個人研究のプロトコルをコツコツと進めている。家だと絶対にやらないので、時間を見つけては研究室に行き、文字起こししている。
企業で働く方の分は50人以上あったはずなのに、あと7人くらいになった。終わりが見えるとなんとなくやる気になる。
まぁ、あと少なくとも高校の先生の分のプロトコル分析と回答のカテゴリー化が残っている。実を言うと追加調査も終わっていない。一人でやっている研究なので、基本的に自分でやるしかない。そう考えると、ゼミの同期がやっているような共同研究っていいなぁと思ったりする。
プロトコル分析をしていると、さまざまな”声”に出会う。
すでにインタビューさせていただいた方たちのデータなので、「再会する」という方が正確なのかもしれない。でも、インタビュー時は「どうすれば答えを引き出せるかな」というので頭がいっぱいなので、相手の”声”にまで注意を払っている余裕はないことが多い。
今日最初に聞いた”声”はとても安心する声だった。注意深く聞いていると、ちょうどいいタイミングで相槌を打っている。わりと初期のインタビューだったのにやりやすかった気がするのは、その方の声や話し方のおかげなのかなと思った。
”声”と言えば、先日西川先生が他ゼミの同期に「いい声してるねぇ」とおっしゃったのを皮切りに、声の話になった。
「通る声」と「通らない声」というのは確かに存在する。
先ほどの同期の声は「通る声」。声を張り上げている感じはしないのに、きちんと耳に届く。
一方、私の声は「通らない声」。相当声を張り上げない限り、遠くにいる人には聞こえない。だから、講師をしていた際、生徒を並ばせたりするときは「こっちだよー!」などと声を張り上げるのは他の先生に任せ、「2列で並んでね」などと近くで細かい指示を出すことに専念していた。
ただ、不思議なことに「私の声が聞こえない」と言ってきた生徒には出会ったことがない。
通らない声なりに教壇に立つとスイッチが入るのかな?
よくわからないけど。
西川先生の著書である『新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます』では、声の出し方について言及されている。
話す内容よりもまずは声が聞こえるかどうかの方が大切なのだ。
声の出し方はあまり意識してこなかったけど、ちょっといろいろ試してみようかな。
自分の声とは一生付き合っていかなければならないけれど、声の出し方は変えられるはず。