「燕まちあそび部」というなんだかおもしろそうな取り組み

今朝新聞を眺めていたら、おもしろそうな記事が目に飛び込んできた。

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新潟県燕市内の高校生が参加する、市の資源を生かして遊ぶプロジェクト「燕市役所まちあそび部」がスタートしたそうだ。

 

コーディネーターを務める慶応大の特任准教授の方の「まちの大人や物を使って遊ぶことができれば大成功。守らなくていけないのは、法律だけ」というスタンスも、大胆かつ素敵な考え方だと思う。

 

最低限の縛り(=法律)は守らせた上で、課題達成のために何が使えるか(=利用可能な市内の施設、物資)を提示し、あとは子どもたちに考えさせる。『学び合い』の考え方と通ずるものがあるなと感じた。

 

●市役所で鬼ごっこ

●空き家を改造

バンジージャンプ…etc

 

具体的な案までは出ていなかったけれど、挙げられたアイデアはどれもおもしろそう。

”まちあそび”なので、高校生が地域と関わる機会が増えそうなのもいいなぁ。

 

私が高校生だったときのことを振り返ってみると、はたして私は”遊んで”いたのだろうかとふと考え込んでしまった。

 

平日は毎日15時くらいまで授業があり、その後は部活で剣道の稽古。自転車で家に帰ったら疲れて寝てしまうか、余裕があれば翌日の授業の予習をする。

休日は半日稽古をしたり、場合によっては練習試合等で1日部活をしていることも多かった。花見の時期は友達と一緒に高校近くの公園に行ったりしたが、高校生の時に遊んだ記憶というのはその程度。別に強豪校というわけでもなかったけれど、部活漬けの青春(?)だったような…

 

そもそも私が高校時代を過ごした田舎で”遊ぶ”と言えば、

・映画に行く

・ショッピングセンターに買い物に行く

・プリクラをとる

くらいしか選択肢がなかった気がする。しかも、都合よくバスや電車があるわけでもなく、移動はもっぱら自転車である。体力とやる気がないと遊びにも行けない笑

 

今は1人1台スマホを持つ時代になったので”遊び方”も以前とは変わってきているのだろうけど、リアルの世界で遊ぶとなれば選択肢は似たり寄ったりじゃないのかなと思う(現役高校生に聞いたわけではないので、私の思い込みではあるけれど)。

 

小学生とか、もっと幼い頃は、同じ地区の子どもたちとそれこそ学校帰りに「制限時間内にあの目印まで着いてないと罰ゲーム! じゅー、きゅー、はーち・・・(勝手に始まる)」と誰かが言い出し、きゃあきゃあと声をあげながら走って遊ぶ、というような、今考えると「なんてくだらないんだ…!」と思うような遊びが自然発生的に生まれていた気がする。

 

あり余るほど時間があったせいなのか、「やるべきこと」がそんなになかったせいなのか、小さい時の方が発想は柔軟だったし、何でも遊びになった。

 

「学校」という枠にはまる時間が長いほど、柔軟性や創造性は失われてゆくのか。そうだとしたら悲しいし、なんとかしたいと思う。

 

今回の「燕まちあそび部」の取り組みは、意識的に”遊び”というある種の余裕というか(いい意味で)くだらないことを生み出せるプラットフォームになりうるのではないか、とひそかに期待している。