小学校のいいところは教科の垣根がほぼないところだと思う(中高は教科担任制なので、どうしても教科間の壁は存在する)。
今年は学校支援プロジェクトで小学校に行かせていただいているが、体育や音楽、算数、理科など、私の専門である国語とはかけ離れた教科の授業のサポートに入っている。
でも、だからこそ見えてくるものもある。
今日は支援プロが終わった後、同じチームのメンバーが先生方と研究のための打ち合わせをしている横で、その話を聞いていた。
その研究では、体育のバスケットボールの授業で「全員が楽しめるバスケットボールのする」という目当てのもと、『学び合い』の実践をするのだそう。
研究計画や授業の進め方を一通り聞いた連携校の先生がいくつか感想をおっしゃっていたのだが、その中に
「ルールを積み上げていく」というのが常道なのですが、この授業ではいわば「ルールを壊していく」のですね
という指摘があった。
特に小学校はスモールステップで「あるべき姿」に持っていくという指導の仕方をすることが多いらしい。例えば、バスケットボールであれば、最初は「ボールを持ったまま3歩以上歩いちゃってもいいよ」というレベルから、徐々にトラベリングを試合中に反則にするというレベルに持っていく。トラベリング、ダブルドリブル等、さまざまなルールを積み上げ、できるようにして、バスケットボールという形にしていくのだ。
一方、今回の『学び合い』の実践では「全員が楽しめる」というのがゴールなので、ルールにはそこまでこだわらなくてもよいことになる。一人でも楽しめない人がいれば、その人の意向をもとにルールをややり方を変えていくことができる。
幸い(?)、連携校の先生方は「実際にやってみないとわからないですしね」「楽しみです」と『学び合い』の体育の授業に肯定的なようだった。ただ、同じことでも「ルールを変えることができる」と捉えるか「ルールを壊していく」と捉えるかで、見え方は大きく変わってくるんだなと感じた。
また、先生から
「全員が楽しめる」ということの定義はありますか?
という質問もあった。
「楽しめる」というのは主観的な判断によるものである。それは教員が決めるのではなく、実際にバスケットボールをする子どもたちが決めることだと思う。
ただ、話を聞いていて、「全員が楽しめる」というのが具体的にはどういうことなのかを子どもたちに考えさせる時間をとらないと、目当てが曖昧なままでなあなあになったり、子どもたちが混乱したりするかもしれないとちょっと思った。
このことについて、他の先生の授業を見ていて、いいなと思うことがあった。
先日、連携校のある先生(西川研のOB)が体育のハードルの授業で「ミニハードルやコーンを使って、グループごとに”走りやすい”コースを作る」という目当てを提示した。その際、「”走りやすい”ってどういうことだと思う?」と子どもたちに投げかけ、子どもたちから「スムーズに走れる」という意見が出た。
”走りやすい”というのも主観的な判断によるもの。ただ、「走りやすい=スムーズに走れる」という具体例が子どもたちから出たことで、子どもたちはコースをどのように作ればよいかイメージしやすかったのではないかと思う。
同じ”走りやすい”という目当てで作ったコースでも、グループごとにコーンを置く向きや障害物の間隔が異なっているのがおもしろい。
必要に応じて目当ての具体化が必要なのかもしれないと感じた瞬間だった。