伝統や慣習はふとしたときに顔を出す

夏休みと言えばラジオ体操。

小学生の頃は毎朝ラジオ体操に通っていた。

 

私の住んでいた地区はお寺でラジオ体操をやっていたためか、ラジオ体操の30分くらい前に集合してみんなでお経を読んでいた。

 

お経の漢字と読み仮名、上がったり下がったりする記号がみっちり書かれた紙をもらい、意味もよく分からないまま声を出して読む。

 

ずーっと正座をしているのは正直つらい。それでも毎日通っていたのは、みんながやっていたというのと、お経を読んだ後毎日もらえるシールのおかげ。シールを集めると最終日に景品がもらえるのだ(完全に外発的動機づけ笑)。

 

小1~小6まで夏休みのたびに毎日お経を読んでいれば、お経が体にしみこんでくる。何も見なくてもそらんじられるようになる。

 

だいぶ前の話だが、祖父の葬儀の時にまわりの大人がお経の本を見ながらたどたどしく読んでいるのに対し、私と妹はテンポや抑揚も完璧にお経を暗唱しているのを見て、葬儀屋さんが目を丸くしていた。

 

伝統や慣習はふとしたときに顔を出す。

 

こんなことを、お盆のお墓参りをしながら思い出した。

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今年は県外にいる妹が帰省できないので、お墓参りの様子を動画で送ってあげた。母が妹の代わりにお墓参りをする「代理墓参りサービス」の様子もばっちり録画。

 

伝統や慣習と新たな生活様式について思いを馳せるお盆になりそうだ。