上越『学び合い』の会のリフレクション

昨日は、今年度2度目の上越『学び合い』の会をzoomで開催した。

90人近くの申し込みがあったが、実際は50名程度の参加で、ホスト側としては正直少しほっとした。

 

今回は「アフターコロナの学校について」が主なトークテーマだった。

フリートーク1が始まってすぐ私の”老Surface(5年もの)”がフリーズしてしまうというトラブルはあったが、前回と違ってフリートーク2でほかのグループをのぞきにいく余裕があった。

 

印象に残っているのは次の2つ。

●オンラインが”学びの保障”から”学びの保険”へ

コロナウイルスの拡大やそれに伴う休校により、オンラインで学ぶことが珍しいことではなくなりつつある。

以前は、学習や学びと呼ばれるものは学校が独占しているような状態で、オンラインは学校に行くことができない子どもたちの学びを保障するものという位置づけだったような気がする。

 

今は子どもたちが望めば誰でもオンラインで学ぶことができる環境・意識が広がっている。オンラインが「学びを保障するもの」から、いわば「学びの保険」のような立ち位置へと変わってきている。

保険は自分にとって必要なものを必要な分だけ選ぶことができる。学校での学習がメインでオンラインがサブ、というよりは、学校での学習とオンラインが並行して走っているようなイメージ。

 

●”普通の人”の積極的不登校のサンプルの少なさ

→グループの話の中では、積極的不登校の例としてN高に通うフィギュアスケーター紀平梨花さんが挙げられていたが、積極的不登校というと非凡な才能を持つギフテッドの人たちのエピソードが多い。

一方で、「学校は行かなければならない教」は現在も根強く、不登校というとマイナスなイメージがつきまとってしまう。「普通」から外れることの不安は大きい。

 

学校ではどんなに気をつけていたとしても3密の状態は免れない。昨日会にいらっしゃった方も、休校明けで久しぶりに会った友達とおしゃべりしたり抱き合ったりしている子どもたちが多かったと話していた。

そのような状況で、コロナウイルスに感染することを恐れ、学校には行きたくないと思う子どもたちがいてもおかしくない。

 

しかしながら、

・積極的不登校→”すごい子たち”がやること

・(従来の)不登校→「学校に行かないのは悪いこと」という思い込み

オンラインでの学びが普及し、必ずしも学校に行かなくても学ぶことができるようになってきているにも関わらず、この2つが要因となり、積極的不登校に二の足を踏む子どもたちがいることは想像に難くない。

 

”普通の人”の積極的不登校のサンプルがない、もしくは表に出て来ないのだ。

イノベーター、アーリーアダプターの”普通の人”が積極的不登校を選択し、それを発信していけば状況は変化するのかもしれないと思う。そうでなくても、これを機に広域通信制を選ぶ保護者・生徒が急激に増加したら、あっという間にキャズムを越えるかもしれないけれど。

 

 

P.S.【裏方視点】

今回は参加者全員を共同ホストにしてグループを自由に行き来することができるようにしたが、移動している人はあまりいなかった。

ホストとしては労多く益少なし笑

30分×2のフリートークで、途中で参加者をシャッフルするのでそこまで移動の必要はないのかもしれない。まぁ、それを知れただけでもよかった、ということにしておこう。