笑うことと他者の存在

昨日家に帰ったら、家族にあてた妹からの手紙が届いていた。

職場で悪戦苦闘している様子がいつものようにユーモアを交えつつ書かれていたのだが、今回のハイライトは追伸のほう。

 

そこには、

「それではお聞きください。サザンオールスターズTSUNAMI」の替え歌で「TSURAMI」

のタイトルとともに、妹が私と2人暮らししていたときの悲哀を描いた替え歌の歌詞が…笑

 

Youtubeで「TSUNAMI」を流しながら替え歌を歌い、家族で大爆笑だった。

 

我が家は歌やお絵かきなど芸術系の才能はからっきしなのだが、どういうわけか小さい頃から替え歌を作ってはリズムや音程を気にせず歌っていたなぁということを思い出した。

 

ひとりで暮らしていると笑うことを忘れてしまう。

大学生のときに一人暮らしをしていたときは、人と会わないと全く笑わずに1日を終えることが多かったので、NONSTYLEサンドイッチマンなどの漫才を見るようになった。

 

笑うことは豊かに人生を送るためになくてはならないことだと思うが、笑うには他者の存在が欠かせない。

 

妹の替え歌で私たち家族が腹を抱えて笑ったように、他者からもたらされる笑いのきっかけや楽しい場を共有する他者の存在によって笑うことができるのかなと思う。

 

そして、笑いは人と人との緩衝材にもなる。

 小2の子どもたちが一斉にTT体操を始める光景を想像してほっこりした。

 

学校で3密は避けられない。それでも「離れて」「近づかないで」と何度も注意するより、「ティー」と先生が叫んだらTT体操するほうがわかりやすいし、お互いカリカリしなくて済む。素敵だなぁと思った。

 

今日の21時からはIPPONグランプリがある。

漫才やコントのようにストーリー性のある笑いはもちろん、大喜利のように瞬発力のある笑いも大好き。

 

今夜はどんな回答が出るのか、今からワクワクがとまらない!