新採用の先生が「職場で何着よう?」と考えるときに大切になりそうなポイントとは…

来年4月から教員になる大学院の後輩が「先生ってどこまでオシャレしていいもの?」と発信(?)していたので、ここまでの私の学校での服装をざっと振り返ってみました。

 

基本スーツ着ていればなんとかなりそうな男性教員とは違い、女性教員の服装は自由度が高くなる分、どこまでOKなのかという線引きが難しいのです。

 

結局は"オフィスカジュアル"という言葉に行きつくのですが。

(オフィスカジュアルについてはこちらの本が参考になりました↓)

https://www.amazon.co.jp/服を着るならこんなふうに-ladies′-単行本コミックス-縞野やえ/dp/4041091071

 

私は幸運にも、もともとオフィスカジュアルと呼ばれるようなコンサバな服が好きだったので、院生時代に来ていた服の多くは今でも職場で着ることができています。

 

「お仕事用の服」と「普段着」の線引きがほとんどないタイプです。

 

服を買うときも、ついつい「これ職場でも着られるかな?」という視点で服を選びがちです。

 

ただ、前述の後輩のようにそうではない人の方が多いんじゃないかなと思います。

 

確実に言えるのは「TPOをふまえた上で、まわりの先生の様子をよく観察してから、自分の色を小出しにしていくのがいいよ」ということ。

 

最初のうちはスーツやスーツに準じるシャツ・ブラウス+カーディガン+ボトムのような服装にしておいて、徐々に自分に合うようにカスタマイズしていくのが、自分もまわりも無理のないやり方なのかなぁ、なんて思います。

 

あとは、動きやすさも重要なポイントです。

 

特に小学校の先生は子どもたちと遊ぶ時間が長いだろうし、そうでなくても火災等の緊急時は迅速に行動しなければなりません。

 

保護者や地域の方とお会いする機会も増えるので、オシャレというよりは身だしなみというイメージの方が大切なのかなぁ…

 

自分で書いておいて何が言いたいのかよくわからなくなりつつありますが笑

 

なんにせよ、働く上で"きちんと感"は重要なポイントだと私は思っています。

 

フードが付いているようなカジュアルなものは避けた方がいいですし、露出が多い服装も好まれません。

 

ニットやカーディガンなら、ざっくりとしたローゲージのものよりも、目の詰まったハイゲージのものの方がいい気がします。

 

"きちんと感"という視点でワードローブを眺めてみて、足りないアイテムはちょっとずつ増やしていくといいんじゃないかなぁ。

初任研は情報交換の時間が一番楽しい

今日は久しぶりに学校外での初任研でした。

今回が外部でやる最後の初任研だったよう。

 

国語の授業を参観した後、個人研修案の進捗状況を話したり情報交換をしたりしました。

 

勤務先の国語科の先生方は私を除いてみなさん大ベテランの方ばかり。

 

同期で同じ教科の先生とリアルで話せるのは初任研くらいだったので、ここでの情報交換は私にとってとても貴重なものです。

 

今日も、振り返りのやり方やタブレットの活用方法、語句の意味調べの取り入れ方など、参考になることがたくさんありました。

 

私も、今度1年生の授業でPadletを使おうかなと思っていたのでその話をしたら、「パドレット? 知らなかったー、調べてみよう!」とさっそくスマホで調べている先生がいました。

 

気軽にこうやって話せる機会がもっとあればいいのに…、と感じたひとときでした。

年末調整は事務の方のお手間を取らせぬよう慎重かつ迅速に

年末調整の季節がやってきました。

 

3月までは複数のところから給与をもらう身だったので今年も確定申告が必要かなー、と思っていたのですが、どうやら源泉徴収票を添付すれば年末調整だけで事足りるよう。

 

なるべく事務の方の手を煩わせぬよう、書類作成後に「初めてなのでよくわからなくて…」という顔で確認しに行き、「ここはこうしてくださいね〜」と言われたところを修正。

 

そのとき、ちらっと「源泉徴収票は書類にホチキスで留めて…」と事務の方がつぶやいていたのを聞き逃さなかった私。

 

提出時にホチキスを持参して、「これまとめて留めちゃっていいですか?」と聞いてからホチキスでカシャっとしました。

 

また、TLに「年末調整の書類はコピーしておくと来年便利」とあったので、提出前には念のためコピーをとっておきました。

 

事務の方はこの時期全員分の年末調整を一手に引き受けてくださいます。

 

こうした特別なときはもちろんのこと、普段から感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思いました。

年休の取得は意識的かつ計画的に

今年も残すところあと1ヶ月半になろうとしています。

 

先日、朝礼で「今年も残りわずかなので年休を使うようにしてください」とのお話が。

 

とはいえ、毎日授業が入っている身としては、なかなか年休で丸一日休むというのは難しいものです。

 

何か休まなければならない事情があれば別なのですが、特にのっぴきならない事情がない場合は申請書を書くのを忘れて気づけばもう金曜日という流れをエンドレスで繰り返していました。

 

よほど意識していないと年休取れないんですよね。

 

ただ、私は今年担任を持っていないため、午後丸々授業がない曜日があります。

 

丸一日年休は厳しいにしても、仕事を調整して半日お休みをもらってみようかなと思っています。

授業で使ってみて感じているICTの利点

私は、「勤務校において授業で最もタブレットを使っている」と勝手に自負しています。

 

他教科の授業でどれくらい使われているのか知らないので、正確には「勤務校の国語科の先生の中で」というのが正確なのかもしれません。

 

ただ、必要に応じてGoogle Classroomを用いて課題を生徒たちに配信し、JamboardやMentimeterを使って授業中に意見共有をする機会を作っているのは私だけなんじゃないかと思っています。

 

ICTを授業で使うことにそこまで抵抗がないのは、大学院で実際にICTを活用した講義に参加し、ICTを使った授業設計を考えたことがあったからだと思います。

 

西川研に入った時点で私はアーリーアダプターなのだろうと思いますが、私の中には確実にマジョリティ的な要素もあります。

 

大学院で学んでいなければ、きっと「ん? タブレット? なんかよくわかんないから、まわりの先生が使いだすまで様子を見よう」と重い腰を動かさずにいたでしょう。

 

ICTの利点はいろいろとあると思いますが、私が授業で使ってみて感じている最大の利点は、課題に取り組むペースを生徒たちに委ねることができるということです。

 

タブレットが使えるようになる前は、

自分の考えをノートにまとめる時間○分→班ごとに意見共有する時間○分→クラス全体で共有する時間○分(教師が黒板に板書するので全員の意見は拾えない)

という流れが定番でした。

 

しかし、タブレットを用いるとクラス全員の意見を一度に見ることができ、誰が提出済みなのかも一目で把握できます。早く思いついた子はさっさと書いて送信し、他の人の意見をゆっくり眺めることができるし、なかなか思いつかない子は他の人の意見を参考にしつつ、じっくりと課題に取り組むこともできます。

 

少しではありますが、学ぶペースを生徒たちに委ねることができているのかなぁと思います。

 

最近はタブレットを使うかどうかも生徒たちに任せています。

 

昨日の記事で書いた、お金と時間どちらが大切かというテーマの作文にしても、「理由が思いつかない人は、まわりの人のを見て参考にしてもいいし、タブレットで調べてもいいよ」と伝えました。

bookmarker330.hatenablog.com

 

実際にタブレットを持っていったのは数人。ほとんどの生徒は自分で考えたり、友達の作文を見たり、互いに話したりしながら作文に取り組んでいました。

 

テストあけの授業では、Padletを使って課題作成+コメントをつけるというのをやってみようかなと考えています。

 

課題を練ったり、学校のタブレットでの動作環境を確認したり、事前にPadletを使った簡単なワークを設定したりするなど、授業準備の時間は増えるけれど、やってみたいことがたくさんあります。

「お金と時間、どちらが大切か」という作文を添削していて、思わず口走ったこと

中1の授業で、「お金と時間、どちらが大切か」というテーマで作文書くという課題を出しました。

 

今回は「どちらも大切はなし」という条件だったので、生徒たちは「えー」と言いつつも一生懸命に考えて書いていました。

 

・お金があればやりたいことができる

・お金があれば余裕ができるから、その余裕で好きなことができる

・お金がないと生活できない

 

・時間はお金では買えない

・家族や友達との時間を大切にしたい

・お金は稼いで増やせるけど、時間は過ぎ去ったら取り戻せない

 

そんな中で、お金より時間が大切だという立場で書いてきた子が「お金を増やすにも時間が必要だ。長い時間をかけてお金を貯めれば、大金を手にすることができる」というようなことを書いてきたので、思わず「今はお金貯めても増えないんだけどね〜」と言ってしまいました。

 

その子は「え? 何でですか?」などと食いついてこなかったので、「今は金利が下がっててね…」なんて話になることはなかったのですが、やはりお金を増やすには貯金というのが世間一般の認識なのかなぁと思いました。

 

すでに投資を始めた私としては、含み益が出ている現状にワクワクが止まらないわけですが笑

「『竹取物語』の冒頭を暗唱するのはなぜか」に対する私なりの答えを生徒たちに語った話

今日は中1の2クラスで暗唱テストをしました。

 

テスト範囲は、『竹取物語』の冒頭。

 

1週間以上前に告知して、毎時間暗唱の練習をクラス全体でしてきただけあって、ほとんどの生徒がA評価でした。

 

よく頑張ったね。

 

暗唱テストが終わったあと、生徒たちに「なぜ『竹取物語』の冒頭を暗唱してもらったのかを話しました。

 

竹取物語』を暗唱することが将来役に立つかって言ったら、役に立たないと思うんだよね。

(この時点で生徒の一人が「たしかに役に立たないわー」と一言。よくわかっていらっしゃる笑)

私のように国語の教師になるならともかく、ここにいるほとんどの人は『竹取物語』を将来使わないんですよ、たぶん。それでも、みんなに暗唱してもらったのはなぜかって言うと、ひとつは"これぐらいの量の文章を暗記できるだけの記憶力は持っていた方がいいよね、ってことと、もう一つは"千年も前の文章が今も残ってるってことは、その文章にはやっぱり何かしら良いところがあるから”なんですよ。一般教養として、一度くらいは『竹取物語』を暗唱してほしいっていうのが、国語教師としての私の願いなんですよね~。

↑こんな感じのことを語った気がします。

 

私の良くないところは、これを暗唱テスト前に語れないところなんですよね。

 

先に言うべきものを後になってから言うので、後出しじゃんけん感が否めないのです。

 

おそらく、実際やってみないと私の中で腹落ちしないので、生徒にも語れないのだろうとは思うのですが…

 

改めて、「なぜするのか」をやる前に考える必要があるなぁと感じた出来事でした。