「夏目漱石の『こころ』のあと何を読もうか?」と教科書をパラパラめくっていたら、おもしろそうな文章に出会った。
それが、立松和平さんの『幸せの分量』。『人生の現在地:まだまだ迷っているぞ、私は』という本からの抜粋らしい。
この文章には「幸せとは何か」ということに関する筆者の考えがつづられている。
文章の後半に印象的なフレーズがいくつか登場する。
ともすれば現代は、平凡であることの大切さと幸福を忘れがちになってはいまいか。みんなが自分の才能を過信し、世の中から突出しようとしている。別にそれは悪いことではないが、あまりにもそちらに目が向き過ぎると、世の中は動かなくなってしまう。
競争社会とは少しの勝者と、多くの敗者を生み出すシステムなのである。そして、愚直に働いている大多数の平凡な人たちに、敗者というレッテルを貼りつけてしまったのだ。
欧米は長い競争社会の歴史をもっている。ゆえに敗者復活のシステムもあれば、競争社会というコンセンサスもあるのだろう。ところが、日本人の体の中には、まだ競争社会が染み込んではいない。その場所での幸せの見つけ方がへただ。敗者になったときの辻褄の合わせ方がわかっていないのである。それがギスギスとした社会不安へとつながっているのではないだろうか。
最初に読んだとき、「私が考える幸せとわりと近いなぁ」と感じた。
『学び合い』に出会ってからというもの、“一人一人幸せの尺度は違う”ということを強く意識するようになった。
「偏差値が高い高校、大学を出て、大企業に就職するのが幸せ」
そんな一元的な尺度で物事を捉えていたら、もし自身がその尺度から外れたときに生きる意味を見失ってしまうような気がする。
一人一人思い描く幸せのかたちは違うのだから、生徒たちには、他者の言うもっともらしい「幸せ」を思考停止して追いかけるのではなく、自分にとっての幸せを作り出していってほしいと思う。
そのためには「自分にとっての幸せってなんだ?」とちょっと立ち止まって考える必要があると思うのだけれど、『幸せの分量』を授業で扱うことは、このちょっと立ち止まる機会になるんじゃないかな。
授業で読み始めて2時間ほどなのだが、もうすでに生徒たちの振り返りシートのコメントはおもしろい。
・目先の欲に流されて得る幸せは真の幸せではないと思う。
・仕事も大事だけど家族との時間も大切にしなければならないと思ったけど、両方がうまくいく事はあまりないと思った。
・一度幸福を味わってしまうと、さらに幸福を追いたくなる。そのうち始めの幸福が分からなくなってしまうのだろうと思った。
・ほしい物が手にはいっても、また新しいのが欲しくなるので、人間てふしぎ。
・まず、生きることが幸せであり、働いたり家族をもつことが第2の幸せだと思う。
・日本人は働きすぎだと思いました。でも働かないと生活できなくなるから、調整が難しいと思いました。
生徒たちと一緒に幸せについて考えていくのが楽しみになった。