今日は、先日の上越『学び合い』の会で出たものの答えられなかった質問を西川先生に答えていただいた。
zoomを使って、私が質問し西川先生がそれに答える、の繰り返し。
質問は全部で16個。
普段の学年ゼミではM2の10人が1人1つ質問しても1時間くらいかかるので、余裕を持ってミーティングの時間を1時間半ほど設定しておいたのだが、なんと30分で終わってしまった。
西川先生「ずいぶん早く終わったね」
私「そうですねー。いつものゼミだと1時間くらいかかるのに、なんででしょう?」
西川先生「双方向のやりとりがないからじゃない?」
たしかに。
今回は西川先生が質問に答えている絵だけがほしかったので、私は先生が話している間はなるべく声を出してあいずちを打たないようにはしていた。(もちろん笑顔でうなずいたりはしていたのだが)
動画編集の際にノイズ(雑音)になってしまうからだ。
今回は特殊な状況だったのでノイズはない方がよかったが、普段の会話はノイズがないと不自然なことこの上ない。
誰ががメインで話しているときに、そのわきで
「ねぇねぇ、これってどういうこと?」と聞いてみたり、「うんうん」とあいずちを打ったり。
zoomのメインセッションでこうしたことを同時発生的にやると、すべての音を拾ってしまうので大混乱に陥ってしまう。
その点、人間の耳は自分にとって必要な音とそうではないノイズとをうまーく区別することができているんだなぁと思う。
オンライン、というかzoomで長い間人と話していると疲れやすいのは、ノイズが起きにくいからかもしれない。
この前、zoomには余韻がないよねということをブログに書いた。
余韻といい、ノイズといい、"余分なこと"、"余計なこと"が実は人生を豊かにしてくれているのかなぁ、と思ったり。
人と直接会っておしゃべりする、という当たり前だったはずのことが恋しい今日この頃。