休校中に学校から配られた”時間割”から考えたこと

今日の午前中にTwitterを眺めていたら、休校期間中にある小学校から家庭に配布されたという”時間割”がタイムラインを(いろいろな意味で)にぎわせていた。

 

Twitterにアップされた時間割の画像しか見ていないので、その時間割がどういう経緯・意図で作られ、配布されたのかはわからない。それでも、このツイートとそれに対する様々な人たちの反応を見ていて思ったのは次の2つ。

 

「時間割を作らざるを得なかった」可能性についても考えること

先に述べた通り、その時間割が配布されるに至る経緯や意図は私にはわからない。

それでも、講師として学校現場にいた立場から言うと「(担任の先生は作りたくなかったが)作らざるを得なかった」可能性があるということについても考えなければならない。

教員は校長の指示には従わなければならない。そして校長は教育委員会の指示をもとに動いている(はず)。さらに言えば同じ学年団の教員等、まわりの教員からの無言の圧力(?)のようなものもあるだろう。

体裁だけ何とかしようとスカスカな(=自由度の高い)時間割を作ったところで、各家庭に配布する前には上長の確認を経なければならず、その時点で「書き直し!」になることは大いにありうる。

結果、びっちり埋まった”時間割”が配られたのかもしれない。

ただ、その時間割を配布する際に特に何も言わずに配るのか、それとも自身の思いを一言添えるのかで受け取る側の反応は変わるだろうし、そこが教員の腕の見せどころだとも思うのだが。

 

教員が「良かれ」と思ってやったことが「良い」とは限らない

「教員が良かれと思ってやったことが、結果として子どもたちや保護者の負担になっているのではないか」

正直考えたくないし、怖いことだけど、この可能性は頭の中に常に置いておかなければいけないと思う。

あまりに考えすぎると動けなくなってしまうので、「全員にフィットするものはない」と肝に銘じておくだけでも違うのかなぁ、なんて思ったり。

 

ウィズコロナの今、教員、保護者、子どもたちのベクトルがそれぞれ明後日の方向を向いているような気がしてならない。

 

みんなが同じ方向を向くのは難しいが、それぞれが心のうちに抱えているものをさらけ出し、互いに歩み寄ることができればいいのに。

でも、そう願っているだけで具体的な実現方法は思いつかない。悔しいなぁ。

 

そして、連休明けから学校が再開されているところも多い。

日本中のどの場所と比べても、学校は「3密」条件がそろってしまう場所だと思う。

学校でクラスターが発生してしまうかもしれないと思うと心配でならない。