越後『学び合い』の会のリフレクション

昨日の越後『学び合い』の会では、分科会の1つを担当させていただいた。

 

「中学・高校」の「国語」というかなりストライクゾーン狭めのテーマだったので、1人も参加者がいなかったらどうしよう、と内心おっかなびっくりだった。分科会を担当してくださる先生と打ち合わせしているときも、「(もし誰も来なかったら)2人でおしゃべりしましょうか」なんて、半分冗談、半分本気で話していたくらいだった。

 

当日は5名の方が参加してくださり、アットホームな感じで会を進めることができた。これはひとえに、発表者の方の悩みながらも自分の言葉で話そうとする語り口と、参加してくださった方のあたたかな雰囲気によるものだと思う。感謝しかない。

 

ファシリテーション役だった私はと言えば、発表者や参加者に気兼ねなく、気持ちよく話してもらう場を作るのって大変だなぁと感じた。

 

 

髙橋先生の講演では、心惹かれるキーワード・キーフレーズがたくさんあり、わくわくしながらお話を聞いていた。

・横に広げるのが苦手→受け入れてもらえるならだれがいいかなぁ

このリフレーミングは大切だと思う。私は「自分がやったところで…」と始める前から諦めてしまいがちなタイプなのだが、何もみんなに受け入れてもらう必要はない。そもそもそんなの不可能。現場に出てからは、まわりに影響力があって自分の話を聞いてもらえそうな人を見極めることと、話を聞くに値する人間であることの2つが重要になりそうだと感じた。

・教科書=子どもたちが共通して持っている学びの地図
 なるべく正解を頭の外へ

「行動・心情・性格・関係」という小説の読み方のポイントが、小学校の教科書に載っているとは…

みんなが教科書を持っているのだから、それを使い倒さない手はない。また、「正解を頭の外へ」というのは容易にできることではないけれど、でも課題を作ったり授業をしたりする際に頭に入れておきたいと思う。

 

 

分科会②の中本先生の発表は「一人も見捨てない」がまだ腑に落ちていない私にとって刺さる内容だった。中本先生は現在高校3年生の授業で、かなり自由度の高い『学び合い』を実践されている。

・1時間を自分に「得=メリット」があるように過ごす

・生徒に渡すだけだと孤立化してしまいがち
・どのような「つながり」をこちらが望むかを語る

自由度が高く、人によってやることが違うと、一歩間違えれば生徒たちのつながりが分断され、孤立してしまう。一人一人がやるべきことをしつつ、ゆるやかなつながりを作る。このバランスが難しいのだろうと思った。ただ、「こうなってほしい」という教師が持つビジョンを丁寧に語っていくことが大切なのかなと感じた。

 

 

西川先生の講演は、ゼミで決めた講演テーマが却下され、公募しても集まらなかったので、「事前に質問を募集して、先生にはランダムで答えてもらおう!」となった。さながら普段の学年ゼミのよう。

 

講演後のリフレクションで、ある先生が「復習になった」とおっしゃっているのを聞いて、”復習”という言葉が自分の中でしっくりきた。おそらく講演で出た質問項目を今の学年ゼミで尋ねたら、鼻で笑われるか、あきれたような顔で「本読め」の3文字が飛んでくることは容易に想像がつく。

 

リフレクションタイムのときに同じグループにいらっしゃった『学び合い』をやってみようとしている方は、「(私は初心者なので)初歩的な質問もあった方がうれしい」とおっしゃっていて、この形式でやってよかったなと思った。本を読むことはもちろん欠かせないことなのだが、本で字面を追う以上に西川先生の口から出た言葉には力がある。

 

 

『学び合い』の会に参加すると、普段の自分の考えや授業をちょっと立ち止まって振り返ることができる。生かせることは明日以降の授業でやってみよう。