みんながみんな、できなくてもいい

私は運転が苦手である。

 

関東から地元に戻ってきて、「車で家から大学までたどりつけるかどうか」というのが何よりも心配だった。大学までは片道20分くらいで、たいして複雑でもない道なのだが、入学前に5回も行く練習をしたくらいである。

また、バイパスには何とか乗れるが、高速は未だに怖くて乗れない。

 

だから、私はよほどなことがない限り、自ら車での送迎を買って出ることはない。

 

今日は恋人と久しぶりに遠出をして、白山神社まで行ってきた。

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往復5時間強の運転は全て彼の担当である。彼は私の運転がポンコツなのはよくわかっているし、なによりその方が安全だ。

 

一方で、私は計画を立てるのは得意な方である。よほど大人数の場合は別だが、2〜3人でご飯食べに行こうとかどこか遊びに行こう、となったときは、各自の行きたい場所や食べたいものをすり合わせつつ、位置関係や動線も考慮に入れながらプランを立てるのが苦にならない。わりと好奇心旺盛な方なので、イベントやおいしいお店などの情報に対するアンテナも高い。

 

だから、必然、恋人とどこかに行く、何かをする、となると、言い出しっぺは私になる。

 

社会生活に支障をきたすくらい著しくできないものがある、というのはちょっと大変かもしれないが、人には程度の差こそあれ、得手不得手が必ずある。

 

学校教育はえてして「苦手なことをできるようにする」ということに主眼が置かれがちなのではないかと感じる。

 

もちろん、苦手なこと・できなかったことができるようになるのは素敵なことだと思う。しかし、それ以上に生徒の得意なところをもっと伸ばしていくような個別最適化した教育ができれば、一人一人が強みを持った状態で社会に出ていくことができる。

 

現状、この「個別最適化の教育」を実現しうる最もマシな考え方が『学び合い』なのだと思う。だから私は西川研究室にいるのだ。

 

みんながみんな、できなくてもいい。できる人とつながれるような、自分ができることがあれば困っている人を助けられるような力を手に入れられる教育を実現したい。