私を附属中ではなく、地元の中学に通わせた母の意図とは…

私の地元はかなりの田舎なので、私立の小中学校は存在しない。高校受験になれば多少進路のバリエーションが出てくるが、それ以前はほとんど選択の余地はない。

 

それでも、中学は地元のところに行くか大学附属に行くか選ぶことができた。と言っても、大半の子は地元の中学に進むのだけれど。

 

"附属"は受験しないと入れないので、なんとなく頭のいい子が行くイメージがあった。

母に「附属行こうかなぁ」みたいなことをふわっと言ってみたときに「やめとけ」と言われたことがうっすら記憶に残っている。

 

どうしても行きたいというわけではなかったので、結局附属には行かなかった。

 

 

たしか大学生くらいのときだったような気がするが、母に「なぜ附属に行かせなかったの?」と聞いたことがある。そのときの母の返答は今でも覚えている。

 

「だって学校の先生になりたいんだったら、試験で選ばれた子だけの学校じゃなくて、いろんな子がいる学校に行っておいた方がいいでしょ」

 

私が小学生の段階で教師を目指していたという事実も驚きだったのだが、母の先見の明というか慧眼に恐れいった瞬間だった。

 

私が通った地元の中学は、市内で3本の指に入るくらいの荒れた学校だった。

 

これは後から聞いた話だが、生徒指導に強い先生が異動のたびにその3校をぐるぐるしていたそうな。

 

地元の小規模校3校とマンモス校1校から生徒が集まってくるのだが、このマンモス校の子どもたちが「先生を休職に追い込んだ」という恐ろしい前評判をひっさげて入学してきていた。

 

どれくらい荒れていたかというと、

・よくガラスが割れるので、ガラスの代わりにアクリル板がはめてある

・空き教室に授業をサボった生徒がたむろする

・授業中に廊下に自転車が通る

・授業中に廊下でスプレーで落書きしている人がいる

・コンセントにピンセットを突っ込む生徒がいて、その説教のおかげで授業の大半がつぶれる

・授業中に先生を土下座させる

などなど、小学校のときは考えられないようなことが日常的に起こっていた。

 

また、通級指導教室があったり、車椅子で学校生活を送る生徒用の昇降機が階段に備え付けられたりしていた。

 

高校に進学する子もいれば、中卒で働く子もいた。

 

まさしくカオスだ。

 

私が進学先の高校(市内有数の進学校)で「○○中出身だ」と言うと、「嘘てしょ(あなたがあんな場所で生きていけるわけがない)」と言われるくらい。

 

先輩から目をつけられないよう、いじめに遭わないよう、何かに巻き込まれないよう、毎日がちょっとしたサバイバルだった。

 

でも、あのカオスな空間で揉まれたことは、今思えばいい経験だったと思っている。

 

地元の公立学校は、特に選抜されることもなく、地域の子どもたちが集まってくる場所。本当にさまざまな子どもたちがいる。それを生徒という立場で肌で感じることができた。

 

「社会の縮図」のような場所に意図せず放り込まれたことは、教員を目指す上で大きな力になっている。

 

私は時折このエピソードを思い出しては、母のすごさを噛みしめている。

母には一生頭が上がらないんだろうなぁ。