっくり帰省することができるのだが、ひとつ大変なことが。

 

今年は紙面発表なので研究結果や考察、結論まで記載しなければならず、「結果、考察は当日発表する」という伝家の宝刀が使えなかったのだ。

 

締切が近づいていたので、西川研のメンバーはここのところ論文の執筆や添削、データの分析などに追われていた。

 

 

私が所属する西川研究室は学校連携プロジェクトのチームごとに研究して論文を書くことが多い。ただ、私は個人研究だったので、調査・分析・執筆は基本ひとりでやっていた。

 

研究の過程を振り返ってみると、よくひとりでやってたなぁと思う。

今年の3月あたりから地元企業にインタビュー調査のアポを取り始め、4~7月にかけて地元企業の人事担当者や高卒で就職した人にインタビュー。8~9月にかけて高校の先生にインタビュー。10月以降はプロトコル分析に追われつつ論文の執筆。

 

インタビュー総数は100名を超える。論文を読んだ同期の現職さんが「質問紙調査(アンケート等)かと思っていたらインタビューだったんですね。よくこんなにたくさんインタビューしましたね!」とびっくりしていた。

 

やっぱりひとりだけでやるのは限界があるので、いろんな人の力を借りた。

特に12月に入ってからは、ゼミ生や他ゼミの同期に論文を添削してもらい、論文をブラッシュアップしていった。

 

人によって視点が違うので、自分では気づかなかった指摘をもらえると本当に助かる。

自分で書いた文章を読むといろいろ読み飛ばしてしまうのだ。主語と述語が対応していないという国語の教員にあるまじきミスも多発するし。

 

今朝も同期が添削してくれたコメントの中に、「直接確計算」は「直接確計算」だよ、というのがあり、「提出する前でよかったぁ…」と思った。

 

 

年内の締切関係はこれで終わり。とはいえ、年明けにある学習成果発表会の準備はまだある。

 

とりあえず書くだけ書いた10ページに及ぶ論文を、発表要旨集の原稿用に4ページにまとめるのも大変だったのだが、学習成果発表会の原稿はなんと2ページ!

いったいあとどこを削ればいいのやら…

プレゼン用の資料も作らなきゃいけないし、何を話すか考えて発表の練習もしなければならない。

 

そして、上教大の紀要に申し込むために書式や体裁を変えなければ。

最初は「A論文(査読付き論文)にしたいなぁ」なんて大それたことを考えていたが、西川先生の「研究者になるわけじゃないから紀要で十分」という話に「それもそうか」と思い、紀要に切り替えた。

 

「紀要に載ったら、Ciniiの著者検索で自分の名前入れると論文が出て来るってこと?!」とちょっとワクワクしている笑