連携プロジェクト、始動

今日、今年の連携プロジェクトでお世話になる学校の先生と「作戦会議」をした。

 

西川先生を交え、チームのメンバーからの要望をその先生に伝え、逆にその先生からは連携でどのようなことをしてもらいたいかということを教えていただき、お互いに情報共有をした。

 

私のいるチームは教育実習のため不在のM2が多く、最初のうちはM2の私+M1で入ることになりそう。

 

私は直前で連携校の選択を変えたのだが、今年の連携プロジェクトは私にとって大きなチャレンジになりそうだなと感じている。

想定していなかった校種、急に心の中に湧き上がってきたやりたいこと…去年とは勝手が違ってわからないことばかりで不安もあるけど、どこかワクワクしている自分もいる。

 

結局は「迷ったら勇気が必要な方へ」が正解なんだろうな。そして、選択したあとはその選択が正解だったと思えるようにまず行動してみるのが大切。

 

コロナウイルスの影響で、連携プロジェクトでの関わり方は正直未知数なところが多い。それでも、連携先の子どもたちや先生方から「今年も来てもらってよかった。また来年も来てもらいたい」と思ってもらえるよう、できることは「はい喜んで」と進んでやっていこうと思う。

 

それにしても、久しぶりに「給食」っていう言葉聞いたなぁ。

西川研の全体ゼミはトランザクティブ・メモリーを高める?!

今日は久しぶりに全体ゼミに出た。手帳を確認したらなんと1か月ぶりだった。

決してサボっていたわけではない。インタビューのスケジュールが金曜日の午後に集中していたのだ。

 

「全体ゼミに出た」と言っても、実際は自分の家からZoomでの参加である。今週に入ってから異様なほど体調が悪く、今日も大事を取って家に引きこもることにした。

口内右側に口内炎(特大)→右目にものもらい→右耳が聞こえにくくなる→頭痛(今ココ)

特に体の右側が集中してやられている。右半身だけ免疫力が下がるなんてことあるのだろうか…

 

さてさて、話が脱線した。

全体ゼミは、週に一度ゼミ生のほとんどが顔を合わせる時間。ただ、西川研の全体ゼミはちょっと変わっている。論文や各自の研究について検討するなどの、いわゆる”ゼミ活動”は基本やらない。

みんなでアイディアを出し合って今後やることを決めたり、今やっているプロジェクトの進捗状況を確認したりするのが、全体ゼミで主にやっていることである。

 

「アイディアを出し合う」と言えば、よく使われる手法に「ブレインストーミング(ブレスト)」がある。しかし、このブレストは実はアイディア出しには不向きなのだそうだ。

business.nikkei.com

「5人が顔を突き合わせてブレストするグループ」と「5人が個別にアイディアを出して最後にアイディアを足し合わせるグループ」では、後者の方がよりバラエティに富んだアイディアが出たということが研究結果で明らかにされた。

ブレストがアイディア出しに不向きな要因として、

①他者への気兼ね(他者の自分への評価が気になる)

②集団で話すときは思考が止まりがち(相手の話を聞かなければならないから)

の2つが考えられるのだそう。

 

ではブレストにはどのような役割があるのかというと、「組織の記憶力を高める」らしい。ブレストによって、「組織の誰が何を知っているか」を組織の全員で共有することができるのだそう。

これは、”トランザクティブ・メモリー”の考え方ともつながってくる。

 

トランザクティブ・メモリーを高めるためには、顔を突き合わせての直接交流が重要である。アイコンタクトや身振り・手振り、表情等を見ることで、その人がある事項について理解できているかどうか把握できる。

 

ゼミ生のほとんどが直接顔を合わせる全体ゼミには、トランザクティブ・メモリーを高める効果があるのかな、とちょっと思った。

聞いているつもりが聞いてもらっていた

今週分の就職した方へのインタビューは今日で終わり。

ただ、今日のインタビューはかなり衝撃的だった。

 

今やっているのは半構造化インタビューなので、完全にフリーというわけではなく、質問項目はあらかじめ4つほど決めてある。

 

多少脱線することもあるものの、基本的には質問項目の内容からそんなに外れることはない。

 

「私が聞き、相手が答える」の繰り返しだ。

 

しかしながら、今日インタビューさせていただいた方は、私の質問に答えつつ私に対しても質問してくる、そんな人だった。(「大学院って何してるところなんですか?」っていう質問には困ったなぁ。私たちって何してるんだろう?「日本を変えてます!」って言ったところで、「はぁ?」ってなるだろうし。)

 

しかも、初対面にもかかわらず、間の取り方や尋ね方もとてもナチュラル。話が途切れずに進んでいく。

 

いつのまにか話の内容が中学のときの部活へと大きく脱線していたり、私個人の話になっていたりした。

 

私がインタビューしているはずなのに、逆に話を聞いてもらっているような感じ。

 

飄々としていて違和感なく相手の懐に入る様子はさながら猫のよう。

話しやすい人ってこういう人のことを言うのかなと思った。

 

仕事の選び方というか仕事に対するスタンスも、今までインタビューしてきた人とは違ってかなり破天荒だった。もちろん、なぜその仕事に就いたかというのは一人一人ストーリーがあるので、誰の話を聞いても面白いのだけれど。

 

不思議な人だったなぁ。

会えてよかったぁ!

同じゼミの1つ上の先輩が昨日顔を出しに来てくれた。

せっかく来てくれるのだからご飯一緒に食べにいこう計画が持ち上がったのだが、私は夕方にインタビュー1件+夜にバイトがあったので泣く泣くパス。

 

それでもインタビュー終了が17:30、大学までの移動時間20分ちょい、大学からバイト先に行く場合の出発時間18:20。

「もしかしたら会えるかもしれない」と思い、インタビューが終わった後大学に飛んでいったら、バイトの出発時間ぎりぎりに会うことができた!

 

ゼミ室の入り口で顔を合わせたのだが、元気そうでよかった。

 

その人のブログは毎日チェックしているのだが、ブログの内容からやっぱり1年目は大変そうだなぁと思っていた。私も”教師1年目”は経験したことがあるので、その大変さはなんとなくわかる。でも、今年はコロナウイルスの影響でのダブルパンチで、新卒1年目の先生の大変さは私の想像以上なのだろうけど。

 

先輩がM2のときの溌剌とした感じは、ほんの少しだけ影を潜めていたように見えた。これは、社会人になって落ち着きが出てきたためか、それともちょっと疲れているのか…。後者じゃなければいいけど。

 

私がゼミ室で「先輩と西川先生との話いつ終わるかなぁ」と待っていたので、M1の子がお茶研で話している西川先生とその先輩の様子を見にいったのだが、戻ってきて一言、

「口挟める雰囲気じゃなかったです」

先生とバトっていたらしい笑

 

いつも笑顔でふんわりと可愛らしい雰囲気とは裏腹に、頑固な一面があるのかも。でも、それは先輩の中に譲れないものがしっかりと存在するからなのだろうと思う。

 

もうちょっとゆっくり話せたらなぁと思いつつ、短い時間でも顔を合わせて話せたのがうれしい。

 

また遊びに来てください♪

もはや”代わりがいくらでもいる”時代ではないのだ

東京女子医大が夏季一時金(ボーナス)を支給しないことを決定したため、看護師の退職希望が全体の2割の400人を超える事態になっているそうだ。

news.livedoor.com

 

コロナウイルスの蔓延によって医療現場はひっ迫しており、いつ医療崩壊が起こってもおかしくない状況である。もしかしたら、すでに医療崩壊は起っているのかもしれない。

病院で働くことによって自身がコロナウイルスに感染するかもしれない不安、自分の家族に感染させてしまうかもしれないという恐れ、そして病院で働いていることによる周囲からの偏見…

さまざまな思いを抱えながらも最前線で必死で働いていらっしゃる医療従事者の方々に対し、経営が悪化しているからといってボーナスがカットされるというのはあんまりだと思う。「一時金」とはいえ、ボーナスを生計に組み込んでいる人がほとんどだろう。生活が立ち行かなくなってしまう。

 

twitterを見ていたら、看護師を辞めるという決断をされた方が「言葉よりも休みとお金がほしかった」と漏らしていたと知り、胸が痛んだ。

病院の経営が悪化することは想定できたはず。コロナウイルス蔓延という未曾有の危機に対して、病院側だけでは経営悪化を食い止められないなら、公的な補助が必要になってくる。

 

東京女子医大労働組合は、夏期一時金の再検討を理事会に申し入れたそうだが、却下されたらしい。

www.joidairouso.com

「看護師の退職希望者が400人を超えると聞いたが、そのことについてどう考えるか」という労働組合の質問に対し、

深刻だとは思うが、足りなければ補充するしかない。現在はベッド稼動率が落ちているので、仮に400名が辞めても何とか回るのでは。最終的にベッド数に見合った看護師を補充すれば良いこと。(中略)今後の患者数の推移を見ながら、足りなければ補充すれば良いことだ。

と答えたという。

 

「補充」という言葉が目立つが、看護師は食糧や物資とは違う。

「補充」という言葉に、看護師は替えのきく存在であるという考えが透けて見える。

 

もはや代わりがいくらでもいる時代ではないのだ。

若い世代の人口はどんどん減っている。

鉱物資源等の乏しい日本において、人は何にも代えがたい資源のはず。

使い捨てれば資源はいずれ枯渇してしまう。

 

人を使い捨てるのではなく、皆が働きながら幸せに生きていける世の中にしたい。

自ら明かりを燈せ

ここ最近SNSを眺めていると、瀧本哲史さんの『2020年6月30日にまたここで会おう』をシェアしている人が多く、気にはなっていたがそのままにしていた。

今日確認してみると、今日まで全文が無料公開されているとのことだったので、さっき慌てて読み始めた。

note.com

 (本はこちら↓)

note5ページにもわたる内容だったがグイグイと引き込まれ、あっという間に読み終わってしまった。

 

内容は多岐にわたるのだが、その中でも気になったことが2つ。

 

パラダイム・シフトは一気に起こるわけではない

パラダイム・シフト」とはトーマス・クーンという科学者が使い始めた言葉で、「それまでの常識が大きく覆り、新しい常識に切り替わる」ことを指す。

ガリレオが主張した天動説から地動説への大転換がその最たる例だが、このパラダイム・シフトは説得によるものでも論破によるものでもなく、「世代交代」でしかなかったそうだ。要するに、天動説を信じる古い学者が死んでしまったことで、少数派だった地動説の人が多数派に切り替わり、地動説が主流になる大転換が起こったのだという。

 

後から考えれば「あの時がパラダイムシフトだったんだな」となっても、実際は50年とか100年とか長い時間をかけて変わっていくものなのだと思う。

 

私が学んでいる『学び合い』もそうなのかなぁ、とふわっと考える。「子どもたちの一生涯の幸せを保障する教育」を実装する考え方・手段として、今のところ”一番まし”なのが『学び合い』だと思っている。ただ、『学び合い』は従来の教育とは大きく異なるため、「うさんくさいもの」と捉えられることも往々にしてある。

 

今後『学び合い』がパラダイム・シフトを起こすかもしれないが、それは旧来の教育にしがみつく人々がこの世からいなくなり、私たちのような若い世代が”一番まし”な選択をした結果そうなるのかも、と妄想したりもする。もちろん、すでに中堅・ベテランの先生方で『学び合い』を実践しているイノベーター・アリーアダプターの方もいらっしゃるし、『学び合い』以外の”一番まし”な考え方・手段がこの世に登場しているかもしれないけれど。

 

仲間は必ずいる

瀧本さんは「日本での旧世代と新世代の割合はだいたい2:1なので、若い新世代全員が話の分かってくれそうな旧世代を1人ずつ説得すれば政治は変わる」とおっしゃっていた。

「自分1人が投票したところで何も変わらないからあきらめる」のではなく「仲間は必ずいるから、仲間を探して増やしていく」ほうが、自分の人生を自分で生きているような気がする。

 

そして、仲間を増やしていくには目的が必要である。

「意見は違うけれど、ある目的のための行動には協力する」という考え方が必要なんです。

みんなの立場はそれぞれ違うから、全員を一つの意見に統一するのはむずかしい。でも、ある一つの重要事項に関しては、みんなが組むことで世の中を変えていくーーそういったマインドと仕組みが必要不可欠なんですね。

 

「子どもたちの幸せ」を願わない教師はいないと思う。その目的を実現するために、教師はさまざまな手法・考え方を用いる。

私はその目的の実現のために(今のところ)『学び合い』の考え方をもとにしようと思っているし、特に大学院にいる間に『学び合い』を実践する方、『学び合い』に共感する方など、さまざまな方とのつながりを作っておきたいと思って行動している。このブログもその行動の1つ(最近はあまり『学び合い』に言及していないけれど…)

 

 

瀧本さんは、仏教の「自燈明」を引用し、自ら考えて行動することの重要性を主張している。西川先生やゼミ生と対話し、議論すること然り、このブログ然り、外部の会に参加すること然り、「自ら明かりを燈す」行動をこれからも続けていきたい。

『まなの本棚』(芦田愛菜)読了

本好きの人とは何かしら共通点があるものなのかもしれない。

まなの本棚

まなの本棚

 

『まなの本棚』を読んでいてそう思った。

 

なにしろ共感できる部分が多い。「そうだよねー」「わかるー!」という部分にふせんを貼りながら読んでいたら、本がふせんだらけになりそうだった。

 

 私自身、誰かに「これ読んでみて」と言われた本よりも、「何だかこの本に呼ばれてる!」って直感して手に取った本のほうが、出会うべき一冊だったってことが多いのです。だから、他の人に「おすすめは?」と聞かれると、その人の大切な本との出会いを私が決めてしまっていいのかな……?って。(p.15)

 

 ほんとうに不思議なのですが、本の背表紙を見ていると、背表紙がキラッと光って見えて「あ、この本を読んでみたいなぁ……」と思えるものが目に入ってくるんです!まさに直感で選んでいるのですが、それで「ほんとうにおもしろい!」と思えるような、ものすごく相性のよい本にめぐり会えてきているんです。(p.31)

 

本の背表紙が光る感覚は私もときどきある。なぜ光るのか、どのようなジャンルの本なのかはよくわからないのだが、”光った本”というのはあたりであることが多い。

 

『まなの本棚』では、芦田さんの本好きへの扉を開いた6冊から始まり、芦田さんが選んだ84冊が「小学生で夢中になった児童書」「きょうだいや家族への思い」「止まらなくなる!海外ミステリー!」などのようにカテゴリーごとにまとまって紹介されている。

 

紹介されていた本のうち半分くらいは読んだことのある本だったのだが、「そうそう!」と思う部分もあれば、「そういう視点で読むのかぁ」と思うところもあり、本を通して対話しているような気分になった。

 

芦田さんも本が好きな友達と読んだ本の話をよくするらしい。

同じ本を読んでいても目の付け所は人それぞれなので、「あ、そこなのね」と自分にはない読み方をしているのを聞くのはおもしろい。読んだ本について人と話す醍醐味はここにあると思う。

 

芦田さんは特に辻村さんの本が好きなようで、作品への愛がひしひしと伝わってきた。この本の中では辻村さんとの対談も掲載されている。

 

辻村深月さんや星新一さんの本は「読んでみようかなぁ」と思うものの、今までなかなか手が出せずにいた。これを機に読んでみようと思う。

 

先日、某授業で「国語教員なのに星新一を読んだことない人がいる!」とびっくりされたばかりだし笑