『先生のためのアドラー心理学 勇気づけの学級づくり』(赤坂真二)読了

この4連休中、「現在自分が抱えるタスクとは別の本を読む」という目標を立てた。

読んだのは、私が所属する教職大学院の同じコースで教授をされている赤坂先生の本。

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり

  • 作者:赤坂 真二
  • 発売日: 2010/01/07
  • メディア: 単行本
 

アドラー心理学は、大学院に入ってから興味を持ち始めた。

 

アドラー心理学」「クラス会議」「勇気づけ」などは普段からよく聞く言葉だったので、それに関して本を読んだり調べたわけでもないのに、勝手に私も知っているような気になっていた。

 

だから「アドラー心理学興味あるんだけど、全然本読んでないんだよねー」とゼミ室でぽろっとこぼしたら、「アドラー心理学そのものについての本より、これの方が読みやすいと思うよ!」とゼミの同期がこの本を貸してくれたのだ。

 

努力を認めるということは、結果ではなく、その取り組もうとしたことや取り組む姿勢に注目するということです。(p.69)

 

大事なことは、子どもが失敗しても不快な感情を出しても、教師が誠実に対応するということです。「私はどんな状態のあなたも見捨てません、迷惑がりません」ということを示すのです。もちろん、そのメッセージは一度で伝わるものではありません。一回一回、誠実に対応するのです。(p.72-73)

 

私が子どもを勇気づけるときに大事にしてきたことは次の三点です。

①期待しないこと。あきらめないこと。

②対象を尊敬すること。

③勇気づけたかよりも、勇気づいたか。(p.75)

 

集団への指導と、それとかかわる個への勇気づけは、教師だけができることなのです。スクールカウンセラーも、親も、直接、子ども集団に働きかけることはできません。しかし、教師はやろうと思えば、その時間も場所も確保されているのです。(p.130)

 

上手く言葉にはできないけれど、なんだか今非常勤先の授業で抱えている課題というか、「どうしよう」とモヤっとしていることに対するヒントがたくさんあった気がした。

 

特に「期待しないこと」と同時に「あきらめないこと」というのは大切だなと感じた。

 

生徒たちの不適切(だと私か感じる)行動に対して、「私が注意したところでたいして変わらないんだろうなぁ」という一種のあきらめと、「それでも何とかしたいし、課題に向き合ってほしい」という思いの間で葛藤を繰り返す日々。

 

生徒に「個別に注意した方がいいと思います」と振り返りシートにコメントされては、「そうじゃないんだけどなぁ…」と思いつつ手立てを打てないまま見逃していた。

 

いい意味で「期待せず」に、それでもあきらめず自分にできることを模索してやってみることが必要なのかなと思う。

 

『学び合い』でうまくいっていないときは「学び合い」の本に立ち戻るというのはひとつのセオリーだけれど、ときには直接関係なさそうな本に手を伸ばしてみるのも重要なことなのだろう。そこに突破口があるかもしれないし。

 

来週には2学期の中間考査が始まる。

私にとって、授業担当者としての評価が下るということでもある。

授業と考査がきちんと結びついているかどうか確かめる良い機会になりそうだ。