越後『学び合い』の会の個人的なリフレクション

昨日は、台風で延期になった、越後『学び合い』の会が開催された。

 

相変わらず言語化が遅いのでまる1日経ってしまったが、学んだこと、印象に残ったことをまとめてみようと思う。

 

講演①:榊原先生

榊原先生のプレゼンはいつ見てもすごいなぁ、と思う。今回も自身の専門分野を交えながら、最後は『』に集束していく。スライドの内容は最小限で、話をもっと聞きたいと思わせる進め方。講義を取らない限り、なかなか他ゼミの担当教員の話をじっくりと聞く機会がないので、今回の講演は貴重な機会だった。

 

分科会①:山崎先生

「(『学び合い』)は本を読んだり、人の話を聞いたりしたからと言って、うまくいくとは限らない」というお話には強く共感した。実際、連携校で『』の授業を実践してみて、学校の状況や生徒たちの様子によって、授業のやり方は大きく変わることを実感した。

また、『』はやり方ではなく考え方なので、場合によっては教師が子ども同士をつなげることもあるし、一斉指導やペア・グループ指導をすることもある。考え方がきちんとしていればOKというお話を聞いて、少し気持ちが楽になった。他のストレート生と違って、私は多少なりとも学校現場で働いた経験がある。私の元勤務先である私立はわりと新しいものを取り入れやすい職場だったが、それでも一斉指導が9割9分だった。新しいものを導入している先生もいたが、結局のところ結果が出ていれば(=生徒の学力が上がっていれば)何も言われないのだ。『』は従来の学校においてどうしても異質なものである。無理せずしたたかにやっていくのが一番だなと思う。

 

分科会②:湯谷先生

「集団」に対して「教え導く」という"Teacher"の旧パラダイムは、それ自体が悪いということではなく、学校の現状からすると狭いんじゃないのかという考えはすっと腑におちた。また、そう考えることで現場の周りの先生方との軋轢を少なくすることができるのではないかと思った。

そして、湯谷先生のお話の中で印象的だったのは、「一人も見捨てない」ということを「教員としての自分の夢を諦めない」というように捉え直しているということである。「一人も見捨てない」ことを本気で願うことは、『』においてなくてはならないことだが、それは非常につらく厳しいことでもある。生徒たちは教員の腹を読むのが上手いので、「一人も見捨てない」ことに揺らいだり疑念を持ったりしているくらいなら、自分が本気で願える形に表現を変えるのも一つの手なのかなと感じた。

 

講演②:西川先生

最初のうちは、正直今までに聞いたことがある話だと思っていたのだが、後半部分は初めて聞く内容だった。広域通信制がどんどん勢力を拡大していく中、公教育がそれらに勝れる点は、

1.予算と施設

2.生徒たち同士の生のつながり

3.地域社会

の3点だという。

あと1年ちょっとで高校の教員になる私にとって、公立高校がN高などの広域通信制に勝てるのはどこだろう?、ということは常に頭の片隅にあった。N高の資料を取り寄せたり調べてみたりもしたが、自分の中で答えは出てなかった。今回の講演で西川先生の答えが聞けたので、もう少し自分で考えてみたい。

 

見返してみると全然まとまっていないのだが、これが今の私の限界。他の分科会の映像を見たり自分のメモを見返したりして、考えを深めていこう。