原田マハさんは私の大好きな作家さんの一人。
マハさんが書く美術館を舞台にした小説やゴッホやモネ、ピカソなどの画家をモデルにしたお話にハマり、本屋さんで新刊を見つけるとつい手に取ってしまうほど。
マハさんの作品で最近読んだのが『喝采』という小説。
これは、パリに拠点を置くマハさんがコロナウイルスの影響でロックダウンしたパリから日本へ帰国することを決断し、実際に日本に帰ってくるまでの出来事やそのときの思いをつづったお話である。
公式TwitterやInstagramで18日間連続で連載されたそう。
今は公式ウェブサイトである「マハの展示室」で公開されている。(短い作品なのですぐに読めます)↓
この作品を読んで感じたのは、「自分が大変なときはまわりのことが見えなくなりがち」というのと「長所は短所にもなるし、逆もまた然り」ということだ。
自分が大変なときはまわりのことが見えなくなりがち
各国でコロナウイルス感染者が急激に増加し、ロックダウンや外出制限が行われていることはニュースを見て知っていたが、どこかしら他人事というか遠いところで起こっている出来事のように感じていた。
それよりも、「大学で対面の授業ができなくなる」とか「大学構内が立ち入り禁止になり、ゼミ室にすら入れなくなる」ということの方が、個人的には一大事だった。
『喝采』をきっかけに、「ロックダウン」で実際にパリの街がどのように変化したのか、そこに住む人々がどのような生活を余儀なくされたのかということについて思いを馳せることができた。
夜8時。
閉め切った窓辺にさざ波のような音が押し寄せてきた。
私は窓を開けた。
川沿いの窓という窓が放たれ、人々がいっせいに拍手を送っていた。
命がけで働き続ける医療従事者への感謝を込めて。
私も加わった。思いを込めて。
澄み渡った夕空に響き渡る喝采。
命の証しだった。
(『喝采』より引用)
セーヌ川に面する家々から医療従事者への感謝を込めた拍手が送られているこの描写を読んで心が震えた。
人と人とのつながりを感じることができる一節だった。
長所は短所にもなるし、逆もまた然り
マハさんはこの作品の中で「人前で喋らない。それが日本人の強さだ」と日本人の持つ強みについて言及している。
きちんと自己主張する欧米文化圏の人々と違い、日本では”言わずとも察する”ようなあり方が良しとされている。
こうした日本人のあり方は、平時は「おとなしい」「なぜ言いたいことを言わないのか」とマイナスの印象として取り沙汰されるものだが、今回のパンデミックにおいてはそれがプラスに働いているのだろう。
(その是非については今は置いておくとして)”自粛要請”だけで不要不急の外出を控えて、感染者数を抑えているのも日本人だからなのかなぁと思う。
長所と短所は合わせ鏡のようなもの。
置かれている状況や文脈においてくるくると変化する。
”たゆたえども沈まぬ”ように柔軟に捉えることが必要なのかもしれない。