二十歳の誕生日に礼服を買ってもらった話

今日の職員会議の後、隣に座っていた同じ学年の副任の先生に「○○さん(=私)、礼服持ってる?」と聞かれました。

 

どうやら、私の勤務校では式典関係の行事は教職員全員が礼服を着るそうです。

 

恐る恐る「喪服ですか…?」と聞き返したら、「そうそう! 礼服だけだとさびしいから、お花とか真珠のネックレスとかしてくればいいよ〜」とのこと。

 

「若い人は礼服持ってないことも多いし、入学式直前に買いに走るのも大変だと思うから事前に聞いといたんだよね」と、新採用である私を気遣って確認してくれたそうです。

 

「入学式はスーツでいいかな〜」と思っていたので、今日のうちに確認してもらえて助かりました。

 

服装などは各学校によって不文律のようなものがあることが多いので、こうして気遣ってくれる方がいるのはとても心強いのです。

 

礼服と言えば、二十歳の誕生日を思い出します。父と母からの誕生日プレゼントが礼服一式と真珠のネックレス・イヤリングだったのです。

 

その当時は「なんで二十歳の誕生日プレゼントに礼服なんだろう」と思っていましたが、「一着持っておけば何かあったときに役に立つ」という当時の母の言葉が今になって身にしみます。

終わりの時間をみんなで意識するのが大事

年度始めの2日間は怒涛のように過ぎ去りましたが、そのほとんどは学年や教科、分掌の会議や職員会議などでした。

 

私は新採用で右も左もわからないということもあり、教科で担当するクラスや学年の分掌はかなり配慮していただきました。

 

学年団で割り振る分掌の数が思っていた以上に少なかったため、「こんなに少なくていいんですか…?」と聞いたら、「初任者研修で大忙しだと思うから大丈夫だよ〜」とのこと。逆に「初任者研修ってどんなに大変なんだろう…」と心配にはなったものの、それを見越して負担を軽めにしてもらえたことには内心ホッとしました。

 

来年度以降はもっと貢献できるようになりたいなぁ…

 

また、職員会議がその日の最後ではなく、教科会や学年会の間に入っているのも特徴的だなと思いました。

 

職員会議の冒頭にも、教頭先生が「90分1本勝負なので、話す方は要点をまとめてサクサクいきましょう」というようなことを全体に対して伝えており、会議の終わりの時間を全体で意識できるようになっていました。

 

職員会議を最後にしてしまうと、後ろに特に予定が入っていないため、終わりの時間が伸びてしまいがちです。

 

職員会議の後にも分掌会などの予定を入れておくこと、会議の冒頭に「○時までに終えるために要点をかいつまんで話しましょう」と全体に伝えておくことなど、終わりの時間を意識する仕組みがあることはとても良いことだなと感じました。

定年退職した恩師に対する、教え子からの粋な計らい

いつも新聞を見るとき広告はのページはすっ飛ばすのですが、この全面広告だけは思わず見入ってしまいました。

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一面に、国語の問題が載っていました。

問 次の文章は恩師の定年退職にあたり、かつての教え子が書いた手紙です。この手紙を読んで後の(一)~(五)の設問に答えてください。

問いと問題文の後には5つの設問が↓

(一)文中にある押木さんとはどんな先生ですか。

(二)あなたの押木さんとの思い出を教えてください。

(三)押木さんに会ったら何を話したいですか。

(四)押木さんと言えばこれ、というものはなんですか。

(五)押木さんに伝えたい言葉は何ですか。

(注)答え合わせは次回お会いしたときに、みんなで。

 

そして、その下には広告を出した人の思いが綴られていました。

生まれてはじめて、1年以上も新潟に帰れない日々が続いています。

かけがえのない時間を共有できるはずだったのに、離れ離れになっている人たちが、たくさんいる世の中になってしまいました。

そんな中で、高校を卒業してからもお世話になっている先生が、定年退職を迎えることに。

みんなでお祝いすることはできませんでしたが、次に集まるときの話のタネを用意しました。

国語の先生なので、先生がよく見慣れた文章問題で。ふるさとの新聞をおかりしての、教え子からの先生への個人的な広告です。

早く会える日が来ることを信じて。

 

この広告を出したのは畑山さんという新潟高校出身の方だそうです。高校時代の恩師である押木先生が定年退職したことを知った畑山さんが、地元の新聞である新潟日報に広告を載せたとのこと。

 

実はその畑山さんが出演したラジオをたまたま私の母が聞いていて教えてくれたのですが、畑山さんは現在県外で広告関連のお仕事をなさっているそうです。

 

高校時代に押木先生の影響で言葉に興味を持ち、広告のお仕事に就いたのだとか。

 

コロナウイルスの影響で帰省できない日々が続く中、自身の得意分野である広告を使って、先生に感謝の思いを伝えることを思いついたのだそうです。

 

教え子の粋な計らいに、広告を読んでいるこちらも心が温かくなりました。

どれくらい"すぐじゃなくていい"仕事なのかがまだわからないんだよなぁ…

教員2日目。

会議に次ぐ会議で頭はもうパンパン。

 

初めての場所なので、見通しがまったく持てず何から手をつけていいのかわかっていません。

 

「その仕事、すぐじゃなくていいよ〜」と言われても、どれくらい"すぐじゃなくていい"のかもわからず…

 

同じ学年の副担任の先生が「何をすればいいかわからなかったら、もともといる先生に声をかければ教えてくれると思うよ。私も声かけてもらえればお願いするし」と言ってくれたので、来週以降はその手を使おうと思います。

 

今日も早めに退勤しました。

 

土日はしっかり休み、今日もらった教科書に目を通したりして、来週以降に備えたいと思います。

新採用初日無事終了

今日から新年度。

中学校教員としての生活がスタートしました。

 

辞令交付式や学年会、職員会議、教科会議など盛りだくさんで、頭の中で情報が上滑りしている感覚。

 

正直に「新しい情報が多すぎて右から左なんです…」と同じ学年部の先生に吐露したら、「初めてのときはそんなもんだよ」と言っていただき、心が少し軽くなりました。

 

また、定時後も締め切りは先の提出書類を前に難しい顔をしていたら、近くの席の先生が「今日は疲れただろうから早く帰った方がいいですよ〜。「お先に失礼します!」と挨拶すれば大丈夫です!」と声をかけてくださいました。

 

結局、学校を出たのは定時を30分ほど過ぎた後でした。

 

私はまわりがパタパタしていると「自分も残ってた方がいいかなぁ…」と帰るのを躊躇してしまうタイプなので、本格的に学校が始まるまでは、帰れるときは早めに帰ろうと思います。

 

まだまだ右も左もわからないような状況ですが、少しずつ慣れていって、役に立てる存在になりたいなと思いました。

人生の充電期間を終え、いざ学校現場へ

今日は、(おそらく)人生で最後の学生としての1日でした。

 

以前から気になっていたビストロで1人でお昼ご飯を食べ、図書館に本を返しに行き、着物のリメイク。

 

夕方には同期に本を貸すついでにスタバでちょっとおしゃべりをし、その同期の1人にもらったスポーツ用品店の割引券でジャージを一揃え買い、家に帰ってからは明後日以降のお弁当用のおかずを仕込む。

 

なんとなくゆったりとした時間が過ぎていきました。

 

3月に入ってから、特に紀要論文を仕上げたあとは、働き出す前の充電期間にしていました。

 

おいしいものを食べ、友達と話し、本を読み、お菓子や服を作る…etc.

 

ただ、振り返ってみると、大学院の2年間そのものが"人生の充電期間"だったのかなと感じます。

 

「今後の人生ずっと付き合っていくんだろうな」と思えるような仲間たちに出会い、学びたいことを学び、苦手だった研究にも挑戦したこの2年間はかけがえのないものになりました。

 

明日から始まる2度目の"社会人デビュー"に向けて、とりあえず今日は早く寝ようかなと思います。

 

人よりちょっと寄り道したけど、そのおかげで見える景色が少し変わってきた私の人生。

 

何より、これから出会う生徒たちに「寄り道も案外悪くないんだよ」と経験から言えるのは私の強みなのかもしれません。

『新版 授業の腕を上げる法則』(向山洋一)読了

知り合いの先生がおすすめしていたのを見て、向山洋一先生の『新版 授業の腕を上げる法則』を読みました。

新版 授業の腕を上げる法則 (学芸みらい教育新書 1)
 

第1章の「授業の原則」の部分を読んでいて、今から5年前、大学卒業してすぐの講師時代のことを思い出しました。

 

私立の学校で講師をしていたので、公立のように体系的(?)な新採用者の研修が組まれているわけではありませんでした。

 

それでも、新採用者の研修を担当してくださっていた先輩の先生は、授業の原則第2条の「一時一事の原則(一時に一事を指示せよ)」と第3条の「簡明の原則(指示・発問は短く限定して述べよ)」に当たることが大切だと何度も繰り返しおっしゃっていました。

 

なんなら「1年目は単指示を簡潔に示せれば合格」とまで言われていました。

 

それだけ、授業中に指示を出すことは重要であり、難しくもあるのだと知りました。

 

また、その先生は私と同じ国語の教員だったこともあり、授業を参観させてくださったことがありました。

 

その際に「○○さん(=私)、音読のやり方ってどれくらい知ってる?」と聞かれたのですが、当時の私は「ペアで読む」「。読み」など2つ3つくらいしか答えられませんでした。

 

その先生は私の知らなかった音読方法を取り入れた授業をされ、「これ以外にも△△とか□□みたいな読ませ方もあるよ」と教えてくださいました。

 

「教育にも技術が必要なのだ」と感じた瞬間でした。

 

よく"技術は見て盗むもの"という言い方をされます。たしかに、空き時間に先輩の先生方の授業を見に行っても定時で帰れるような余裕が学校現場にあれば、それでもいいのかもしれません。

 

しかしながら、学校現場に余裕がないのは周知の事実です。

 

TOSSのような教育技術が集まったものを活用することは、とくに経験が浅い私のような教員には必要なことなのかもしれないと思いました。