『失敗図鑑』(大野正人)読了

失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!

失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!

  • 作者:大野 正人
  • 発売日: 2018/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

Kindleさんを手に入れてからというもの、Kindle unlimited(3か月無料)を使い倒そうと、最近はおもしろそうな本を探してはダウンロードして読むという日々を送っている。

 

この『失敗図鑑』もタイトルにひかれて思わずダウンロードしてしまったものの一つ。

 

ライト兄弟からカーネル・サンダースに至るまで、古今東西の偉人24人の失敗談がこれでもかというくらい載っている。

 

”偉人の伝記”というとどうしても”成功”に重きを置きがちである。

たとえつらい状況にあったとしても「こうやって努力したら成功した」というようなストーリーになっていることが多い気がする。「だから君(読者)も努力するんだよ」という言外の意図が透けて見える。

いわゆる「人間的にどうなんだ?この人」という部分があっても隠され、失敗談には触れられていないことがほとんど。

偉人の人生を知ることができるという点で伝記はおもしろいジャンルなのだが、「すごい人だなぁ」とは思うものの、どこか遠い人の話のように感じてしまう。

 

一方、この『失敗図鑑』は新しい形の伝記なんじゃないかと思う。

「こんな偉業を残した人でも笑っちゃうような失敗をしているんだ!」と思えば、何だか遠い世界の住人のように思っていた偉人もいっきに親しみやすい存在になるのではないか。

 

また、成功よりも失敗から学ぶことの方が多い、と個人的には思っているので、いろいろな偉人の失敗談から生きていくうえでのヒントを得ることができるかもしれない。

 

冒頭の”発明王(失敗王)トーマス・エジソン”のところに、こんな印象的なフレーズが出て来る。

 

さらに、人生には

ぜったいに失敗しては

いけないときがある。

たとえば

命がかかっているときとかな。

そういうときに

失敗しないためにも

ふだんからたくさん失敗して

失敗になれておくことが

大事なんじゃ。

 

失敗に寛容な雰囲気の中、安心して失敗できるようなクラス、学校を作っていきたい。

(勝手に)禁酒宣言

いろいろあって進路の再考を迫られた。

怒涛の嵐が通り過ぎて、今は一応静かになっている。

やらなければならないこともはっきりした。

それでも時折、というか毎日のように心にはさざ波が立つ。

 

私は弱い。

その弱さが最近はお酒の飲み方に顕著に表れている。

お酒に飲まれているのだ。

まぁ、オンライン飲み会だと帰る心配をしなくていいのでついつい飲みすぎてしまう、というのもあるのだが。

お酒に逃げ道を求めているような気がしてならない。

 

つらいときは逃げるのも一つの選択肢だと思う。

そうでなければ身がもたない。

 

でも、私にとって今は逃げちゃいけない時だ。

だからお酒は飲まないことにした。進路、もとい就職先が確定するまでは。

 

「お酒飲まない宣言」を自分の心の内でしていたら、そういえば去年の今頃も同じようなことをしていたなぁとふと思い出した。

「教採の1次試験(2次試験)が終わるまでは飲まない」なんて。

一種の願掛けのようなもの。

 

今回は最終的な結果が出るのが10月くらいなので、もともと飲むのが好きな私には茨の道になるかもしれない。

 

これを機に「オンライン飲み会で素面のまま水を飲んでいても楽しそうに酔っているふり」をする能力を身につけようかなぁ。

この前のゼミで西川先生に「演技力磨いたら?」って言われたばかりだし。

 

もう20代も折り返し地点を過ぎている。

どうせ飲むなら、楽しく、きれいに酔いたい。

 

お酒は心を映し出す水。

きれいに酔うには私はまだお子さまだ。

大人になりたい。

休校中に学校から配られた”時間割”から考えたこと

今日の午前中にTwitterを眺めていたら、休校期間中にある小学校から家庭に配布されたという”時間割”がタイムラインを(いろいろな意味で)にぎわせていた。

 

Twitterにアップされた時間割の画像しか見ていないので、その時間割がどういう経緯・意図で作られ、配布されたのかはわからない。それでも、このツイートとそれに対する様々な人たちの反応を見ていて思ったのは次の2つ。

 

「時間割を作らざるを得なかった」可能性についても考えること

先に述べた通り、その時間割が配布されるに至る経緯や意図は私にはわからない。

それでも、講師として学校現場にいた立場から言うと「(担任の先生は作りたくなかったが)作らざるを得なかった」可能性があるということについても考えなければならない。

教員は校長の指示には従わなければならない。そして校長は教育委員会の指示をもとに動いている(はず)。さらに言えば同じ学年団の教員等、まわりの教員からの無言の圧力(?)のようなものもあるだろう。

体裁だけ何とかしようとスカスカな(=自由度の高い)時間割を作ったところで、各家庭に配布する前には上長の確認を経なければならず、その時点で「書き直し!」になることは大いにありうる。

結果、びっちり埋まった”時間割”が配られたのかもしれない。

ただ、その時間割を配布する際に特に何も言わずに配るのか、それとも自身の思いを一言添えるのかで受け取る側の反応は変わるだろうし、そこが教員の腕の見せどころだとも思うのだが。

 

教員が「良かれ」と思ってやったことが「良い」とは限らない

「教員が良かれと思ってやったことが、結果として子どもたちや保護者の負担になっているのではないか」

正直考えたくないし、怖いことだけど、この可能性は頭の中に常に置いておかなければいけないと思う。

あまりに考えすぎると動けなくなってしまうので、「全員にフィットするものはない」と肝に銘じておくだけでも違うのかなぁ、なんて思ったり。

 

ウィズコロナの今、教員、保護者、子どもたちのベクトルがそれぞれ明後日の方向を向いているような気がしてならない。

 

みんなが同じ方向を向くのは難しいが、それぞれが心のうちに抱えているものをさらけ出し、互いに歩み寄ることができればいいのに。

でも、そう願っているだけで具体的な実現方法は思いつかない。悔しいなぁ。

 

そして、連休明けから学校が再開されているところも多い。

日本中のどの場所と比べても、学校は「3密」条件がそろってしまう場所だと思う。

学校でクラスターが発生してしまうかもしれないと思うと心配でならない。

『喝采』(原田マハ)読了

原田マハさんは私の大好きな作家さんの一人。

マハさんが書く美術館を舞台にした小説やゴッホやモネ、ピカソなどの画家をモデルにしたお話にハマり、本屋さんで新刊を見つけるとつい手に取ってしまうほど。

 

マハさんの作品で最近読んだのが『喝采』という小説。

これは、パリに拠点を置くマハさんがコロナウイルスの影響でロックダウンしたパリから日本へ帰国することを決断し、実際に日本に帰ってくるまでの出来事やそのときの思いをつづったお話である。

公式TwitterInstagramで18日間連続で連載されたそう。

今は公式ウェブサイトである「マハの展示室」で公開されている。(短い作品なのですぐに読めます)↓

haradamaha.com

 

この作品を読んで感じたのは、「自分が大変なときはまわりのことが見えなくなりがち」というのと「長所は短所にもなるし、逆もまた然り」ということだ。

 

自分が大変なときはまわりのことが見えなくなりがち

各国でコロナウイルス感染者が急激に増加し、ロックダウンや外出制限が行われていることはニュースを見て知っていたが、どこかしら他人事というか遠いところで起こっている出来事のように感じていた。

それよりも、「大学で対面の授業ができなくなる」とか「大学構内が立ち入り禁止になり、ゼミ室にすら入れなくなる」ということの方が、個人的には一大事だった。

 

喝采』をきっかけに、「ロックダウン」で実際にパリの街がどのように変化したのか、そこに住む人々がどのような生活を余儀なくされたのかということについて思いを馳せることができた。

 

 夜8時。
 閉め切った窓辺にさざ波のような音が押し寄せてきた。

 私は窓を開けた。

 川沿いの窓という窓が放たれ、人々がいっせいに拍手を送っていた。
 命がけで働き続ける医療従事者への感謝を込めて。
 私も加わった。思いを込めて。

 澄み渡った夕空に響き渡る喝采
 命の証しだった。

(『喝采』より引用)

 

セーヌ川に面する家々から医療従事者への感謝を込めた拍手が送られているこの描写を読んで心が震えた。

人と人とのつながりを感じることができる一節だった。

 

長所は短所にもなるし、逆もまた然り

マハさんはこの作品の中で「人前で喋らない。それが日本人の強さだ」と日本人の持つ強みについて言及している。

 

きちんと自己主張する欧米文化圏の人々と違い、日本では”言わずとも察する”ようなあり方が良しとされている。

こうした日本人のあり方は、平時は「おとなしい」「なぜ言いたいことを言わないのか」とマイナスの印象として取り沙汰されるものだが、今回のパンデミックにおいてはそれがプラスに働いているのだろう。

 

(その是非については今は置いておくとして)”自粛要請”だけで不要不急の外出を控えて、感染者数を抑えているのも日本人だからなのかなぁと思う。

 

長所と短所は合わせ鏡のようなもの。

置かれている状況や文脈においてくるくると変化する。

 

”たゆたえども沈まぬ”ように柔軟に捉えることが必要なのかもしれない。

手を放してゆくこと

今日の午後は自習室のホストをしている裏側で、ゼミの動画をYouTubeにアップする方法をマニュアル化していた。

 

昨日のM1ゼミの映像をZoomのクラウドからダウンロードし、YouTubeにアップする過程をひとつひとつスクショして、文章とともにマニュアルにまとめていく。

 

コロナウイルスの蔓延で大学構内が立ち入り禁止にならなければ、「スタジオ」と呼ばれるゼミ室の一つにM1を連れていき、デスクトップの前で「こうやるんだよ」と実際にやって見せながら説明するはずだった。わからないところがあればその場で質問してもらって、M2が答えればいい。M1の中でも理解度は異なるので、一度説明したら後はM1の中で飲み込みの早い人がわからないところがある人に教えてあげればいい。

 

しかしながら、今はそれができない。

 

「当分の間はやり方がわかっているM2がすべてやってしまう」というのも一つの手ではあるのだが、もうすでにゼミにも参加しているのだから、M1には少しずつ仕事を振って仕事を覚えていってほしいという思いもある。

 

そこで必要になるのが”マニュアル”である。

とりあえずマニュアルを見れば、作業の大まかな流れは把握できる。

わからないところがあれば誰かに聞けばいいし、正直やりながら覚えていくしかないのだ。

 

今まで口伝え、もしくは実際に先輩がやって見せてくれたり、仲間に聞いたりすることで知らず知らずのうちに覚えていたことを、マニュアルという形で文章化するのはなかなかに骨が折れることだった。

 

自分の中で自動化してしまっていることは気づきにくい。でも、そこにローカルな(西川研ならではの)”気をつけなきゃいけないポイント”が隠れていたりするのである。

 

M1にやってもらうこと、M1に任せることを徐々に増やしていく。そのために私にできることの一つが、こうしてマニュアルを作ることなのかもしれない。

 

これが「手を放してゆく」ことなのかなぁと思ったり。

 

今年のM1さんはすでに本の執筆を手伝っていたり、Slackの使い方を説明してくれたりと頼もしいかぎりなのだが笑

今年のM1"も"優秀なり

今日はゼミの日だったのだが、M2ゼミが授業と重なってしまったため、M1ゼミに参加した。

 

M1さんはまだ正式に研究室に所属が決まったわけではないのだが、先週あたりからM1ゼミもスタートしている。

 

今年は確信犯的に西川研を選ぶ人がほとんどなせいか、まだ学年ゼミ自体は2回目くらいなのに、M1さんの質問は質が高いのだ!

 

西川研に入るとまず指定された本を読み、ゼミではそれに関する質問をするのがある種"常道"である。

 

逆にいえば、そうでもしない限り、いきなり「毎週必ず一人ひとつ西川先生に質問する」というのはなかなかに難しい。(難しかったのはもしかして私だけか?)

 

今日M1さんが、ブラック校則についての質問とか、『フラット化する社会』を読んでそれに関する質問、「愛と友情の違い」なんていう哲学的な質問、学校再開後のソーシャルディスタンスについての質問をしているのを見て、

「あぁ、すごいなぁ」

と思った。

 

1年前の私を振り返ってみると、そんなに広い視野は持てていなかったし、質問ひとつ考えるのにうんうん頭を悩ませていた気がする。

 

ゼミでM1さんの中M2の私がひとりでいるというのは新鮮で、大きな刺激になった。

 

負けてられないなぁ。

附属福岡小の「ZOOMで朝の会」を見学して

今朝、福岡教育大学附属福岡小学校の「ZOOMで朝の会」を見学した。

4年生の朝の会に参加させていただいた。

 

Zoomを使った朝の会の先行事例があるのは知っていたが、実際に見学するのはこれが初めてだったのでどんな感じなんだろうとワクワクしていた。

 

8:20くらいから子どもたちがぞくぞくと入室してきて、8:30から朝の会が始まった。

朝の会の流れは以下の通り。

①朝のあいさつ

先生が全員のミュートをはずして、みんなで「おはようございます!」と声を出してあいさつ。

②健康観察

先生が一人一人名前を呼んで子どもたちの体調を確認。先生が子どもの名前を呼んだ後、その子のミュートを解除して、子どもが「はい、元気です!」などと返事をする。

③級くんタイム

先生が画用紙で作った”級くん”を子どもたちに披露。子どもたちは、Zoomの反応ボタンを使って「いいね!」や拍手をしていた。

(「”級くん”って何だろう」と思ったのだが、どうやらクラス目標のことらしい。漢字だと”級訓”かな?)

また、3つの”級くん”を手拍子のリズムに合わせて声に出して言う、というアクティビティをしていた。

④クラスルームの使い方

クラスルームの使い方を、事前に作ったスライドを画面共有する形で子どもたちに説明。

⑤楽しみな学習は?

楽しみにしている学習、科目等を紙に書いてみんなに見せる活動。

「何かみんなに質問してみたい人はいますか?」と先生が声を掛けていたのだが、30人以上いる中で発言するのはハードルが高いようで、子どもたちから質問は出なかった。

書き終わった人には反応ボタンを押してもらうことで、誰が書けていて誰がまだかというのが視覚化できそうだなぁと思った。

先生が「算数」と書いた子をなかなか探し出せなかったとき、「先生!○○さんが書いています!」とフォローしている子どもがいて、朝の会をスムーズに進めるために子どもたちが協力している様子が見て取れた。

⑥先生から

先生からの連絡。

 

 

朝の会の後の相談会では、Zoomで朝の会を始めるまでの経緯を知ることができた。

 

GoogleフォームでICT環境調査を各家庭に実施した結果、保護者からは「生活習慣の乱れ」、子どもからは「友だちと会いたい」という声が挙がったそう。

 

Zoomで朝の会をするにあたって、セキュリティに関しては可能な限り対策をしているとのこと。朝の会のミーティングID、パスワードは毎回変更し、その日の朝に各家庭にメールで連絡する形をとっているらしい。

たしかに定期ミーティングの設定もできるが、それだと同じID、パスワードを使いまわすことになるのでセキュリティ的には弱い。

 

家庭によってICTの環境は異なるので、朝の会については「ご家庭の都合に合わせてご活用ください」というスタンスで実施しているそうだ。ネット環境がない家庭については電話で連絡をするなど、オンラインとアナログ(電話など)をうまく併用して、子どもたちの学びの保障や心のケアを行っているのが伝わってきた。

 

Zoomに関する教員の研修は全体で行ったそうだが、それに加えて家族や友人、同僚間で実際にZoomを使ってみて、ホストをすることに慣れていったらしい。

 

来週以降は、Zoomを用いてオンライン授業も開始する予定なのだそう。

午前中に20~30分1コマ×4、午後はGoogleフォームのテスト機能を活用して学習の理解度を確認する形で実施する予定とのこと。

 

附属福岡小ではGSuiteの契約をしているようで、生徒一人一人にGoogleアカウントを配布しているので、他校に比べてオンライン化に取り組みやすい環境ではあると思う。

それでも、相談会の際に付属福岡小の先生がおっしゃっていたように、「環境は違うかもしれないが、できそうなことについては持ち帰って実践してみる」というのが大切だなと感じた。