昨日は『学び合い』全国フォーラム2021に参加しました。
午前中は西川研究室の分科会で発表したり、「ミニ西川」として参加者とお話ししたりしました。私の失敗談が想像以上に需要があったようでなによりでした↓
自分の発表が終わって気が抜けてしまったためか、午後はひたすら聞き専でした。
午後の最初は、西川研の先輩である深山さんと藤田さんの「好き勝手話します!~『学び合い』の可能性と危険性~」に参加しました。発表者の話と並行してチャットでの議論が白熱していました。
保存しておいた分科会時のチャットを見返していたのですが、発表者のお話もチャットの議論も内容が濃密でした。どうりで分科会に参加していたとき頭がパンクしそうになったわけだ…
深山さんと藤田さんの分科会でのお話は多岐に渡りましたが、その中でも印象的だったのはお二人の「一人も見捨てない」ことに対する捉え方でした。
分科会の冒頭で、藤田さんが、
・『学び合い』が広がることによって崩れていく
→「簡単にできる」「教材研究をしなくてもよい」という言葉だけが一人歩きしている
・「一人も見捨てない=全員達成」になりがち。全員達成が目的になると崩壊しがち
ということをおっしゃっていました。
チャットの議論の中で「一人も見捨てないとはどういうことかについて、いつもオープンエンドになってしまうので方向付けがほしい」というコメントがあり、深山さんは「共生社会の実現」、藤田さんは「個と協働が矛盾しない・みんなで学び続けられる」と答えていらっしゃいました(聞き間違えていたらすみません)。
実践者あるあるかもしれませんが、最初は本の通りに「一人も見捨てず全員達成しよう」と子どもたちに語るのですが、そうそう毎回全員達成できるわけではないのでだんだん教師自身も子どもたちもしんどくなってきます。そのあたりからやっと「”一人も見捨てない”ってどういうことなんだろう?」と考え始めます。少なくとも私はそうでした。
特にM2になってからはこの「一人も見捨てない」とはどういうことかについて、自分なりの答えを出そうともがいてきました。
答えはどこにも落ちていません。
自分で見つけるしかない。
でも、考える際に参考にすべきものすらなかったような気もします。他者の答えを鵜呑みにするわけではないのですが、自分なりの答えを言語化する際の道しるべになるようなものがないと正直厳しい。幻想を追っているような感覚がありました。
そういう点で、深山さんや藤田さんという先輩実践者の方々が「一人も見捨てない」をどのように捉えているか知ることができたのは、私にとって大きな収穫でした。
まだ「一人も見捨てない」ことに対する自分なりの答えは言語化できていないのですが、昨日のお二方の答えをもとに、またもがきながら考えていこうと思います。