平均点と評価について考える

昨日Facebook同じゼミの同期がテストの平均点について書いていた。

中学や高校では「平均点が○○点になるようにテストを作ってください」と言われることがあると聞いたが、平均点を操作することは恣意的に相対評価を生み出しているのではないか、というような内容だった。

 

私が中高一貫校で講師をしていた際、たしかに「平均点は60点くらいになるように考査を作成してください」という不文律があった気がする。また、元勤務校は平均点が何点であれ、”60点未満の生徒には追加で課題を出す”というルールがあった。しかしながら、どこができていないかは生徒によって千差万別なのに、共通で課題を課すことには疑問があった。

 

とはいっても、

・提出物をチェックしたり、成績を出したりと考査の事後処理で大忙し

   ↓

・生徒一人一人の出来に応じた課題など作れるはずがない

 しかも、国語は数学等とは違って「解き直してこい!」というような課題は作りにくい

   ↓

・「間違えた漢字を5回ずつ書いて持ってくる」というような課題でお茶を濁す

結局この繰り返し。

 

今なら、「なぜ平均点は考査によって変化するのに、一律60点未満の生徒に課題を出すのか」「そもそもなぜ平均点が60点になるように考査を作らねばならないのか」と根本的なところにも目を向けられるが、当時は忙しさに流されてじっくり考える余裕はなかった。

 

何で”60点”だったんだろう?、と考えてみたのだが、「平均点が高い=簡単な問題=すぐに終わってしまう=試験時間50分をもてあます生徒が出て来る」ということを恐れた説くらいしか思い当たらなかった。あとは「簡単なテスト=差がつかない=成績がつけられない」ことを恐れた説、かなぁ。(完全に相対評価ありきの考え方だが。)

子どもたちが試験時間ぎりぎりまで必死になって取り組み、その結果クラス全体の平均点も高いというのなら問題はなさそうだが、それはもはや試験問題がどうこう以上にそのクラスで集団として物事に取り組む姿勢ができているかどうかに左右されるのではないか。

 

平均点は”ものさし”のひとつではあるが、平均点なんて考査ごとに変化するのだから、平均点を意識しすぎるより点数の分布を見た方がその集団の力を把握できるんじゃないか、とも思うのだがどうなんだろう?

(でも、現場にいた頃は定期考査の点数の分布なんて見てなかったなぁ…)

 

考査だけではなく、評定についても「評定平均○点になるように成績をつけてください」ということを言われた気がする。

 

新学習指導要領では、評定についても「集団に準拠した評価」(いわゆる相対評価)から「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)へと改めたようだが、(実質)相対評価のところも少なくないのではないかと思う。

 

 子どもたちは多様だし、様々な力や可能性を秘めている。少々先に生まれ、たまたま教員という職に就いたというだけで、子どもたちに評価を下すのはだいぶおこがましいことだなと感じる。それでも、教員と生徒という関係性である以上、評価をすることからは逃れられない。

 

今まで何となく避けてきた気がするけど、これを機に評価についてちゃんと勉強しよう。